人獣共通感染症連続講座 第71回 プリオン病出現の背景

(1/24/99)

サイアス(旧 科学朝日)の今年の新年号に「人類絶滅への7つのシナリオ」というショッキングなタイトルの特集が掲載され、その中に私の書いたプリオン病が入っています。 プリオン病がタイトルのような絶滅につながるとは考えていませんが、出現の背景には考えさせられる側面が多々あります。 サイアス編集部の了解が得られましたので、本講座に転載します。

プリオン病の主なものとして羊のスクレイピー、人のクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)とクールー、牛の狂牛病(正式には牛海綿状脳症:BSE)がある。 スクレイピーは18世紀から存在が知られており、CJDは1920年代、クールーは1950年代にそれぞれ見いだされ、BSEは1986年にはじめて報告されたものである。 いずれも脳に海綿のような空胞が多数でき、確実に死にいたる神経難病である。

これらの病原体は現在では感染性の蛋白であるプリオンと考えられ、プリオン病と総称される。 プリオンは細胞の遺伝子が作る蛋白で、ウイルスや細菌のように外から侵入するものではない。 もともと自分の身体に存在する正常なプリオン蛋白が異常な立体構造になると病原体となって病気を起こすと考えられている。 ウイルスや細菌と異なり、完全に不活化させることはきわめて困難である。 多量のプリオンが存在するときは検出する方法があるが、微量のプリオンの検出はいまだに不可能である。 したがって医薬品や食品などの製品についてプリオン汚染を検出する手段はまだ開発されていない。

プリオン病の発生状況を振り返ると、人のさまざまな活動や文化と深いかかわり合いがある。 その観点からプリオン病を眺めてみることにしたい。

原始社会での儀式的共食い:クールーの出現

ニューギニアはポルトガル人により16世紀に発見され、エデンの園とか熱帯のパラダイスと呼ばれた。 一方で暗い秘密を秘めた島ともみなされており、とくにパプアニューギニアの東部高地はオーストラリアの統治がおよばず、現代文明とかけはなれていた。 第2次大戦後、オーストラリア政府の医療出張所が設立された際に石器時代さながらの生活を営んでいたフォア族に奇妙な病気が発見された。 現地語で震えを意味するクールーという病気で、患者の多くは若い女性で震えなどの症状から麻痺が起こり半年前後で皆死亡した。

クールーの最初の患者は1920年代に出現したと推測されている。 おそらくCJDの患者で、それが食人の儀式で広がった。 食人は同じ部族内の風習で、通常は親族とくに両親が死亡した際に敬意と感謝の意を示すために行われた。 クールーの死者が食人の対象になったのは若い人たちであって、その死が非常に悲しまれたためらしい。 発生が広がり始めた時期については住民の記憶は正確で、太平洋戦争で飛行機が衝突して住民の部落に落ちてきたときといわれている。 広がりのはげしさは、その後の聞き取り調査で一部が明らかになった。 たとえば1948年に、クールーで死んだ叔母の葬儀に出席した2名の兄弟がいるが、かれらはその30年後にいずれもクールーで死亡した。 調べてみると、この葬儀に出席した16人のうち12名がクールーで死亡していた。 1950年の葬儀に出席した人の間でも大きな発生が起こり、出席した60名のうちすくなくとも53名が死亡した。

クールーは死者の脳のようにプリオンが多く含まれる組織を食べたことのほかに、調理の最中に傷口などからプリオンが感染したことが原因と考えられている。 そのため女性に多く起こり、発生のピークとなった1960年代には、女性の最大の死亡の原因となり全部で2千人以上が死亡した。

食人の風習は1950年代終わりにオーストラリア政府が高地に出張所をもうけたのをきっかけに、かなり急速になくなりクールーの発生も終息していった。 しかし、現在でも食人の習慣が存在した時期より前に生まれた人の間で患者が毎年数人出ている。 潜伏期は40年を越すことになる。

ハイテクノロジーによる共食い:医原性CJD

米国のガイドユセックは最初にクールー、ついでCJDが感染性の病気であることをチンパンジーへの伝達実験で証明し、人の伝達性海綿状脳症の概念を確立して1976年にはノーベル賞を受賞した。 この研究成果がきっかけで医療行為によるCJD感染の例が明らかになってきた。 これら医原性CJDをガイドユセックはハイテクノロジーによる共食いと呼んだ。 現代社会におけるクールーとみなしたわけである。

1974年にニューヨークで55才の女性がCJDで死亡した。 彼女は18カ月前に角膜移植を受けており、調べてみると角膜のドナーはCJDで死亡した患者であった。 医療行為でCJDが感染したことが確認された最初の例である。 1977年にはスイスのチューリッヒで23才と17才の若いてんかんの患者があいついでCJDで死亡した。 彼らは脳内に銀製の電極を脳内に挿入する検査を16カ月前と20カ月前に受けていた。 調べてみるとこの電極は以前にCJD患者に用いられたことがあり、これから感染したものと判断された。 この電極は普通に行われているアルコールとホルマリン蒸気で消毒されていたが、それではプリオンは不活化されなかったのである。

1984年には低身長の治療用に成長ホルモンの接種を受けていた21才のカリフォルニアの青年がCJDで死亡した。 翌年には英国で22才の女性が同じくCJDで死亡した。 本来50才以上の人に起こるCJDが若い人に起きたことから、成長ホルモンが原因であると結論された。 これは死者の脳下垂体から抽出しており、その中にCJD患者の脳下垂体が含まれていたためである。 これまでに全世界で成長ホルモンの関与が疑われるCJDで約100人が死亡している。

1987年には米国で脳の硬膜移植によるCJD患者が報告された。 28才の女性で内耳の手術後19カ月後に発病した。 日本では1985年から1998年までに見いだされたCJD患者約900人のうち60名が硬膜移植の経験があり、硬膜からの感染が疑われている。

近代畜産が生み出した強制的共食い:狂牛病

英国では人口5千万人に対してヒツジは4千万頭飼われており、世界に誇るウール製品をささえている。 良質の羊毛を得るための羊の改良は18世紀にスペインからメリノ種の羊が輸入された時に始まった。 そして、近親交配すなわち父親と娘、息子と母親という交配が続けられた。 たまたま選抜の対象となった高品質の羊はスクレイピー感受性も高かった。 この近親交配がスクレイピーの拡大につながった可能性が高いといわれている。 英国全土に広がったスクレイピーは制圧が不能となり、1980年代には数千から1万頭くらいの年間発生率と推定される。 このスクレイピーがたまたま家畜の餌に混入して、それを食べた牛がスクレイピーに感染し、BSEになった。

牛、羊、豚、ニワトリなど食用動物の死体から食肉を採取した残りのくず肉は調理されて脂肪製品と肉骨粉が作られる。 この操作はレンダリングと呼ばれる。 脂肪は中世には石鹸やローソクの原料として、第2次大戦中は爆薬のニトログリセリンの原料としても多量に利用された。 現在では医薬品や化粧品などに広く用いられている。 脂肪をとった後の脂かすはかっては捨てられていたが、この栄養価が注目され、これを乾燥して粉末とした肉骨粉が作られるようになったのは20世紀に入ってからである。 肉骨粉は家畜やペットの飼料、肥料などに用いられている。 レンダリング産業は目に見えない産業と呼ばれているが、たとえばヨーロッパ連合ではBSEが発生した1980年代半ばには年間250万トンの餌と100万トンの脂肪製品を生産していた大きな産業である。

1960年代になりレンダリング技術の近代化がはじめられ、ちょうど1970年代半ばのオイルショックをきっかけに省力化をかねたコンピューター制御の新しい方式が広く採用された。 この製造工程の近代化は加熱条件の緩和にもつながり、これが肉骨粉のスクレイピー汚染の原因になり、餌を介して牛にスクレイピーが広がったと推定されている。

レンダリングでは当然、BSE牛のくず肉も用いられる。 それが牛の餌となったため、羊から牛へと種の壁を越えたプリオンは牛で容易に広がるようになったのである。 これまでに17万頭あまりの発病が確認され、実際の発病数は100万頭と推定されている。 草食動物である牛への強制的共食いがBSEの原因であり、BSEは人間が作りだした病気ということになる。 食肉のために家畜を生産し、そのくず肉は餌としてふたたび家畜に与えられる近代的畜産形態としてのリサイクリングから生まれた病気なのである。

餌からの感染は牛にとどまらなかった。 ロンドンの動物園ではウシ科の数種の野生動物が餌からBSEに感染した。 英国の家猫もキャットフードからこれまでに77頭が感染した。

BSEの原因になった餌は日本や米国でも用いられていた。 幸いBSEは発生しなかったが、これはプリオンの量が発病を起こすレベル以下であったためと推測されている。

人間が作りだした人のプリオン病:新型CJD

BSEの発生の原因となった餌の使用が1988年に禁止されたことから1993年をピークに発生は減少しはじめ、21世紀はじめにほぼ終息するものと推測されている。 牛の問題は今度は人間に移ってきた。

1995年から英国では、これまでのCJDとは異なるタイプの新型CJDが出現し現在27名が確認されている。 (現在は32名です。) これがBSEの感染によるという科学的証拠も蓄積してきた。 リサイクリングの末端に人間がつながったのである。 英国では約70万頭のBSE牛が人の食用に供されたと推定されており、今後どの程度の患者が発生するかは、まったく不明である。 クールーでは40年以上の潜伏期での発病もある。

最近、新型CJDを発病する半年以上前にすでにプリオンがリンパ組織に存在していることが明らかになり、一見健康な人からの血液中の白血球にもプリオンが含まれている可能性が問題になってきた。 人間が牛に作り出したプリオン病が今度は人間に脅威を与えているのである。

おわりに

プリオン病が提起している問題は文明が生み出したものといえる。 それに対する現実的解決は科学者に課せられた重要な研究課題である。 公衆衛生の立場ではプリオンを短時間に高感度で検出する方法の開発が緊急の課題となっている。 これにより潜伏期の患者も含めて急速に診断することが可能となり、また血液、医薬品、食品などのプリオン汚染の検出対策が可能となる。 効果的な不活化方法の開発は医療器具などを介する医原性CJDの予防のためのきわめて現実的な問題である。 しかし、プリオンの完全な不活化はおそらく不可能であるため、放射能などの場合と同様に安全限界を知ることが必要である。 それには発病機構の解明と発病に必要なプリオン量を知ることが必要である。 発病したら確実に死亡するプリオン病の治療法の開発もまた緊急の課題である。

19世紀終わりに細菌学の時代が始まり、ちょうど100年前にはウイルスが初めて分離された。 20世紀はまさにウイルス学の世紀でもあった。 1997年度ノーベル賞が与えられたプルシナーのプリオン説により理論的枠組みが固められたプリオン病は、21世紀の重要な研究領域になるであろう。