集団遺伝学は生物進化の機構を解明するのがその主な目的であるが、この講座ではヒト集団に関る諸問題を主体にしてお話したいと思います。 最初に遺伝子の概念について歴史的な人びとの貢献を簡単にみることにする。
1865年:メンデル Mendel は同じ純系の植物を掛け合わせると子は常に親と同じ形質を表わすことから、形質の違う純系を交雑するとその子孫はどうなるかを調べる目的でエンドウマメの実験を行った。 8年に渡る実験結果をまとめるにあたり、粒子状の一対の因子を仮定すると子孫で観察された形質の分布(遺伝様式)がうまく説明できることがわかった。 例えば、茎の長さについての雑種同士の子(F1)で、茎の長いのが787株、短いのが277株得られた。 この比はほぼ3:1である。メンデルはこれを解釈するのに茎の長くなる因子と短くなる一対の因子を仮定した。 解釈を面倒にした優性という現象を配慮しても、粒子状のものがマメの形質(表現型)を決めているとした。 このように初めて仮定の概念として遺伝子は遺伝学に導入された(単因子遺伝)。
1883年:その少し後で、ゴルトン Galton は両親の身長(多因子形質)と子の身長の関係を調べて、回帰という現象を見出している。 それは、それぞれの両親の身長の平均値が集団全体の平均値からのずれが大きくなる(より高いか、より低い、の何れか)と、子の身長は子の集団平均値とのずれが小さくなる傾向が観察された。 すなはち、親子の身長をグラフにプロットする(横軸に親、縦軸に子)と直線が得られ、その勾配は45度より小さく回帰係数は0.325が得られた。 子の身長は両親から等量の寄与を受けると考えられるから、期待される回帰係数は0.5である。 これらの比は今日でいう遺伝力で、ゴルトンの例では0.65となる。 残りの35%は環境要因で身長が決ると考えることができる(多因子遺伝)。
1885年:ダーウィン Darwin は「種の起原」で効果の小さな有利な突然変異の蓄積が生物の進化で重要なことを強調している。 ダーウィンはメンデルの遺伝の法則を知らなかった。 二人が同時代に生きていたことを考えると感慨深いものがある。
1918年:フィシャー Fisher は多因子形質は多数の単因子と環境要因で説明できることを理論的に示した。 統計学でよく使われる二項分布、多項分布(いずれも離散型)の極限として正規分布を導く技法によったものである。 しかし、ポリジーンという用語は後にメイサー Mather(1949) によって導入された。
遺伝子の坦体としての染色体に関する研究を箇条書きに挙げる。
1928年:グリフィス Griffith は肺炎双球菌株の無細胞抽出液により、遺伝する変化が肺炎双球菌に生じることを観察した(形質転換)。 肺炎球菌のいろいろな株を調べ、(1)(滑らかな)S株を注射したマウスは死んだ。 一方、(2)(ざらざらした)R株を注射してもマウスは死ななかった。 また、(3)致死効果のあるS株を熱処理して後、マウスに注射したところ、何事もなく生きていた。 驚いたことに、(4)熱処理して不活性化したS株とR株を混ぜて注射したところ、マウスは死んでしまった。 死んだマウスの血液を調べるとS株の肺炎球菌が活性を持っていることがわかった。 R株の細胞がS株の細胞に変った(形質転換)としか言い様がなかった。 当時はこの驚くべき結果を信じるものはほとんどなく、疑いの目でみられた。 もちろん、この結果と遺伝との関係も気付かれなかった。
1944年:アヴェリー Avery、マクラウド MacCleod とマクカーティ McCarty はDNAが細菌の遺伝情報を担っていることを解明した。 彼らはグリフィスの観察を理解するために次の実験を行った。 S株の培養液(1)を溶菌後、抽出液(無細胞抽出液)を作製した(2)。 タンパク質、脂質、多糖類をすべて除去した後もその抽出液は肺炎球菌R株をS株へと形質転換する能力を持っていた(形質転換因子)。
その後の研究で、アヴェリーらはこれがDNAであることを突き止めた。 DNAにこの形質転換を起こす遺伝情報があるに相違ない。 グリフィスの観察もこれで説明できる。 熱処理では細菌のDNAは分解されなかったのである。 カプセル形成に対応する染色体の分画(S遺伝子)が分解されたS株から遊離して、R株に取り込まれたのである。 S遺伝子がR株のDNAに取り込まれると、R株はS株へと形質転換した(4)。
1952年:そしてハーシェイ Hershey とチェイス Chase が遺伝情報はDNAによって伝えられることを証明した。 バクテリオファージの外殻タンパク質を放射性の硫黄(35S)で、DNAを放射性のリン(32P)で標識した。 標識したバクテリオファージを細菌に感染させると、32P(DNA)のみが細菌の細胞内に入り、35S(外殻タンパク質)は細菌の細胞の外膜に付着した。 新たに完全なファージ粒子が細胞内で形成されることで、DNAが外殻タンパク質を含めた新たなファージ粒子を形成するために必要な遺伝情報の担い手であることもわかった。
1953年:ワトソンとクリックはDNAの二重らせんモデルを提唱した。
1977年:ヒトを含めた哺乳類の遺伝子は分断されており、DNAの遺伝子産物(表現型)の情報をコードする複数のエキソンが、砂漠のオアシスのようにDNA二重らせん上にポツン、ポツンとある。 その中間はイントロンといい、その塩基配列情報は直接使われない。 例えばヒトβグロビンには2つのイントロンがある。 βポリぺプチド鎖をコードする遺伝子DNAは1606塩基対(bp)である。 その構造は第1エキソンが143bp、第1イントロンが130bp、第2エキソンが222bp、第2イントロンが850bp、第3エキソンが26bpとこの順序でつながっている。 さらに第1イントロンの上流と第3エキソンの下流にそれぞれプロモーター領域と3'隣接領域とが遺伝子の領域に含まれる。 これが今日わかっているメンデル因子の物理化学的構造を示す典型的な一例である。
遺伝学の発達に関りのあったと考えられる先達の貢献(著書)を列挙してみる。 かなり私の恣意的なところがあるのはお許し願いたい。 重大な見落としがあればお知らせ頂ければ幸いである。 集団遺伝学の発展に関すると考えられる事項の頭に*を印した。 括弧内は貢献した研究者名である。
1839年 細胞は生きている生物の基礎単位である。 (Schleiden, Schwann) 1865年 *メンデルの法則(Gregor Mendel) 1879年 有糸分裂で染色体を観察(Flemming) 1883年 *量的遺伝の考え(Galton) 1885年 *種の起源(Charles Darwin) 1897年 酵素の発見(E Buchnner) 1900年 ABO血液型の発見(Landsteiner) 1902年 *ヒト形質がメンデル遺伝をする(Bateman、Garrod) 染色体の個別性(Boveri) 性染色体の発見(McClung) 1908年 *ハーデイ・ワインベルグの法則(Hardy, Weinberg) 1909年 *先天性代謝異常症(Garrod) *遺伝子、遺伝子型、表現型の考え(Johannsen) 減数分裂でキアズマの形成(Janssens) 1910年代 ショウジョウバエ遺伝学の台頭(Morgan等) *乗換え、遺伝連鎖、不分離、等々。 1915年 *遺伝子は染色体上にあり。遺伝の染色体説) (Morgan, Sturtevant, Muller, Bridges) 1918年 *The correlation between relatives on the supposition of Mendelian inheritance (Fisher) 1924年 *血液遺伝学(Bernstein) *統計分析(R A Fisher) 1926年 酵素はタンパク質である(J Sumner) 1927年 *X線で突然変異を誘発(HJ Muller) 1928年 肺炎球菌の形質転換(Grifth) 1930年代*家系分析(Haldane, Hogben, Fisher, Lenz, Bernstein) 1930年 *The GeneticalTheory of Natural Selection (Fisher) 1931年 *Evolution in Mendelian populations(Wright) 1932年 *The Causes of Evolution(Haldane) 1940年代 トウモロコシのjunping geneの研究(McClintock) 1941年 生化学反応の遺伝的調節(BeadleとTatum) マスタードガスによる突然変異誘発(Auerbach) 1944年 DNAは遺伝情報の物質的根拠(Avery) 1948年 *Les Mathematique de l'Heredite(Malecot) 1949年 *鎌状赤血球症は分子病である(Neel, Paulinng) *The Theory ofInbreeding(Fisher) *Biometrical Genetics(Mather) 1952年 遺伝子はDNAである(HersheyとChase) *ヒトで最初の連鎖群(Mohr) 1953年 *DNA構造(WatosonとCrick, Franklin, Wilkins) 1956年 ヒト染色体数の決定、2n=46(TijoとLevan) 1957年 DNA複製は半保存的(Fincham) 1958年 体細胞遺伝学(Pontecorvo) 1959年 薬理遺伝学(Motulsky, Vogel) 1960年 *Introduction of Quantitative Genetics(Falconer) 1961年 遺伝暗号はトリプレット(Brenner, Barnett, Watt-Tobin) 遺伝暗号の解読(Nirenberg, Mathaei, Ochoa) 遺伝子調節とオペロン(JacobとMonod) 細胞雑種(Barski, Ephrussi) 1962年 X染色体不活性化(Lyon) 1965年 センダイウイルスによる細胞融合(HarrisとWatkins) 集団細胞遺伝学(C Brown) *遺伝病のしきい値モデル(Falconer) 1966年 ヒトのメンデル遺伝形質のカタログ(McKusick) 1968年 制限酵素の発見(Arber) 1968年 *中立説の提唱(木村) 1968-1978年 *Evolution and the Genetics of Populations (Wright) 1970年 逆転写酵素(Baltimore,Temin) 染色体バンド(Zech, Casperson, Lubs, Drets) *An Introduction to Population Genetics Theory(CrowとKimura) 1971年 *The Genetics of Human Populations(Cavalli-SforzaとBodmer) 1972年 *ヘテロ接合性の割合(HarrisとHopkinson, Lewontin) 1974年 染色質構造、ヌクレオソーム(Kornberg, Olins & Olins) 1975年 アシマロ会議 *量的形質座位 QTL(Geldermann) 1977年 エキソンとイントロン(Gilbert) DNA配列の決定法(Sanger, MaxamとGilbert) 1979年 in vitro での遺伝子合成(Khorana) 1981年 ヒトのミトコンドリアゲノムの塩基配列決定(Anderson) 1983年 *The Neutral Theory of Molecular Evolution(Kimura) 1985年 ポリメラーゼ連鎖反応(Saiki, Mulis) 1988年 ヒトゲノム計画のスタート 1994年 高解像度のヒトゲノムの物理的地図
集団遺伝学は遺伝子集合の統計学である。 遺伝子の物理化学的構造がわかる以前ではメンデルの考えた因子を基にして理論が展開した。 それは主として遺伝子の機能の面から考察されたもので、当時は問題とする遺伝子の有無で観察される遺伝現象を説明していたので止むを得ないことであった。 1930年代にほぼ骨組みが完成した古典的集団遺伝学理論はフィシャー、ライト、ホールデンによるところが大きい。 ところが遺伝子がDNAであるとの物理化学的性質がわかり始めると、遺伝子の構造も理論に取り込まれるようになった。 分子集団遺伝学への理論の展開がはじまったのである。 木村の中立説はその試みの成果の代表的な応用例であろう。
この講座では、最初は遺伝子としてメンデル因子を念頭にして話を進めていくが、折りに触れて遺伝子DNAの特徴を取り込んだ分子集団遺伝学の理論についても言及したいと考えている。
くわしい文献については別にまとめたいと考えている。 ここではむしろ人類遺伝学の入門書として次の3冊を挙げておく。