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29.ワクチンによるウイルス感染症の根絶(2):天然痘の根絶
(社)予防衛生協会理事 |
天然痘根絶計画にいたる道のり |
ジェンナーは1796年に最初の種痘を行ったのち、1801年に発表した論文の最後で種痘を広めて行くことにより世界から天然痘が根絶されることを予言していました(1)。しかし、その予言が現実のものになるまでには、幾多の紆余曲折がありました。
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ワクチニアウイルスの起源 |
ジェンナーの種痘は牛痘の病変部の膿を用いたものと言われています。しかし、現在の天然痘ワクチンに含まれているのは牛痘ウイルスではなく、ワクチニアウイルスです。牛痘ウイルスはリスなど齧歯類を自然宿主としていて、それがたまたま牛に感染しています。一方、ワクチニアウイルスの由来は謎とされています。昔は天然痘ウイルスと牛痘ウイルスの雑種ではないかという説も唱えられたことがありました。しかし、3つのウイルスの遺伝子を調べると、いずれもまったく別のものです。ワクチニアウイルス研究の第一人者であるデリック・バックスビイ(Derrick
Baxby)は、ワクチニアウイルスの起源として、馬痘ウイルスを提唱しています(4)。ジェンナーは、牛痘の発生状況を観察した結果、馬のグリース(注:かかとの部分にできる炎症で脂肪がたまることがあるため、潤滑油を意味するグリースと呼ばれました。原因は馬痘ウイルス感染です)の手当をした人が手を洗わずに牛の乳をしぼったために牛がグリースに感染したのが牛痘と述べていました。さらに、馬のグリースに感染した人に天然痘を接種してみて免疫が出来ていることも証明しています(5)。ジェンナーが種痘に用いたのは、現在、牛痘と言われるものとは別のものだったと考えられるわけです。ワクチニアウイルスは馬痘ウイルスが天然痘ワクチンとして生き残ったものとみなされるというのがバックスビイの見解です。
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牛を用いた天然痘ワクチンの製造 |
天然痘ワクチンは当初は痘苗と呼ばれていました。ワクチン製造用の牛の腹部の皮膚に種ウイルスを苗のように植えて、生じた発痘病変の膿からワクチンを調製していたためです。私が天然痘ワクチンに取り組んでいた1950年代終わりはまだ痘苗が正式名称でしたが、その後、痘瘡ワクチンに変更され、現在もこれが正式名称になっています。天然痘ワクチンは一般の呼び名です。
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天然痘ワクチンからの雑菌の除去法 |
ワクチンの原材料は種ウイルスを接種してから4、5日後に腹部一面に出てくる発痘病変の膿を採取したもので、粗苗と呼ばれていました。これを乳剤にしたのが痘苗すなわち天然痘ワクチンです(図2)。牛の腹部は滅菌した大きな布 で覆われていましたが、牛は牛舎の中につながれていたため、当然のことながら細菌も多数増殖してきます。私が製造にかかわっていた当時、乳剤にした段階ではブドウ球菌だけで1
ml中に10億個も含まれていました。まさに細菌を培養していたようなものでした。ワクチンの成分であるワクチニアウイルスを殺さずに細菌だけを殺すのは、抗生物質を使えば簡単ですがワクチンに抗生物質が含まれることは許されていなかったため、不可能に近い難題でした。天然痘ワクチンの改良の歴史では雑菌除去法がきわめて重要な課題だったのです。
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天然痘ワクチンの保存法の改良 |
牛で天然痘ワクチンが製造されるようになった当初、ワクチンを保存する方法はありませんでした。19世紀後半には医師の家に発痘病変が出た牛を連れて行って、その牛から採取したワクチンをその場で接種していました(図3)。19世紀後半から普及し始めたアイスボックスの利用、ついで20世紀に電気冷蔵庫が用いられるようになって、初めてワクチンが長期間保存できるようになりました。
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ウイルス学の進展にともなった天然痘ワクチンの開発 |
WHOの天然痘根絶計画が始まった頃、ワクチン製造の技術は動物から孵化鶏卵、さらに細胞培養へと進歩していました。それらの成果を天然痘ワクチンに応用する試みも当然のことながら行われていました。
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天然痘ワクチンの力価測定 |
ジェンナーは種痘を受けた人の腕で発痘の有無を調べて、ワクチンの効果を確認していました。
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参考文献 |
1. 加藤四郎:ジェンナーの贈り物。菜根出版、1997. 2. Hopkins, D.R.: The Greatest Killer: Smallpox in History. University of Chicago Press, 1983. 3. Tucker, J.B.: Scourge. The once and future threat of smallpox. Atlantic Monthly Press, 2001. 4. Baxby, D.: Jenner’s Smallpox Vaccine: The Riddle of Vaccinia Virus and its Origin. Heinemann Education Press, 1981. 5. 添川正夫:日本痘苗史序説。近代出版、1987. 6. Tulman, E.R., Delhon, G., Afonso, C.L., Lu, Z., Zsak, L., Sandybaev, N.T., Kerembekova, U.Z., Zaitsev, V.L., Kutish, G.F., & Rock, D.L.: Genome of horsepox virus. J. Virol., 80, 9244-9258, 2006. 7.山内一也:エマージングウイルスの世紀。河出書房新社、1997. 8. MacNalty, A.S.: The prevention of smallpox: from Edward Jenner to Monckton Copeman. Med. Hist., 12: 1-18, 1968. 9. 北里柴三郎、梅野信吉:牛痘苗ニ就テノ研究.第1報告.細菌学雑誌,6号:391-401、1896. 10. Noguchi, H.: Pure cultivation of vaccine virus free from bacteria. J. Exp. Med., 21: 539-570, 1915. 11. Akasawa, S.: Ueber Zucker-Glyzerin-Kalblymphe (Z-G-Lymphe). Kitasato Arch. Exp. Med., 13, 118-126, 1936 12. Collier, L.H.: The development of a stable smallpox vaccine. J. Hyg., 53: 76-101, 1956. 13. Cabasso, V.J., Ruegsegger J.M., & Moore, I.F.: Further clinical studies with smallpox vaccine of chick-embryo origin. Amer. J. Hyg., 68: 251-257, 1958. 14. 橋爪壮:新しい弱毒痘苗株LC16m8株の基礎.臨床とウイルス, 3: 269-279, 1975. 15. 山内一也:痘苗の力価測定.北里メディカルニュース, 39: 1-12, 1957.
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