前回の講座では、単一遺伝子座に2対立遺伝子がある場合のハーディ・ワインベルグの法則を示した。 ハーディ・ワインベルグの条件が成り立つかぎり、あるいはほぼ満たすなら、(1)遺伝子頻度は毎世代同じである、(2)遺伝子型頻度は遺伝子頻度の積であらわせる。 後者は形式的に
からもわかるように(2)遺伝子型頻度は遺伝子頻度で表すことができる。 ここでA,B,Cは対立遺伝子、AA,BB,CC,AB,AC,BCは遺伝子型であり、各項の係数がそれぞれの頻度である。 例えば、pはAの遺伝子頻度、r**2はCCの遺伝子型頻度である。 (1)ハーディ・ワインベルグの条件が成り立つかぎり、遺伝子頻度は毎代変わらないことは2対立遺伝子の場合と同じである(前回の講座で述べた2対立遺伝子の場合と同様に、交配型頻度と子供の分離比から確かめて下さい)。
このことは一般にn個の対立遺伝子があっても成立する。 このとき遺伝子型のうちホモ接合体の種類はho=n、ヘテロ接合体の種類はhe=n(n-1)/2である。 したがって、数えられる遺伝子型の最大数はg=n(n+1)/2となる。 n=2ならば、ho=2,he=1,g=3、n=3ならばho=3,he=3,g=6で、これまでで明らかな通りである。
無限アリルモデルでは、各ホモ接合体の頻度はそれぞれの遺伝子頻度の自乗で表され、各ヘテロ接合体の頻度は構成する2対立遺伝子頻度の積の二倍となる。 遺伝子頻度も変わらない。 実務の面でVNTR多型(variable number of tandem repeat polymorphism:一般に縦列反復配列のコピー数の違いで見らられる多型、ヒトでは高度の多型を示すミニサテライトminisatiellite DNA配列を指す)などでこのモデルは有用である。
なおハーディ・ワインベルグの条件の一つ、任意交配の仮定は考察する遺伝子座について配偶子の間の機会的結合が満たされていればよい。 任意交配の行われている集団は、完全混合 panmixis の状態にあるともいう。
ヒトの健康な男子ではX染色体は一本、健康な女子では二本ある。 X連鎖遺伝子座の対立遺伝子をA,aとする。 それぞれの対立遺伝子頻度を男子ではpm,qm、女子ではpf,qfで表そう。 男子はX染色体について一倍体であるため、遺伝子頻度型頻度は遺伝子頻度に等しい。 二倍体の女子の遺伝子型頻度をrAA+2sAa+taa(r+2s+t=1)で表すと、女子での遺伝子頻度はpf=r+s, qf=t+s である。
ハーディ・ワインベルグの条件のもとで、この集団から構成される次の世代について考えてみよう。 男子の一本のX染色体は母親由来であることと、女子の二本の染色体はそれぞれ両親由来であるから、遺伝子型頻度は形式的に次のようになる。
男子 | pfA+qfa |
---|---|
女子 | pmpfAA+(pmqf+pfqm)Aa+qmqfaa |
次の世代のa遺伝子の頻度は次のようになる。
男子 | q'm= qf |
---|---|
女子 | q'f= (pmqf+pfqm)/2 + qmqf = (qm+qf)/2 |
これから次のことがわかる。
遺伝子頻度qm, qfは共通の値qに近付くと同時に、両性における遺伝子型頻度も平衡状態に到達する。 ここにqは一番最初の創始者集団 founder population での男子と女子のa遺伝子頻度の平均である。 X染色体は男子に1つ、女子に2つあるから、実際にはq=(qm+2qf)/3で与えられる。 この値はまたどの世代でも男子と女子のa遺伝子頻度の平均で、一定である(確かめてみよ)。 形式的に表すと
男子 | (1-q)A+qa |
---|---|
女子 | [(1-q)**2]AA + 2(1-q)qAa + [q**2]aa |
ハーディ・ワインベルグの平衡が一世代で得られないのは明らかであろう。 もちろん平衡状態に到達したあと、遺伝子頻度は変わらない。
A遺伝子についても同じようにして確かめることができる。 各自検討されたい。
例題: それぞれ同じ遺伝子型のショウジョウバエ雄雌5匹から成る創始者集団で aa x Aの交配から始めたとすると、雌雄の遺伝子頻度はどう変化するだろうか。 最初(t=0)はqf=1,qm=0,qm-qf=-0.5,である。 次代(t=1)では qf=0.5,qm=1.0,qm-qf=0.5、t=2ではqf=0.75,qm=0.5,qm-qf=-0.25、t=3ではqf=0.625,qm=0.75,qm-qf=0.125、t=4では qf=0.687,qm=0.625,qm-qf=-0.062、t=5では qf=0.656,qm=0.687,qm-qf=0.031、... 。 平衡状態ではq=qf=qm=0.667,qm-qf=0.となる。 t=0ではqf=1,qm=0だから、平均値はq=(2x1+1x0)/3=1/3=0.667である。 また遺伝子頻度の雄雌差qm-qfの絶対値はt=2で半減しているが、以後の世代でも継続して半減する。 これは創始者集団で大小に関わらず差がある限り見られる現象である((3)を参照のこと)。
創始者集団でX連鎖遺伝子頻度に雌雄で差があるとき、平衡頻度に到達するまでのこの頻度の振動 oscillatory approach は Jennings(1916)が最初に数値で示した。 [Jennings HS 1916 The numerical results of diverse system of breeding. Genestics 1:53-89.]
X連鎖の複対立遺伝子が考えられる場合も、個々の対立遺伝子についてこれまでに述べたことが成り立つことから明かであろう。
どの生物でも遺伝子座の総数は染色体の本数とは比べるまでもなく多いから、多数の遺伝子座を取り扱う際にはつねに連鎖の可能性を念頭におかなければならない。
ここで連鎖について簡単に説明しておこう。 2つの形質をコントロールする遺伝子座をA,Bとし、それぞれに対立遺伝子がA,aとB,bであったとしよう。 A,Bの両遺伝子座が同じ染色体にあるかどうかは交配実験あるいは家系調査を行って決めざるを得ない場合を考えてみよう。
この判断でかぎとなるもっともよい交配(家系)は2重ヘテロと2重ホモの組合せである。 たとえば、AaBb x aabb が優劣の関係がある際には重要である。 2重ヘテロAaBbには2通りの配偶子(ハプロタイプ)型が考えられる。 AB/abとAb/aBである。2重ホモaabbの配偶子型はab/abである。
A,B両遺伝子座の染色体上での位置関係から次の4通りの場合が考えられる。
前述の(1),(2)はc=1/2だから、連鎖していない、(3),(4)はcが1/2より小さいから連鎖している。
組換え価の計算方法の例。 X染色体の2遺伝子座を取り上げてみよう。 Aはaに対して優性、Bはbに対して優性とする。 M氏は両形質についていずれも劣性であるが両形質ともに優性の娘さんがたくさんいる。 彼女たちはみな結婚して、合計すると40人の息子(M氏の孫)がいる。 そのうちの15人が両形質とも劣性で、17人が両形質とも優性で、残りの8人は一方が優性で他方が劣性であった。 娘たちは父親(M氏)からabのX染色体を、母親からはABのX染色体を遺伝している。 したがって、娘たちの配偶子型はAB/abである。 40人の孫息子のうち8人が組換え型だから、組換え価は8/40=0.2、あるいは百分率で表して、20センチモルガン(cM)ということがある。 1cMはDNAの塩基配列約1000kbに相当するが、両者の比例関係が成り立つのはほぼ20〜25cM位までである。
ここでもっとも簡単な場合として、常染色体上で互いに連鎖した二つの遺伝子座をとり、同一染色体上にある異なった遺伝子の組合わせ頻度が、世代とともにどの様に変化してゆくかを明らかにしよう。
単一遺伝子座の場合と異なり、2座位以上を考えたモデルでは平衡状態に到達するのに何世代もかかることを示そう。
組換え価 recombination frequency cの2遺伝子座を考察しよう。 連鎖していない遺伝子座位ではc=1/2の場合と考えることができる。 A座位にはn個の複対立遺伝子が、B座位にはm個の複対立遺伝子があるとしよう。
A対立遺伝子 | A1,A2,Ai,Aj,An |
---|---|
遺伝子頻度 | p1,p2,pi,pj,pn |
B対立遺伝子 | B1,B2,Bk,Bl,Bm |
遺伝子頻度 | q1,q2,qk,ql,qm |
第t世代の配偶子プールでのAiBkの頻度をPt(AiBk)とする。 これを簡単にPtとあらわして、継世代でどう変化するかをみてみよう。
第t世代の配偶子が第t-1世代から形成されるには2通りある。 A,B座位間で乗換えが起きなかった場合(1)と起きた場合(2)である。 この場合それぞれの確率は1-c,cである。 (1)の場合によるAiBkの頻度は第t-1世代の頻度、Pt-1と(1-c)の積である。 (2)の場合では、第t世代の配偶子のA対立遺伝子とB対立遺伝子は第t-1世代の異なる配偶子から、すなわち、一方は卵子から、他方は精子から由来する。 任意交配を仮定すると精子と卵子は独立、つまりA座位とB座位は独立である。 したがって(2)の場合での第t世代の配偶子AiBkの頻度はpiqkcとなる。 これらをまとめると
なる関係が得られる。
両辺からpiqkを差し引くと、次のように書き換えることができる。
この論法を世代を遡って繰り返すと次の結果が得られる。
ここにP0は創始者集団におけるAiBkの頻度である。
世代tが経過すると、AiBkの頻度Ptは次第にpiqkの値に近づく。 特に連鎖のないc=1/2の場合は毎世代半減しながら平衡頻度に近づく。 放射能の半減期のように平衡頻度までの半減世代数で、その変化速度を測ってみよう。 半減世代数は定義により(1-c)**t=1/2を満すtの値である。 これから
たとえば連鎖のないc=1/2なら、半減世代はt=1で子の世代である。 c=0.1なら0.693/0.1=7世代、c=0.01ならt=69 世代、t=0.001ならt=693世代を要する。
この原則を例示すると次のようになる。
遺伝子型頻度 | ||
---|---|---|
遺伝子型 | 配偶子頻度で表現 | 遺伝子頻度で表現 (平衡状態) |
すなわち、平衡状態において二重ヘテロ接合(相引と相反の)2つの連鎖の相が等しい頻度である。
平衡状態に達しない状態での配偶者頻度と平衡状態での配偶者頻度の差を連鎖不平衡値Dという。 2座位2対立遺伝子の場合には次の関係が成り立つ。
ここで右辺のPは第t世代での配偶子頻度であることに注意されたい。 これはまた複対立遺伝子の場合にも一般化できる。
このことから、長く任意交配が続いてきた自然集団において、2つの形質の間に相関が見いだされても、これに関与する遺伝子の間の連鎖によるものと考えることは根拠がないことがわかる。 強度の近親交配が行われたり、2つの遺伝子座の間で適応度に関する交互作用があったり、外部集団との個体の交換があったりするとこのかぎりではない。
独立分離をする(連鎖していない)遺伝子座でも、連鎖平衡は1世代では達せられないで、ずれは毎代50%ずつしか減少しないとういことである。 これは数値的にJennings(1917)が最初に報告し、Robbins(1918)が指摘したとされている。 Weinberg(1909)が最初に気づいたが、ドイツ語の雑誌で注目されなかった。 ここでの説明はフランスの数学者Malecot(1948)による。
Jennings, HS 1916 The numerical results of diverse systems of breeding. Genetics 1:53-89. Malecot, G 1948 Probabilites et Heredite. Presses Universitaires de France. Robbins, RB 1918 Some applications of mathematicis to breeding problems III. Genetics 3:375-389. Weinberg, W 1909 Uber den Vererbungsgesetze beim Menschen. Z. Indukt. Abstammungs Vererbungsl. 1:277-330.
次回はハーディ・ワインベルグの法則の応用例を紹介したいと思います。