テーマ: 「先端医科学研究を支える実験用サル類」

−サル類を用いたトランスレーショナルリサーチの確立に向けて−

 9:30

基調講演

 「生命科学と実験動物

   吉川 泰弘 東京大学大学院農学生命科学研究科教授

           10:00

 

    10:40

 

       座長 甲斐 知恵子 東京大学医科学研究所副所長

 「SARS研究における実験用霊長類の役割

   山内 一也 (社)予防衛生協会理事

 

 「CDCにおける感染症対策−SARSと天然痘

   加藤 茂孝 CDC(米国疾病対策センター) 客員研究員

11:30

特別講演   座長 甲斐 知恵子 東京大学医科学研究所副所長

 「先端医療開発の場の構築と連携

    新井 賢一 東京大学医科学研究所教授 東京都臨床医学総合研究所長

           14:00

 

    14:40

 

       座長 小野 文子  (社)予防衛生協会

 「胎児の外科的治療

   千葉 敏雄 国立成育医療センター特殊診療部長

 

 「神経疾患モデルサルを使用した再生医学研究

   村松 慎一 自治医科大学医学部神経内科

15:30

特別講演   座長 寺尾 恵治 国立感染症研究所筑波霊長類センター長

 「医療・医薬品等の研究開発の推進における実験用霊長類の役割

   上田 茂 厚生労働省大臣官房技術総括審議官

 


生命科学と実験動物

東京大学大学院農学生命科学研究科 

 吉川泰弘

▉はじめに

  21世紀は生命科学の世紀であるとよく言われる。これは21世紀、自然科学のプラス面・マイナス面を含め、生命科学がサイエンスの中心になるだろうと多くのヒトが考えているからである。しかし、生命科学とは一体どんな学問で、なぜ21世紀の中心科学になるのかというと、必ずしも明確ではない。それにもかかわらず生命科学という言葉がキーワードになるのは、自然科学と社会科学、科学と倫理、単純系と複雑系、開発と環境保全など、20世紀に積み残した多くの対立課題をどのようにブレーク・スルーしていくか、というキーワードが生命科学に他ならないからであろう。ずいぶんと重い責務を負っているものである。

 それでは、何故、生命科学がキーワードになるのか?というと、生命科学のスタンドポイントが20世紀に隆盛を極めた科学のような単純主義や還元主義、人間中心主義でなく、生物としてのヒトの意味をもとめ、生命の多様性と共存の哲学を展開する学問であるという期待を担っているからである。生物学的ヒトのあるべき位置に人間を戻す必要がある。分析から統合へ、単純系から複雑系への方向転換が求められている。

 しかし、自然科学の分野においても、本質的にヒトはヒトが何者か?ヒトをヒトたらしめているものは何か?ヒトはどこから来てどこに行くのか?を知りたいのである。解答は1通りではないのかもしれない。昨今、流行の網羅的ビックサイエンスが、その解答を出す可能性は、あまり高くないと思われる。それでも、我々が生命科学のための情報を得る材料は、我々自身と、多くの生物種とくに我々に近縁な高等動物種が主となる。比較生物学と複雑情報の処理法が、これからの基本的戦術になる。動物まるごとから情報を得るための実験は今後も必要である。

 現在の国際社会を見てもグローバル化と地域文化の多様性がせめぎ合っている。グローカル(グローバルとローカルの融合語)という造語があるが、人類も21世紀は野生生物を含めて互いの住み分けと、共存の方向を見いだしていく必要がある。地球にとって人類が大きくなりすぎたのである。また、その責任の大きさも失敗が許されない範囲にはいってきつつあるのではないか?

 生命の多様性から何をどう学ぶかが、生命科学のスタート地点であり、ゴールであるような気がする。

 ▉実験動物

  ヒトがヒト以外の動物から、ヒトの代替としてヒトに有用な情報を得るために、実験用に開発してきた動物が実験動物である。1950年代に始まった、わが国の実験動物の近代化は、1)感染のない、感受性の一定した動物の供給、2)癌研究に必要な特殊系統の動物供給、3)一定飼料の供給、4)飼育管理法の改善を目的として掲げた。30年を経て1980年に実験動物研究会が実験動物学会に名称を変更する頃には、これらの初期の目的はほぼ達成された。そして、その後は実験動物の多様化、確立された動物種の品質の向上、疾患モデル動物のように特性をもった実験動物の開発に移っていった。

 時代は生化学的技術の飛躍的進歩と、分子生物学・分子遺伝学の新規技術の開発、導入を受け、ゲノムサイエンスのようなビックサイエンス時代へと移行した。ゲノムサイエンス技術が、実験動物に与えた影響は非常に大きい。発生工学技術と合体して、それまで自然発生的あるいは誘発されたミュータント動物をモデルに利用していたものが、目的とした遺伝子を改変した動物として利用できるようになった。いわゆるリバース・ジェネティックスである。現象から遺伝子にせまるのではなく、遺伝子から現象にアプローチすることになった。ポストゲノムプロジェクトの1つであるサチュレテッド・ミュータジェネシスによる網羅的なミュータント動物の解析は今後の1つの方向性を指し示している。

 一方、単純系で解決できる問題はこれまで以上に短時間で解決されることになったため、残された問題はヒトの疾病を含めて複雑化したものが多くなった。この傾向はさらに強まるであろうから、要求される疾患モデルも、複雑系に応えるものになる可能性が高い。これは単純系を組み合わせるか、自然発生と選抜に戻るか、あるいは別の方法が開発されるかわからない。いずれにせよフォワード・ジェネティックスによる解析が見直される必要がある。

 第3は、創薬科学のオーダーメイド処方(SNP:単一塩基多型)に代表されるように、先端医療がマスから個別性、多様性に変わる方向が模索されている。個人別ES細胞バンクのような構想が語られる状況である。また、チンパンジーのようにヒトにもっとも近縁な動物種を、ヒトのバリエーションの最大ふれ幅と考えて、ゲノム科学に利用しようというような考え方も提案されている。従来の実験動物とは違う考えで、情報収集の対象となる新しい動物種が生命科学に組み込まれる可能性もある。種々のメカニズムの解明に、生物の共通性・類似性から普遍化するこれまでの方法から、多様性・個別性からルールを引き出す可能性が模索されるのではないか?いずれにせよ、DNAチップの有効利用など、新しい技術で比較生物学を行う方法が導入されることになるであろう。

▉リサーチ・リソース(研究資源)

 生命科学研究に限らず、研究の成果を発表し、注目を集めるのは研究者である。ちょうど、舞台のうえのマジシャンのようなものである。しかし、手品にタネが必要なように、研究にも研究を進める上で優良な材料が必要である。これが研究資源である。マジシャンが舞台の上で華やかなのは、舞台と補助者とタネがあるからである。実験動物は生命科学研究の手品のタネである。マジシャンの腕は容易に評価され、喝采を浴びるが、手品のタネは黒子である。

 長い間、日本では研究資源は重要視されなかった。研究資源の維持は、ほとんどは研究費の一部として計上されたり、研究費から再委託されたりしてきた。研究者によっては、早くからその重要性を認識した者もいたが、国家的レベルで研究資源の維持を考えるシステムはできなかった。米国がリサーチ・リソースを意識して、7つの霊長類センターを開設したのが30年以上、ナショナル・センター・オブ・リサーチ・リソース(NCRR)プログラムを始めたのが、すでに15年以上も前である。

 わが国でも2002年、文部科学省が初めて生命科学の総合的推進を図る目的で、研究資源事業を事業費として予算化した(44億円)。すなわち、実験動物、実験用植物、ES細胞や幹細胞、各種生物の遺伝子材料などの研究資源のうち、国が戦略的に整備する必要を認めたものに対し、体系的収集・保存・提供を行うための「ナショナル・バイオリソース・プロジェクト(NBRP)」をスタートさせたのである。

 これまで、この手の試みは文部科学省を含めて、いくつかの省庁で行われたが、成功しなかった。研究成果中心主義から、研究をささえる土台のシステム化に光をあて、その事業を国の責任で予算化した点は、非常に高く評価されるべきである。しかし、現実には資金のかかる割に研究と異なり、目に見える成果を得にくい舞台裏の事業である。ぜひとも長い目で取り組んでもらいたい。

 また研究資源の確保、維持には、材料だけでなくそれを維持する専門的技術者が必要である。手品のタネも、手品の補助者も、ともに黒子であるが、絶対に必要な要素である。研究資源の整備と併せて、こうした人材の育成と確保のためのプログラムの確立、社会的地位の保証が必要である。これまで実験動物分野でも技術者を研究職に鞍替えすることが、優秀な技術者への評価の代償であるとしてきた。しかし、研究者と技術者は求められている能力は、必ずしも同じではない。専門の技術者として、プロの誇りと、その技能を磨ける継続的プログラムを用意すべきである。

▉動物実験

 前回の「動物の保護及び管理に関する法律」の改正(1999年)に対する、日本実験動物学会の考え方の原案作成をまかされ、以下の点をまとめた。動物愛護法をどう考えるか、その中で動物実験をどう考えるかという立場が、比較的明瞭になっているので、ここに再掲することにする。

 1)                青少年の残虐な犯罪の増加や野生動物、ペット、学校飼育動物に対する残酷な行為の増加は社会的に深刻な問題である。ここで問題となる行為は、青少年の心の正常な育成、教育に係わるものであり、単純に本法律に関する罰則の強化により解決するものではないと考える。

2)                イヌ、ネコやエキゾチックアニマルなどに見られる、ペット所有者の無責任な飼育動物の放棄は目に余るものがあり、本法律の不備があるとすれば、改正の必要がある。動物は我々同様に生命ある存在であり、苦痛を知覚する生物である。従って単純にものとして扱うのではなく、十全な環境で、思いやりをもって飼育するべきであるという、本法律の精神は今後も継承する必要がある。

3)                人と動物の関係は、しかし単純ではない。絶滅種の保護が必要な野生動物から、人との関係の絆が深い愛護動物や伴侶動物、また人が利用を目的に生産する産業動物や実験動物など多様性がある。こうした多様性を無視して、単眼的に規制を強化する事は、実情に合わないし、種々の問題を生むことになり、また法としても遵守され得ないものになってしまう。現在の本法の精神と内容には見るべきものが多く、個々の現実的問題の解決には、政令、省令等の整備と政省令による規制などの強化により対応出来ると考える。

4)                本学会との関連では、既に動物実験の遂行に関しては、関連諸学会の提言、文部省通達あるいは国際的精神(3R提言、使用動物数の減少、動物の代替、苦痛の軽減など)に則り、多くの大学や企業等で厳しい自己評価システムを導入している。科学の進展のためにはどのような事も許されると考える研究者は、今日ほとんどいない。一方、人類の福祉や科学の進展のためには、動物実験は必要不可欠であり、これを法的に過度に規制することは、避けるべきであると考える。

  ヒトを含めた動物の多様性という生物学的現実とヒトと動物の関係の多様性という社会科学的現実をふまえたうえで、動物実験がヒトの健康と福祉、科学の進展のために必要であるというスタンスで、3Rの提言を遵守しようというものである。

 現在進行しているように、動物愛護法と動物実験のための規則とは分けるほうが良いのかもしれない。個人的には、ヨーロッパのような個人登録制・許可制に基づく動物実験の国家管理型よりも、米国型の研究機関が組織として責任を負い、国家は間接的に管理する方式のほうが、優れていると考える。

 また、個々の動物実験の正当性は実験の社会的ニーズ、計画の現実性、成果が得られる可能性の高さなどと、実験に用いられる動物種の神経系の発達度、実験を行う際に動物に与える肉体的痛み、精神的苦痛の軽重を相対評価して、判断すべきであり、オール・オア・ノンの定性的判断や、固定した基準を設けて単純化することはさけたほうがよいと思う。単純に外国方式を真似るのでなく、自分たちの頭で考えるべきである。キリスト教の動物感と仏教の動物感、道教や神道の動物感が違うように、また世界の地域の食文化が異なるように、多様性が存在する。グローバル・スタンダードで規制することだけを目指すのではなく、多様性との並存を考慮すべきであろう。

 ▉おわりに

  自然科学の発展に対する盲目的な信頼や、科学技術の進歩に対するア・プリオリな期待はすでに過去のものになってしまった。近年では生命科学という名のビックサイエンスに対する、いわれのない恐怖や生命倫理からの反発の方が目立ってきている。

 これは最初に述べたように、21世紀の科学が何を目指しているのかはっきしりないこと、科学技術の開発とその成果が必ずしもわかるように還元されていないこと、線型理論に基づく、近代自然科学的解決法が、非線型な社会科学的現実問題に答えられなくなってきたことに、人々が気づき始めたからではないだろうか?時流から離れて、何が本質的な問題であるか、時に立ち止まって考えることが必要である。 


SARS研究における実験用霊長類の役割

予防衛生協会理事 

 山内 一也

 20世紀は微生物学の進展の世紀であった。しかし、1950年代頃から未知のウイルスの出現が注目されるようになってきた。そのほとんどは野生動物の世界で存続してきたウイルスが人間社会に飛び込んできたものである。

 しかしこれまで、エボラウイルスのように病院内での注射器の使い回しなどを介した濃厚接触によるものを除けば、野生動物からヒトに感染したウイルスがヒトの間で広がることは、ほとんどなかった。

 2003年3月に発生が確認されたSARSは、患者の咳やくしゃみによる飛沫感染で、ヒトの間で容易に広がった。感染して発病するまでの数日の潜伏期の間に、感染した人はほかの国へも移動し、そこで感染を広げた。グローバル化した社会にヒトの間で飛沫感染により広がるウイルスが新しく出現したのである。

 WHOは7月5日にSARSの終息宣言を発表したが、それまでに32カ国で8000名以上の可能性例が見いだされ、800名以上が死亡した。古典的公衆衛生対策により、病気の封じ込めに一応は成功したといえる。

 この成果を支えたのは、国際研究協力による原因ウイルスの解明である。SARS発生の警告から1ヶ月という短期間にSARSコロナウイルスが原因ウイルスとして確定されたのである。20年前にエイズの原因ウイルスであるヒト免疫不全ウイルスが確定されるまでに2年間を要したのと対照的といえる。

 この画期的な原因ウイルス解明の経緯と背景、今後の課題を整理し、SARS研究におけるサル類の役割を考察してみる。

 1)SARSの原因ウイルス解明の経緯

 SARSは2002年11月に中国広東省で発生したと考えられている。しかし、これが明らかになったきっかけは2003年2月10日に国際的感染症情報ネットワークProMED(Program for monitoring emerging infectious diseases)に掲載された、致死的新型肺炎についての情報提供を依頼したメールであった。その直後からWHOなどによる国際的な調査が始まり、3月12日、WHOは新型肺炎の発生を発表し、3月15日には発生地域への渡航中止勧告を行った。これはWHOの歴史で初めてのことであった。

 3月17日、WHOの全世界疾病警戒対策ネットワークは10カ国の11の研究機関の参加を得て病原体の解明を始めた。その翌日、ドイツのグループが患者の喀痰に電子顕微鏡でパラミクソウイルス様の粒子を検出し、また、患者との接触者の鼻咽喉液にPCRによりパラミクソウイルス科のメタニューモウイルスの遺伝子断片を検出した。メタニューモウイルスは2001年に分離された新しいパラミクソウイルスで多くのヒトが感染している。しかし、軽い風邪を起こす程度にすぎない。

 CDCではウイルス・リケッチア病部門の研究者30人あまりが研究を中断してウイルス分離と同定に取り組んだ。その結果、実験開始5日後にVero細胞で細胞変性効果が見いだされ、電子顕微鏡でコロナウイルスに特徴的な構造が認められた。また、患者の血清中にこのウイルスに対する抗体の存在も確認された。

 同様の成績は同じ頃に、香港大学微生物学部のチームとドイツのBernhardt Nocht熱帯医学研究所でも得られた。CDCとドイツの報告は4月10日にNew England Journal of Medicineのオンライン版に掲載され、香港の成績は4月19日にLancetに掲載された。5月1日にはCDCグループによりウイルスの全遺伝子の配列がScienceに発表された。そして、既知のコロナウイルスとは異なる第4のグループに相当する新型ウイルスであることが確認された。

 当初は、前述のように原因ウイルスの候補としてメタニューモウイルスと新型コロナウイルスが浮上していた。この問題に対する結論は以下に述べるようにカニクイザルへの感染実験から得られた。

 オランダ・エラスムス大学では患者から分離されたメタニューモウイルスと新型コロナウイルスをそれぞれカニクイザルへ接種した結果、新型コロナウイルスにより肺炎の初期病変の出現が確かめられ、メタニューモウイルスではほとんど病変は見いだされなかった。

 病原体の原因確定には1884年に結核菌について提唱されたコッホの原則が古くから用いられ、1937年にはリバースがこの原則をウイルスにあてはめた修正原則を提唱した。それは、(1)病気の宿主からの分離、(2)宿主細胞での培養、(3)濾過性の証明、(4)宿主または近縁の動物種での病気の再現、(5)その動物からのウイルスの再分離、(6)免疫反応の検出である。新型コロナウイルスはこの6条件をすべて満たし、メタニューモウイルスは最初の3条件を満たしただけであった。

 この結果から、WHOは4月16日にSARSコロナウイルスがSARSの最大の原因と確定した。

 SARSの原因ウイルスは伝統的ウイルス学手段を中心に解明され、それが未知のウイルスであることを遺伝子工学は明らかにしたとみなせる。

 2)コロナウイルスの特徴

 SARSの原因としてのコロナウイルスは、ニドウイルス目(Nidovirales)コロナウイルス科コロナウイルス属に分類される。動物ウイルスの分類で目(Order)まで決められているのは、モノネガウイルス目とニドウイルス目のみである。Nidoはnest(いれ子)を意味するラテン語のnidusに由来する。これはウイルスのメッセンジャーRNAがいれ子セットになっている特徴から付けられたものである。コロナはウイルス粒子の表面に太陽の王冠のような構造が見られることによる。なお、モノネガウイルス目には麻疹ウイルス、狂犬病ウイルス、エボラウイルスなどが属する。

 コロナウイルスは3グループに分けられ、ヒトを初め家畜、ペット、実験動物で見いだされている。ヒトでは風邪を起こすが、60種類以上もある風邪の原因ウイルスのひとつに過ぎないことから、ほとんど研究の対象にはなっていない。最初に見いだされたコロナウイルスはニワトリ伝染性気管支炎ウイルスであって、これがコロナウイルス属の基準種になっている。家畜のコロナウイルスの多くは畜産上の重要な感染症であって、ワクチンも開発されている。実験動物では、マウス肝炎ウイルスが微生物学的品質管理の面でもっとも重要なウイルスとして、多くの研究が行われてきている。実際に、現在明らかにされているコロナウイルスの基礎的性状のほとんどはマウス肝炎ウイルスについての研究で得られたものである。

 3)SARSコロナウイルスの起源

 SARSコロナウイルスは、その遺伝子構造から既知のコロナウイルスの変異やコロナウイルスの間での組み換えにより生じたものとは考えられない。また、疫学的に家畜由来の可能性も考えられない。

 したがって、中国に生息する野生動物が自然宿主であることは間違いないと思われる。香港大学グループは、動物市場のハクビシンとタヌキからウイルスを分離またはPCRにより検出しイタチアナグマからは抗体を検出したと報告している。しかし、これらは自然宿主ではなく、ウイルスに汚染した動物市場で感染を受けた可能性が高いとみなされている。

 これまでに何回かにわたって行われた調査結果をまとめると、ハクビシン、タヌキ、オオコウモリ、アカゲザル、ヘビ、飼い猫、飼い犬でウイルス分離またはPCR陽性の成績が得られており、ほかにイタチアナグマとセンザンコウからは抗体が見いだされている。これらのうち、オオコウモリは中国語で菓子狸と呼ばれ、ハクビシンと同じ生息域に分布していて両方とも果物を餌とすることから、自然宿主の候補とみなす見解が最近提唱されている。

 4)SARSの動物モデル

 SARSの発生は、忘れられていた集団防衛としての公衆衛生対策の重要性を再認識させた。一方、研究面では発病機構、診断法、治療法、予防ワクチン開発などについての問題を提起した。これらの課題にとりくむためには、動物モデルが不可欠である。

 これまでに、SARSコロナウイルスに対する感受性が見いだされているのは、カニクイザル、アカゲザル、ミドリザル、ネコ、フェレット、マウス、ラット、ウサギである。そのうち、動物モデルとしての有用性について研究が進められているのは、オランダ・エラスムス大学グループによるカニクイザルとフェレット、米国NIHグループによるアフリカミドリザルとマウスである。


CDCにおける感染症対策―SARSと天然痘

      CDC(米国疾病対策予防センター)

  加藤茂孝

 2002年10月から、CDCの感染症センターに客員研究員として所属し、2003年3月のイラク戦争とSARSの同時アウトブレイクに遭遇した。その折、内部からCDCの対策を垣間見る事が出来たので、その一端を紹介し、日本の学ぶべき点について触れたい。

(1)   CDC

 CDCは米国連邦政府の機関である。8つのセンター、5つの事務局やプログラムで構成され、常勤職員が8500名、2003年の予算は72億ドルである。この内、3センター1プログラム、即ち、感染症センター、HIVSTD、結核対策センター、環境健康センター、予防接種プログラムが感染症に関係している。 

 CDCは、米国内の感染症対策が本来の任務であるが、米国の世界における指導的な地位、世界に展開している米軍の健康対策等から、実質的に世界の感染症対策を行っている。CDCは、世界の主だった地点に職員を常駐させており(CDC field stationEID center)、また、感染症の発生の情報を得ると直ちにチームを組織して派遣する。この迅速な機動力には学ぶべき点が多い。CDCの発行する週報MMWRは、米国のみならず世界中で頼りにされている。

 多くの海外研究者を受け入れているので、日本からの積極的な参加が求められる。

(2)   SARS

 今回のSARSの発生は、世界に多くの教訓を残した。即ち、感染症研究や対策は、もはや1国では出来なくて、世界的なネットワークを必要とすること。また、単に感染症対策と言う狭い意味では無く、広く総べての危機対策に共通する事。新興感染症は人類の歴史と共に有り、今後も何時でも、発生しうる事。

 CDCはベトナムにも研究員がいる。今回のSARSのウイルスも、WHOがベトナムに派遣していたイタリア人医師Carlo Urbaniの検体から分離されたものである。中国入国の場合も既にチームが北京に待機していて、香港、広州への滞在許可を待っていた位である。

 研究に当っては、関係部局で、チームを組織して集中的に取り組んでおり、短時間でウイルス分離同定、遺伝子の塩基配列決定を成功させている。アメリカの患者については、WHOの基準とは別に幅広く、漏らす事無く登録している。研究成果や、現在の対策については、直接所長がTV会見を行う等的確な報道を心掛けている。

(3)   天然痘

 イラク戦争決行に当ってブッシュ大統領は、バイオテロとしての天然痘対策を大々的に打ち出した。これには、相手の危険性を宣伝して戦争遂行を正当化する政治的な匂いが当時から感じられていた。しかし、大統領声明に先立ってCDCの予防接種プログラムでは、他の仕事を差し置いて、種痘対策の計画に総力を上げて取り組んでいた。White Houseでの大統領声明を、CDCでは同時中継し、その後所長を始めとして首脳陣の所内説明があった。実施開始後、MMWRでは副反応の統計が毎週出されている。また、種痘後の心臓病患者の3人の死亡についても、学問的に因果関係が無い事を検討して、後にMMWRで報告している。

(4)   日本が学ぶ事

A、ネットワークの構築

 世界とまでは言わなくとも、せめて東アジア、東南アジアでは日本のネットワークが欲しい。中国、香港は米国よりも日本の方が遥かに近い。従来JICAが行って来た国際協力の致命的な欠陥は、継続した拠点を形成出来なかった事にある。研究員の常駐と現地研究者との間の緊密なネットワーク形成が全ての基盤である。

 ネットワーク構築には日本からの積極的な発信も不可欠な要素である。英語による発信の努力が必要である。

B、研究チームの形成

 緊急事態に当って、迅速に研究チームが組める事が求められる。それには日頃から研究員が緊急派遣の訓練をされていなければならない。また、所内でそれぞれの長所を生かしたチーム形成が即座に組める心構えが求められる。この時、実質的な機能で人を選ぶべきであり、中身の伴わない肩書きや地位で、決して人を選んではならない。

C.組織の目的への認識

 公衆衛生の組織は常に現実的な対策を頭において組織されまた運営される事が求められる。日本の組織においては、その構成員に目的合理性追求の意欲が希薄の様に見える。

D、リーダーの重要性

 平均的に言えば、米国人よりも、日本人の方が、研究者個人個人は優秀で責任感も強い。しかし、その優秀な日本人が集団となって機能する時、遥かに米国に劣るように思える。最大の理由はリーダーの質にある。リーダーの責任感の強さ、リーダーシップの適切な発揮と努力の量は、米国の方が遥かに優る。

E、専門家による立案

 予算や研究、派遣などの立案に当って、法律の専門家ではあるが研究の素人である官僚に委ねる事無く、研究の専門家が立案する事が的確な実施に結びつく。

(5)   結語

 やっていることは、CDCも日本の研究所も中身に本質的な変わりがある訳では無い。違うように見えるのは、目的合理性とリーダーシップの点であろう。

 咸臨丸で米国から帰国した勝海舟は、老中の質問に答えて「彼の国では、しかるべき地位には、しかるべき人がついております。我が国との違いはそこです」。

 世襲制の無くなった今も、勝海舟に同じ事を言わせてはならない。


先端医療開発の場の構築と連携

            東京大学医科学研究所 

              東京都臨床医学総合研究所

                東京圏ライフサイエンス協議会 

新井 賢一

 生命科学は、物質、エネルギー、情報(線形、高次)等の要素から成り立っている。化学と生物学の融合により20世紀初頭に生化学が成立したが、その第1段階は、有機化学と自由エネルギー論に基づく中間代謝の研究が主流であった。19世紀末に成立した有機化学と第1期の生化学は、現代の製薬産業の基礎を築いた。生体における創薬リード化合物の薬物動態や作用機構を検討する前臨床研究において、実験用サル類を含めたモデル動物は重要な役割を果してきた。遺伝子鋳型を取り扱う第2期の生化学では、遺伝暗号のディジタル情報の概念は生化学にとどまらず生命科学全般に大変革をもたらした。生化学と分子遺伝学の融合による分子生物学(50年代)、さらに遺伝子工学(70年代)の誕生と共に、生物学は、モデル生物(大腸菌、酵母、線虫、シロイヌナズナ、ハエ、ゼブラフィッシュ、カエル、マウス等)の解析に基づき生命系の共通言語を駆使する普遍的な生命科学に発展し、遺伝子工学・細胞工学に基づくバイオテクノロジー産業を生み出した(第一次バイオテク革命)。細胞から無細胞系に、細胞小器官から分子に至る解体と再構成の方法に基づく生化学と、細胞・個体レベルでの表現形質の観測にもとづく遺伝学の方法はこの革命を推進する両輪であった。医学はこれらの生命科学の成果を駆使する総合的な科学技術体系に発展した。この過程において薬の概念も拡大し、有機化合物に加えて、蛋白質(バイオテクドラッグ)、遺伝子、幹細胞等が新たなツールとして登場し、それにともない前臨床研究の対象も拡大した。このような状況の中で、生命・医科学の基礎的な成果をヒトでの臨床研究に橋渡しするトランスレーショナル・リサーチの体制を整備することが重要な課題となってきた。その柱は、モデル動物における前臨床研究とヒトにおける臨床研究の連携、研究者主導の実験的な探索医療(初期臨床開発)と企業主導の臨床試験(治験)の連携等である。90年頃には、遺伝子・胚操作技術が確立したマウスが疾患モデル動物の主流の地位を確立した。しかし科学技術の進歩は連続的でとどまることなく、個別の遺伝子、蛋白質、機能を対象とした生命科学の研究は、解析技術の進歩により、再度、大変貌をとげる。生体は、線形のゲノム情報を生命機能という高次情報に変換するディジタル・アナログ変換装置であるが、90年代に入って、遺伝子や蛋白質を網羅的に解析するゲノムミクスやプロテオミクスのアプローチが導入され、ウエットとドライ、すなわち生命科学と情報科学の融合によるゲノム科学に発展し、ディジタルなゲノム情報に基づき、生命の共通性・多様性の基盤が解析の対象となると共に、人間の個性に適合した医療の実現も対象となってきた(第二次バイオテク革命)。さらにゲノム情報から、蛋白質、細胞レベルでの機能へ、個体レベルでも、発生と加齢、内分泌、免疫、脳神経、等の高次機能へ、すなわちディジタル・アナログ転換の研究が展開しつつある。これらの変革は、生命科学と情報科学の融合に留まらず、物理学、化学、工学の境界領域に成立したナノ科学を融合するシステム科学を構築する形で進行している。現代の生命・医科学は、環境と生体の相互作用を、ディジタル・アナログ変換系として取り扱うシステム医科学に発展するだろう。こうした中で、ヒト、マウス、サルのゲノム情報を基盤として、マウスを用いる疾患モデルとともに、サルを用いる脳神経や感染・免疫等の疾患モデルが重要になるであろう。生命科学では、医学系と理・薬・工学系の研究者の連携が重要であるが、ゲノム医科学に基づく先端医療の開発には、医学者と獣医学者の連携が必須である。演者は、スタンフォード大学、DNAX研究所、医科学研究所等で、蛋白合成、DNA複製、シグナル伝達、サイトカインネットワーク等について研究する中で、発見・発明を臨床に橋渡しするトランスレーショナル・リサーチと実験医学、ゲノム医科学のプラットフォームの構築と産業化等を推進してきた。本講演では、1.生命科学と創薬ネットワーク、2.現代のフロンティアと価値形成、3.ゲノム医科学のプラットフォーム、4.実験医学とトランスレーショナル・リサーチ、5.BT、IT、NTの融合とシステム医科学、6.知的・産業クラスターとバイオベンチャー、7.アジア太平洋圏をバイオ産業の国際競技場等について述べる予定である。


胎児の外科的治療

国立成育医療センター特殊診療部 

 千葉敏雄

 胎児外科とは、胎児の重要臓器発達の促進ないしその阻害要因の除去、子宮内死亡の防止、重要臓器傷害の防止などを目指し、できるだけ単純な外科的手技により比較的単純な胎児形態異常を可及的に是正し、重篤かつ不可逆な病態への進行を予防するための手技といえる。この治療は常に緊急ないし準緊急の治療手段となっているが、その理由は、対象となる疾患・病態が、もし子宮内で何らかの治療を行わなければ極めて高い周産期のリスクをきたす最重症のものに限られるということにある。同時に、術後早産等のいまだ未解決の合併症が存在することから、胎児外科治療はこれに伴う種々のリスクを敢えて容認しつつ治療を行わねばならない外科的疾患を対象としてきたともいえる。
 このような疾患には、高率に児の子宮内死亡をきたしうるもの(胎児巨大肺腫瘍や双胎間輸血症候群など)はもとより、脊髄髄膜瘤のごとく, 児を救命するのみならずその長期的QOL の向上を目指すものも含まれている。
 その一方で胎児外科治療の性格は、これまで対象とされていなかった疾患に対する出生前治療の導入(心臓弁膜疾患など)、及び従来適応とされてきた疾患に対する治療手技の再検討(先天性横隔膜ヘルニア、双胎間輸血症候群、閉塞性尿路疾患)という2つの意味で、大きく変貌を遂げつつあるといえる。たとえば、先天性横隔膜ヘルニアに対する手術として施行されてきた内視鏡的胎児気管閉塞術(Endoscopic fetal tracheal  occlusion)は、腹部臓器の胸腔内脱出に起因する肺低形成を軽減せしめるためのものであるが、近年の新生児期呼吸管理法(ECMO, HFO, Permissive hypercapnia,  待機的手術, NO 吸入など)の大きな進歩に伴う出生後治療の著しい成績向上により、その適応は限定的なものとなりつつある。しかも、この内視鏡的手技が、従来の母体開腹を要するものから経皮的手技へと移行しつつあることは大いに注目される。

 胎児の循環が母体・胎盤循環に大きく依存していることからも明かなごとく、胎児生理は出生後とは全く異なるものであり、更に胎児疾患の性格も時として出生後のものとは大きく異なっている。従って、罹患胎児の母体における病態や妊娠母体・胎児の生理学、薬理学については今後の研究に待つところが大きく、その意味において今後は、霊長類、特に妊娠サルとその胎児を用いる実験的研究の重要性は、益々高まるものと思われる。


神経疾患モデルサルを使用した再生医学研究

自治医科大学神経内科

  村松 慎一

パーキンソン病、アルツハイマー病、脳梗塞、多発性硬化症、脊髄損傷などの中枢神経疾患では、現行の治療法には限界があり先端的治療に対する期待が大きい。  

近年、神経幹細胞の分離・培養法が確立されたのに続き、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)が樹立されたことから、これらの中枢神経疾患の治療を目標とした再生医学の研究が急速に展開している。成人の脳にも新たな神経細胞を生み出す幹細胞が存在する、神経幹細胞は血液細胞や筋肉細胞にも分化する、骨髄中の細胞から神経細胞が誘導される、などという従来の常識を覆すような報告が続いた。確かに、種々の神経細胞を大量に供給できるES細胞は、移植用のドナー細胞として有望である。しかし、すぐに臨床応用できる移植治療法はまだ開発されていない。基礎研究者が必ず引き合いに出すパーキンソン病への応用については、そもそも細胞移植が有効なのかどうか議論がある。

一方、高力価ウイルスベクターの開発により、脳内の神経細胞に外来遺伝子を効率よく導入し長期間発現させることが可能になった。定位脳手術と組み合わせたパーキンソン病に対する遺伝子治療の臨床応用が既に始まっている。

新しい治療法の臨床応用に際しては、それに先立ち適切なモデル動物を使用した効果と安全性の検証が欠かせない。とくに、中枢神経の解剖と機能がヒトに近く運動障害をはじめ症状を最もよく再現できるサルのモデルは重要である。私たちは、カニクイサルに選択的神経毒MPTPを慢性投与してパーキンソン病のモデルを作製し、アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターを使用した遺伝子治療と、サルのES細胞由来神経幹細胞の移植を行ってきた。これらの実験を通して、より現実的な視点から先端医学研究の現状と今後の課題を考えてみたい。


医療・医薬品等の研究開発の推進における実験用霊長類の役割

厚生労働省大臣官房技術総括審議官

上田 茂


 
<ポスター発表>
平成15年度 予防衛生協会研究助成事業
 
研究奨励賞

氏  名:柏木 賢治

所  属:山梨大学医学部 眼科学教室

受賞課題:サル実験緑内障モデルにおける視神経軸索のニューロ

フィラメント重鎖のリン酸化状態の検討

 

氏  名:越後貫 成美

所  属:(独)理化学研究所 筑波研究所

受賞課題:サル類の顕微授精に関する研究

 

技術奨励賞

氏  名:中下 富雄

所  属:武田薬品工業株式会社 薬剤安全性センター

受賞課題:サル飼育器材及び実験器材の開発・改良