21.「口蹄疫の正しい知識 7.過去の日本における口蹄疫の発生と対策」

明治時代になって最初に侵入した伝染病は明治5年の牛疫でした。口蹄疫の侵入は大分遅れて、最初に口蹄疫と疑われたのは明治32年(1899)、茨城県で3頭の牛で起きたものです。もっともこれは確定診断がなく口蹄疫かどうか疑問視されています。これも含めた明治時代の発生状況は、表にまとめたとおりです。
明治時代における口蹄疫

明治時代における口蹄疫
発生年 西暦 発生数 死亡数 回復数  発生地域
明治32 1899 3 3  茨城
  33 1900 2,322 30 1,921  東京、神奈川、埼玉、千葉、石川、岐阜
  34 1901 628 52 13  東京、神奈川、兵庫、福島
  35 1902 522 13 511  東京、神奈川、兵庫、新潟
  41 1908 579  東京、神奈川、滋賀、京都、鳥取、島根、岡山、広島、北海道
文献1,2に基づいて作成

口蹄疫と確定されたのは翌明治33年11月に東京で発生したもので、これは6県に広がり、翌年終息しています。最後に発生したのは明治41年(1908)で2府、1道、6県に広がっています。しかしこの発生では、東京の例を獣疫調査所(動物衛生研究所の前身)が牛へ接種してみたところはっきりした症状は見られず、また、全国に広がった割に発生頭数が全部で579頭に過ぎなかったため、すべてが口蹄疫だったかどうか不明とされています(1)。大正8年(1919)から11年(1922)にかけては、動物検疫所で44回、合計1,175頭の口蹄疫の牛が見いだされましたが、国内の牛への感染は起きていません。また、昭和8年(1933)には下関の家畜検疫所で朝鮮半島から輸送されてきた牛244頭に口蹄疫の症状が見つかり、検疫当日に死亡した牛1頭を除く243頭が10日以内に発病しています。これは口蹄疫の伝播の早さを如実に示した典型的事例とみなされています(2)

口蹄疫の発生前に、すでに日本の畜産は朝鮮半島からの牛疫により大きな被害を受けており、明治19年(1886)には獣類伝染病予防規則が制定され、牛疫、炭疽熱、鼻疽および皮疽、伝染性胸膜肺炎、伝染性鵞口瘡、羊痘が伝染病に指定されました。伝染性鵞口瘡が口蹄疫です。殺処分も義務づけられましたが、補償は家畜の評価額が25円までの場合に4/10、1000円まででは1/25となっていました。

明治25年(1892)には牛疫の大流行が起きて、予防規則は獣疫予防法となり、罰則も付けられました。これが現在の家畜伝染病予防法の原型になったものです。ここでは伝染性鵞口瘡ではなく、流行性鵞口瘡と呼ばれています。殺処分の場合の補償については、牛疫などにかかった家畜では評価額の1/3、牛疫などに感染の疑いのある家畜では評価額の4/5とされています。しかし、口蹄疫については補償額は書かれていません。この法律には解説が付けられていますが、その中で、流行性鵞口瘡の経過は年によって異なるがほとんどの場合軽症で2,3週の間に治り死亡するのは皆無で、あったとしても100頭中1頭に過ぎないと述べています。そのため殺処分の対象になっていなかったのかもしれません。また、別名を口蹄疫と言うと書いています。ここで初めて口蹄疫の名前が登場したものと推測されます。

文献

(1) 山脇圭吉:日本帝国家畜伝染病予防史。明治篇。獣疫調査所、昭和10年。

(2)日本獣医師会:技術の手引き4.口蹄疫。昭和40年。