人獣共通感染症連続講座 第68回 潜伏期中の新型クロイツフェルト・ヤコブ病患者の虫垂からのプリオンの検出

(10/10/98)

英国ではウシ海綿状脳症(BSE)からの感染が強く疑われる新型クロイツフェルト・ヤコブ病(new variant CJD)患者が27名見いだされています。 さらにBSEの問題は前回の講座でご紹介したようにヒツジに波及してきました。 今度は血液の安全性にもかかわる新しい知見が見いだされました。 それは新型CJD患者が発病の8カ月前にたまたま虫垂摘出手術を受けていて、その組織の中に異常プリオン蛋白(プリオン)が見つかったということです。

このニュースは8月27日付けの英国保健省のプレスレリーズに続いて同じ日にガーデイアン紙でも大きく取り上げられました。 試験成績はデイビッド・ヒルトンDavid Hiltonらによりランセット誌8月29日に発表され、さらに9月4日付けのサイエンス誌でも紹介されています。 これらのニュースにもとづいて、簡単に経緯と問題点をご紹介します。

1. 虫垂からのプリオン検出

患者はイングランド南西部の沿岸警備員であった45才のトニー・バレットTony Barrettです(新聞とサイエンス誌では本名を出しています)。 1996年5月に顔と右手にしびれを感じたのが最初の症状でした。 1997年4月にはうつ病の治療を受け、ついで過敏となり時々攻撃的になりました。 その後一時期耳が聞こえなくなりました。 1997年11月には書くことができなくなり、舌がもつれ運動失調となりました。 1998年4月に脳の生検が行われ、新型CJDであることが確認されました。 そして、発病の約2年後にプリムスの病院で1998年6月に死亡しました。

彼はたまたま発病の8カ月前にあたる1995年9月に虫垂の摘出手術を受けていたので、生検の直後の1998年5月に、その虫垂をプリオン蛋白に対するモノクローナル抗体を用いて免疫組織染色で調べたところプリオンが検出されました。 専門的になりますが、主に見いだされたのは胚中心の濾胞状樹状突起細胞でした。

これまでにヒツジのスクレイピーでは発病前の潜伏期のうちに扁桃にプリオンが検出されることが明らかになっており、生前診断への利用が検討されています。 この場合も濾胞状樹状突起細胞でした。 しかし、CJDで潜伏期にプリオンが見いだされたのは、これが最初です。

2. プリオンの体内分布

マウスを用いた動物実験やヒツジでのスクレイピーの研究から、プリオンは最初、脾臓などのリンパ組織で増殖してから白血球により血液を介して中枢神経に運ばれ、脳に海綿状変性の病変を形成して病気を起こすと推測されています。 これまでに新型CJD患者の剖検例では脳のほかに扁桃にプリオンの存在が見つかっていましたが、今度は虫垂でも見いだされたわけです。 扁桃も虫垂も脾臓と同様にリンパ組織のひとつですから、理論的には潜伏期中にプリオンが検出されても不思議ではありませんが、実際に見いだされたのは今回がはじめてです。

3. 公衆衛生上の問題

この成績は、公衆衛生の面では大きな問題提起になりました。 英国では毎年4万4千の虫垂摘出手術が行われており、保存されている虫垂を別の目的の研究に利用することは可能だそうです。 そこで、虫垂についての試験がランセットの論文の共著者でもあるCJD調査委員会のジェイムス・アイオンサイドJames Ironsideにより始められることになりました。 また同様に保存されている扁桃のサンプルについてロンドン大学のジョン・コリンジJohn Collinge教授が調べる予定とのことです。

この試験は複雑な問題を抱えています。 医務局長のサー・ケネス・カルマンSir Kenneth Calmanは、もしも1,000人のうち1名が陽性という成績がでれば、5千万人の人口のうちの5万人が陽性ということにもなるため、この試験の成績の判断は慎重に行わなければならないと述べています。 潜伏期の人への告知は大問題でしょう。 輸血用血液についてのHIV試験の場合と同様の倫理的問題があるわけです。

一方、虫垂手術に用いられた手術器具の安全性も問題になりますが、これについては、メスの刃はデイスポーザブルのものを用いていて、毎回取り替えているので問題はないといわれています。

発病する半年以上も前の虫垂にプリオンが見いだされたことは、血液のプリオン汚染対策のみなおしにつながったようです。 この発表よりも約1カ月前の7月17日に英国政府は輸血用の血液すべてから特別のフィルターによる濾過で白血球を除去する方針を発表しています。 すでに今年の2月には血液製剤の原料としての血液は新型CJD患者のものが混じるおそれのある英国の血液は使わず、外国から輸入した血液を用いることを決定していましたが、今度は輸血用血液についての安全対策が実施されることになったわけです。 この発表の際に、今回の虫垂でのプリオン検出のことは触れていませんが、これがきっかけになったことは間違いないと想像されます。

8月30日付けのジャパンタイムスによれば、米国では数年以内に英国と同様に血液から白血球を除去する方針とのことです。 ヨーロッパ諸国ではアイルランド、フランス、ノールウェイ、ポルトガル、オーストリアが新型CJDの予防または一般的公衆衛生対策として、血液から白血球を除去しているとのことです。