安田徳一{YASUDA,Norikazu}
自然集団において、選択が遺伝子頻度を変える要因となるのは、生物進化の上ではそのほんの一部でしかない。たまたま適切な時間と場所を得た個体が生存するのであり、生存や妊性の相違の多くは機会的である。過剰なほどたくさんの子を産み、そのほんの一部が成育する生物では特にそうである。仮に偶発的な事故からすり抜けてもそれは遺伝的というよりはむしろ表現型上の相違である。発生初期の異常はその一例である。環境ではなく遺伝子型の違いによる選択のみが将来の世代の遺伝的構成に影響するのである。遺伝子型選択の大部分はたえず生じる突然変異に向けられる。より適応した親から分離、組換えで生じるより不適応の遺伝子型を除き、環境の変化に対応していく。したがって大部分の選択は進化的な変化より静的な状態を保つように働く(Haldane 1954)。
集団が多様性を保つには多々の機構が考えられる。相反する方向に働く要因の拮抗によるのか、あるいは変異が過渡的であるのか。これらの主なものに次があげられよう。
(1)現象的な多型
過渡多型transient polymorphism
(2)突然変異が原因となる多型
突然変異と機会的浮動の釣合い(中立多型)neutral polymorphism
突然変異と選択の釣合いbalance between mutation and selection
(3)選択が主原因となる多型
ヘテロ接合有利selection favoring heterozygotes
環境の相違Heterogeneous environment
(4)その他の多型
配偶子選択と接合体選択conflicting gametic and zygotic selection
選択と移動balance between selection and migration.
過渡多型は対立遺伝子が置換わる過程で観察される。したがってその多型を示す遺伝子頻度は世代の経過と共に変るから、そこで観察される多型は毎世代変り、一定の遺伝子頻度を保たないという意味で安定でない。遺伝子頻度の変化は通常、突然変異だけで平衡状態に到達するにはその変異率に反比例するし、あるいは(弱)選択による変化は選択係数に反比例するから、多型を示す世代はたいへん長いに相違ない。このことは自然状態では平衡多型と過渡多型とを区別することが非常に難しいことを意味する。
突然変異が主な原因となる多型の機構として2つ挙げる。突然変異と遺伝的浮動、それに突然変異と選択である。一連の対立遺伝子の適応度が同じもしくは相違が突然変異率より小さいなら、異なる遺伝子型の頻度はほぼ突然変異率で決まる。この場合集団の大きさが小さければ無作為的な消失の効果が重要となり、突然変異率と機会的浮動の拮抗が多型の一要因となる。
集団が十分大きいと突然変異率と選択の釣合いが重要な機構である。
ヘテロ接合が最適の遺伝子型である超優性モデルは選択が多型の原因となる典型的な例である。古典的な例として鎌状赤血球症が挙げられる。その他に複対立遺伝子座モデル、適応度にゆらぎが考えられるモデル、生態棲息の多様性モデルなど状況に応じて工夫されている。
その他に分離の歪みを伴う配偶子選択と接合体選択などがある。
突然変異遺伝子の大部分はもとの野生型遺伝子に対して多少なりとも有害な作用を示すことが知られている。したがってこれらは出現と同時に選択されて、急速に集団から消失されることになる。ところがそれらの突然変異遺伝子が常にかなり低い頻度で集団中に存在する理由の一つは、新しい突然変異recurrence mutationの世代毎に生じる発生率が低いためで、これと選択による突然変異遺伝子の消失とがバランスするためであると考えられる(古典仮説Dobzhansky TH 1955)。
一つの座位の突然変異遺伝子gの正常対立遺伝子をGとする。それぞれの対立遺伝子頻度をq,p(=1-q)としよう。また、Gからgへの1世代あたりの突然変異率をuとする。突然変異遺伝子の1世代あたりの増加率は
Δq = pu
任意交配集団での3種類の遺伝子型の頻度と選択値を次の通りであるとしよう。
遺伝子型 GG Gg gg 遺伝子型頻度 p2 2pq q2 選択値 1 1-hs 1-s
集団適応度 w=1-s(2pqh+q2)
選択による突然変異遺伝子の世代あたりの減少率は
Δq = -spq{hp+(1-h)q}/w
したがって、ネットとしての突然変異遺伝子の変化率は両者のΔqの合計
Δq = pu-spq{h+(1-2h)q}/w
だが、平衡状態では遺伝子頻度は変化しないからこの値Δqは0となる。すなわち
u = sq{(1-2h)q+h}/w
この式から平衡頻度qe求めることができる。電算機を用いれば容易に数値が得られるが、生物学的に意味のある状況での解析的な近似値を調べてみよう。
このとき1-2h≒0となるから、u=shqe/w.しかし、wはせいぜい大きくて1に近い正の数で、突然変異率は選択係数よりずっと小さいのが普通であるから(u≪sh)、
qe = u/sh
は1に比べて非常に小さい値である。またwはqeが小さければほぼ1に近いから、これが求める平衡頻度である。
この結果は次の考えからも求めることができる。突然変異遺伝子は毎世代uの割合で現れるが、自然選択でおよそそのshの分が消えるから
u = shqe
となり、これからも突然変異遺伝子の平衡頻度が求められる。
この場合は
qe2 = (u/s)w
だから、u/s≪1なら、w〜1であることから、
qe = √{u/s}
が得られる。この結果は出現率uの突然変異遺伝子がホモ接合でsだけ消失すると考えれば簡単に求まる。すなわち、u=sqe2からも得られる。
選択係数が突然変異率よりずっと大きければ、突然変異遺伝子の平衡頻度は非常にちいさく、したがって集団適応度はほぼ1とみなせる。このことから突然変異遺伝子の平衡頻度は次のqの2次方程式の解として得られる。
u = sq{(1-2h)q+h}
さらに h≫√{u/s} ならば
qe = u/(sh)
が得られる。ここで平衡頻度がヘテロ接合の選択係数shと突然変異率uで決まることに注目すると、突然変異遺伝子の大部分が平衡状態ではヘテロ接合で選択を受け、ごくまれに出現するホモ接合体の選択は大勢にほとんど影響しないことがわかる。
ショウジョバエの劣性突然変異遺伝子の多くは完全劣性でなく、ヘテロの状態でも若干有害である。特に致死遺伝子lethalや半致死遺伝子semilethalはヘテロで選択値が数%低下することが知られている(例、 Hiraizumi and Crow 1959)。この場合、h=0.02〜0.05,s=0.5〜1.0,u=10-6〜10-5だから、h≫√{u/s}の条件はほぼ満たしているので、上記の例に該当しよう。例えばh=0.02、u=10-5ならqe=5x10-4となる。一般に突然変異と選択との平衡では突然変異遺伝子の頻度は非常に低いのが特徴である。
ヒト集団ではいとこ婚などの近親婚があり、ホモ接合体の頻度が若干多くなる。集団の近交係数をαとすると受精時の各遺伝子型頻度は変るが、選択値、遺伝子頻度、突然変異率は任意交配集団でも変らないから、すでに用いた記号をそのまま使うことにする。
遺伝子型 GG Gg gg 遺伝子型頻度 p2+pqα 2pq(1-α) q2+pqα 選択値 1 1-hs 1-s
突然変異率 u : G⇒g
ホモ接合の除去と新生突然変異の釣合いから
αq+(1-α)q2 = u
から、ほぼ qe=u/α が得られる。ただし α2≫u とする。
突然変異遺伝子の平衡頻度は少々の計算の後(受講者は確かめることをお進めする)、次の結果が得られる。パラメータについての仮定は任意交配集団での条件とほぼ同じである。
qe = (u/s)z
ただし、z = 1/{h+(1-h)α}である。α=0なら任意交配集団であり、z=1/hとなり平衡頻度はqe = u/shで前に得た結果と一致する。また、完全劣性 (h=0) なら、 qe=u/(sα)で致死(s=1)の場合この式で表わすことができる。
突然変異遺伝子gは雄、雌いずれにおいても有害であるとし、雄における選択係数をs*、雌における選択係数をヘテロでs**h**、ホモでs**とする。g突然変異対立遺伝子の受精直前での頻度を雄、雌それぞれでq*、q**とする。選択の結果、次の世代の受精直前の遺伝子頻度は第19回講座で示したようになる。
{ q*’ = (1-s*)q**/(1-s*q**) q**' = A/B
ここで
A = (1-s**h**){(1-q*)q**+(1-q**)q*}/2+(1-s**)q*q** B = 1-s**h**{(1-q*)q**+(1-q**)q*}-s**q*q**
である。gの頻度が低いときには自然選択による遺伝子頻度の変化率は近似的に次のように表わすことができる。
{ Δq* = (1-s*)q**-q* Δq** = (1-s**h**)(q*+q**)/2-q**
一方、Gからgへの突然変異率を雄、雌それぞれでu*、u**であらわせば、これによる変化率は
{ Δq* = (1-q*)u* Δq** = (1-q**)u**
である。自然選択と突然変異が釣り合う状態ではそれぞれの変化率がネットとして0になるから、次の式が得られる。
{ (1-s*)q**-q*+(1-q*)u* = 0 (1-s**h**)(q*+q**)/2-q**+(1-q**)u** = 0
これから、次のような平衡頻度が得られる。
{ qe* = {(1+s**h**)u*+2(1-s*)u**}/{s*(1-s**h**)+2s**h**} qe** = {(1-s**h**)u*+2u**}/{s*(1-s**h**)+2s**h**}
血友病のようにgがGに対して完全劣性であればh**=0だから、上式は
{ qe* = {u*+2(1-s*)u**}/s* qe** = (u*+2u**)/s*
となる。さらに雄と雌で突然変異率が同じなら、u* = u** = uとおいて
{ qe* = (3-2s*)u/s* qe** = 3u/s*
が得られる。qe**は定義により雌配偶子のX連鎖のたとえば血友病遺伝子の平衡頻度で、これは男子新生児での血友病の発生頻度Iである。健康な男子が子どもを残す数を1として、血友病の男子のそれをf (=1-s*)とすれば、パラメータ I と f は観察することができるから
u = (1/3)(1-f)I
の式から突然変異率を推定することができる。ホールデン(Haldane 1935)はこの考えに基づいて、ヒトの突然変異率を血友病で初めて求めた。すなわち、イギリス、ロンドンでI=(4〜16)x10-4、f=0.25という値から、血友病遺伝子の突然変異率はu=2.5x10-5と推定した。
第18回講座で指摘したが、突然変異遺伝子が集団に存続する世代数は選択係数に反比例する。個々の突然変異遺伝子は子どもが生まれることによって次の世代に伝えられていくが、その確率はfである。したがって伝えられない確率は1-fとなるから、n-1世代伝わってn世代目で伝わらなくなる確率はfn-1(1-f)となる。したがって、突然変異遺伝子が集団に存続する平均の世代数tは
t = 1(1-f)+2f(1-f)+3f2(1-f)+... = 1/(1-f) {=1/s}
一般に遺伝性疾患の発生率Iが突然変異と選択の釣合いによると考えられるとき、
I = ut{=u/(1-f)}
の公式が成り立つ。これはダンフォースの公式と呼ばれている(Danforth 1923)。
ホールデンの方法が優れている点は1世代で観察できる遺伝性形質の発生率とその選択係数を用いて突然変異率を推定したことで、ダンフォースは突然変異遺伝子の平均存続世代数という幾世代にもわたるパラメータを必要としたのが難点であった。なお両者の研究は互いに独立に行われたものである。
突然変異率を推定するこの方法は間接法といい、一般に次の公式に集約される。
u = C(1-f)I
ここで、fは次の世代に問題の遺伝子を伝える確率で実際には生殖率に関る生存率、婚姻率などの近似値を用いる。
遺伝様式 C 発生率(I) 常染色体優性 1/2 全集団 常染色体劣性 1 全集団 X連鎖劣性 1/3 男集団 Y連鎖(限男性) 1 男集団
DNA,RNAの塩基配列が容易に調べられるようになり、突然変異遺伝子の生化学的性質が解明されるようになって、突然変異個体を直接カウントする、いわゆる直接法で突然変異率が求められるようになった。
選択は通常、遺伝子頻度を変える最強の因子とみられるが、突然変異はたえず新しいタイプの遺伝子を遺伝子プールに供給するものと考えられている。遺伝子DNAの構造が明らかになり、一遺伝子座に対立遺伝子としてほぼ中立な突然変異遺伝子が無限にあるモデルが考案されるようになった。一方、弱い選択が作用するときの集団の遺伝子頻度は主に遺伝的浮動と突然変異の釣合いで決まる。ここではとりあえず中立な複対立遺伝子の平衡頻度を浮動を考えずに(決定論的方法で)求めるよう。
k個の複対立遺伝子をG1,G2,...,Gkとする。突然変異によりGiが他の対立遺伝子に変化する確率は
(u1i+u2i+...+uki)pi (i≠j)
ここでuijは突然変異によりGiからGjに変る確率でpiはGi遺伝子の頻度である。一方、他の遺伝子からGiに変る確率は
uj1p1+uj2p2+...+ujkpk (j≠i)
一世代あたりのGi遺伝子の変化率は
Δpi=-(u1j+u2j+...+ukj)pi+uj1p1+uj2p2+...+ujkpk (j≠i)
となる(Wright 1949)。
平衡状態では対立遺伝子の頻度は変化しないから、Δpi=0。すなわち
pi=(uj1p1+uj2p2+...+ujkpk)/(u1i+u2i+...+uki)
対立遺伝子が2つの場合は
{ p1 =u21p2/u12 p2 =u12p1/u21
であるが、p1+p2=1であることに注意すれば、上式のいずれかの一方から、
たとえばp1=u21(1-p1)/u12が得られるから、これから
{ p1 =u21/(u12+u21) p2 =u12/(u12+u21)
平衡頻度が得られる。p=p1 , u12=u , u21=vとすれば、これは第17回講座の6.2.2の可逆突然変異の場合と一致する。3対立遺伝子以上の場合の平衡頻度も同様にして求めることができる。
もしすべての突然変異率が同じ(uij=u)なら、平衡頻度はpi=1/kである。2対立遺伝子の場合は1/2であることは明らかであろう。しかしながら、突然変異率が一般に10-6〜10-5であることを勘案すると平衡頻度へ近づく速度は非常に遅い。平衡頻度の近くでの遺伝子頻度の変化を調べると、そのずれの相対的変化率はその複対立遺伝子座の総突然変異率(U=Σuij,i≠j)に等しい。たとえば複対立遺伝子数k=100とすると、U=10-4で平衡点までのずれが半分になるまでに約7,000世代かかる。突然変異のみによる平衡点へ近づく速度はたいへん時間のかかる過程である。 実際には遺伝子頻度を変える他の要因が働くので、自然の状態で突然変異圧のみによる平衡多型はまずほとんどないであろう。
突然変異と選択の釣合いを考えるにあたり、従来は2対立遺伝子を取り上げ逆突然変異率を無視してきた。8.3節でのべたように野生型遺伝子はいくつもの違った突然変異を起こすことが考えられる。個々の突然変異遺伝子の頻度がまれでヘテロの状態で選択されるなら、突然変異は二重ホモなどとなることはまずなく互いに作用することはなかろう。したがってその頻度は野生型遺伝子からの突然変異率の合計による。
ショウジョウバエの突然変異実験によると可視効果を伴う2つの突然変異の組合わせは二つの突然変異ホモ接合の中間型であることが度々である。つまりほとんど相互作用がないといえよう。突然変異の複遺伝子系は2対立遺伝子系とは結果においてほとんど違いがないであろうと考えられている。
このモデルを簡単にまとめてみよう。世代について連続模型を考え、選択と突然変異による複遺伝子頻度の変化を次のようにあらわす。
dpi/dt=pi(wi-w)-pi(ui1+ui2+...)+(u1ip1+u2ip2+...)
突然変異の有害効果が突然変異率より大きければ、逆突然変異を無視してもそれほど精度に影響がない。したがって最後の括弧の項を0とおき、dpi/dt=0とすれば、
(w0-w)=u01+u02+...
ここで添字0は野生型対立遺伝子を表わす。これは区別のつかないイソ対立遺伝子isoalleleをまとめる場合に相当する。
すなわち、平衡状態では野生型の平均過剰average excessと突然変異複対立遺伝子への突然変異率の総計とが釣り合う。この結果は適応度をマルサス径数で測ることと、野生型へ戻る逆突然変異がないことを前提としている。しかし、対立遺伝子の数、交配様式、突然変異遺伝子から別の突然変異遺伝子への突然変異率については何の仮定もしていない。
突然変異対立遺伝子の間に相互作用がないとし、そのすべてが野生型対立遺伝子に対して劣性であるとしよう。野生型の遺伝子型の適応度をマルサス径数mで測りそれをを0とする。突然変異型の遺伝子型GiGJの適応度を-sijとしよう。 前節から
m0-m=ΣPijsij=u01+u02+...
ここでi,jは野生型遺伝子を除くすべての突然変異遺伝子を表わす。突然変異遺伝子のホモ接合とヘテロ接合による適応度の低下の平均は
s=ΣPijsij/ΣPij
したがって
ΣPij=(u01+u02+...)/s
すなわち突然変異表現型の合計頻度は総突然変異率と突然変異表現型の(重み付き)平均適応度との比に等しい。ここで適応度はマルサス径数で測るものとする。世代の離散型モデルでの2対立遺伝子の場合にも同様な公式が得られる。
野生型G0G0の適応度を0とし、突然変異ホモ接合GiGiの適応度を-sii、突然変異ヘテロ接合の適応度を-sijとする。さらに野生型遺伝子と突然変異遺伝子のヘテロ接合G0Giの適応度を-hisiiとしよう。そうすると
Σ(hisiiP0i)/p0=Σu0i
一方、
-m=2ΣhisiiP0i+ΣPijsij
ただしΣはすべての突然変異遺伝子についてとるものとする。優性の度合が無視できない程なら、上式の右辺の第2項は無視できよう。また次の関係
Σ(hisiiP0i)/ΣP0i=<hs>
に注意すると
ΣP0i = {Σu0i/<hs>}/{p0/(2p0-1)} 〜 p0{Σu0i/<hs>}/
ここで野生型遺伝子の頻度p0は突然変異遺伝子の頻度の合計1-p0より十分大きい状況での近似である(2p0-1≫0)ことに注意しよう。
任意交配ではP0i=p0piであるから、
Σpi〜(Σu0i)/<hs>
ヘテロ接合に対しての選択が強いとき、おおよその近似だが突然変異対立遺伝子頻度の合計は野生型遺伝子からあらゆる突然変異遺伝子への突然変異率の合計とヘテロ接合に対する平均選択係数との比に等しい。