第37回 サルジニア出張記録(3/31/2008)

以下は、退官後、お台場の産業技術総合研究所生物情報解析センターに「ポストドク」としてデータベース解析チームに加わったときのイタリーのサルジニアに出張した記録である。この内容は日本遺伝学会のGSJコミニュケーションズ 2003/8、78(4):10にすでに発表したものであるが若干修正を加えて、ここに再録する。

5月22日(木)から5月30日(金)の期間、イタリー国サルジニア自治州ト−トリで行われた「複合疾患と隔離集団」Complex diseases and Isolated Population という遺伝学会議に出席し、その後移動期間を含めて5月31日(土)から6月3日(火)までオランダ国ライデン市のライデン大学にK Sannkaranarayanan名誉教授とA Raap教授を訪問し、それぞれCommplex Diseasessの集団遺伝学モデル化および細胞遺伝学の技法であるFISH (蛍光原位置雑種法)が疾患遺伝子のマーカーに利用できるかの可能性について討論をした。帰国は6月4日(水)で、機中の1泊を含めて13泊14日の出張となった。

今回出席した会議はイタリーのグループがサルジニア島で行った一連の遺伝的調査の成果の一部を踏まえて、世界各地で行われている多様な隔離集団の研究成果を集約したものと言える。特に複合疾患の原因遺伝子を探索する上で、隔離集団と一般集団の特徴を対比して問題点を浮かび上がらせるのが主たる目標であったと考えられる。すなわち、(1)複合疾患は一般集団だけでなく隔離集団でも診られる。(2) 隔離集団では人々の生活習慣は比較的類似しており、また近親婚も一般集団に較べて多く、集団内ではより遺伝的に同質であると考えられる。したがって(3)個々の隔離集団では比較的少ない数の特異的原因遺伝子による複合疾患が観察されると期待される。(4)隔離集団では家系調査が行われることが多いので遺伝マーカーと疾患遺伝子の連鎖解析が有用となるが(もちろん隔離集団でも関連調査は行える)、一般集団ではケースコントロール調査による関連調査を用いることが実務的である。後者は連鎖不平衡の考えが必須となる。

26演題が30分講演、15分講演が15演題、それにポスター発表が76題であった。これらの講演発表は(1)集団遺伝学調査における倫理諸問題、(2)遺伝的隔離集団の調査に於ける諸問題、(3)複合疾患の調査研究、(4)量的形質の調査研究、(5)統計的解析、(6)隔離集団の調査報告、の6テーマで行われた。以下の概要は30分講演のまとめである。15分講演およびポスター発表はあらかじめアブストラクトが配付された。会議のProceedingsはほぼ1年後に公刊されるとの話しである。

最初の講演が集団遺伝学的調査研究の倫理的側面(1)であったのは特異的である。地理的背景、文化/社会、特に宗教、歴史/政治/倫理、と対象集団の特徴を調査する側と対象となる側共に十分理解することなどの一般的な話しがあった。複合疾患の遺伝の特徴に関する議論もあった。隔離集団側にとっては倫理諸問題をはっきりさせる、調査研究が集団に還元されること、調査された生物資源の管理を明らかにすること、研究成果が臨床の現場に反映されることが重要である。研究者サイドでは、研究の優先権、倫理問題の総括、コミニュテイあるいは個人への対応、臨床試験、それに調査研究後への配慮などが指摘された。このセッションの最後にイタリーのOgliastra 地区(サルジニア)とCilento地区におけるヒト集団ゲノムプロジェクトの具体的調査のアウトラインの発表があり、調査する側と調査される側のCommon Good を推進することを念頭において計画を実行したと強調していた。

セッション(2)では隔離集団の特徴が挙げられた。地理的隔離の例として大平洋の島々、文化的隔離としてインド、Ashkenazi jew、歴史的隔離として、Armish、インデアン、南アフリカーナなど、系図的隔離としてモルモン教徒など。それぞれの隔離集団では特異的な遺伝性疾患がcommonなことがある。サルジニアも地理的隔離集団といえよう。

隔離集団の遺伝的特徴は2個体間の親縁係数、これは特定の常染色体遺伝子座について個体Aの1つの対立遺伝子と個体Bの一つの対立遺伝子が同祖的に同じである確率、が高くなることである。これは遺伝的浮動、具体的には瓶首効果や創始者効果という形で、一般集団ではまれな遺伝的疾患がcommon disease として観察されることがある。この推移過程は配偶子関連(連鎖不平衡)という形で疾患の候補座位と遺伝子マーカーとの関連解析により、疾患の候補遺伝子を探索することが可能となる。また、隔離集団では往々にして家系調査が丹念に行われるので、配偶子関連の有無に関わらず連鎖分析により疾患遺伝子を探索することも可能である。フインランドでのメンデル性形質からの経験によるとマーカーからの距離が20cM程度が連鎖分析で探れるが、関連分析は0.2cMぐらいで探れるという。複合形質では果たしてどうであろうか。

複合疾患の調査研究では遺伝解析と並んで生活習慣の調査も疾患遺伝子の探索にあたって重要なことが強調された。心血管のリスクについて、グリーンランドのイヌイットの主食はアザラシであったが、デンマークの一般集団に較べてリスクが高い。しかし最近の菜食傾向によりリスクは低くなる傾向があるという。カナダのケベックのある地区ではいとこ婚を避ける風習がある。近親婚を避けているのに遺伝性疾患が多発しているという。近親婚の直接的な効果は有害遺伝子をホモの状態で集団から取り除く結果をもたらすが、一方近親婚を避けることでいつまでも集団中に保有することになる。そのためある時期になると有害遺伝子の個体間の親縁係数が高くなり、結果として疾患の発生率が高くなった一例であろう。このコメントをしたところ、演者も納得していた。ピマインデアンの肥満と糖尿病についての講演は演者がSARS予防のため急に参加できなくなったとのことである。興味ある話題が聞けなくて残念であった。

QTL分析についてはブタとウシでの分析例での説明があり、ヒトでは大家系でのQTLマッピングの方法の紹介があり、またアプリケーションソフトSOLARの原理についての説明があった。スエーデンの隔離集団saamiについてasthmaのQTL解析の紹介があった。  統計遺伝学のセッションでは関連分析と微細マッピングについての多点法の新しいアプローチ、統計分析の結果についての評価、隠れマルコフ鎖を用いた隔離集団の連鎖分析など意欲的な研究の紹介があった。

最後の2つのセッションは隔離集団の調査研究報告で、Hutteritesでの複合形質のマッピング、南イタリーの2隔離集団での複合形質の調査報告、バスク集団17の近親婚調査、アメリカのユタ家系のデータについての説明、それに晩発性疾患の遺伝学、組換え率の年令効果と妊性、Amish集団の複合疾患についてのゲノムワイド調査研究、そして隔離集団の特性のまとめと、最後に一般集団における複合疾患の候補ポジショナルクローニングについてAsthmaを例とした解説があった。

ポスター発表の英文アブストラクトはモンゴル集団の調査研究で私が集団遺伝学の立場で参加したものである。ポスターの解説の際に、集団遺伝学、統計遺伝学について誰が参加しているのかとの質問があり、私がその旨伝えたところ納得してもらえた。実際どの調査研究グループも必ず統計遺伝学のエキスパートを共同研究者としていることは講演の最後に触れていた。多様な分野にわたる総合プロジェクト研究を行うには様々な分野の研究者の共同研究が要請されよう。

5月28日(金)にはGenomics and Bioinformatics HIGH-TECH for Health: new opportunities for entrepreneurs and researchers というタイトルのワークショップが開催された。これはイタリーを含めてユーロ圏で、企業家と研究者がどのようにデータベースを共有するかについてのシンポジュウムであった。1演題のみが英語で、残りはイタリー語で英語同時通訳であった。演者の中には時間を守らず長々と話す人がおり、自省の材料ともなった。7つの30分講演との17技術開発プロファイルが発表された。

6月1日(日)はDr K Sankaranarayanan名誉教授をライデン大学のSylvius Laboratoriesに訪ねた。同教授とは複合疾患の遺伝疫学的モデルの開発で共同研究をした経緯がある。放射線の遺伝的影響の調査研究で行ったもので、その後の研究の発展方向について討論を交わした。複合形質のうち感受性遺伝子を候補遺伝子とするアプローチが最短距離の一つの可能性ではないかと考えられる。翌2日は同じ建物のProf A Raapを訪ねて、ゲノムワイドの調査研究でFISHの遺伝マーカーとしての可能性について討論を行った。コスト等の問題を考えると、あまり微細なマッピングには使えないのではないかという。候補遺伝子の定性的な同定には強力であるが、定量的方法については未知で、むしろ否定的であった。

サルジニアは地中海の中ほどにあり、岩石のかたまりのような小島である。トートリの付近の海岸はすくなく、岩の崖が海岸にせまり、男性的な島である。トートリの漁港はわずかな平地と海岸にせり出した岩が印象的であった。歴史も古く、石をくりぬいた古墳を訪れる機会があったが、島の内部は岩の多い山並みの連続で、峠を越えるごとに山奥に入っていく感じがした。途中ある小さな村で小休止したとき、村の中央とおぼしき広場に面した壁に、その村から第一次と第二次大戦での戦死者の名が石盤に刻まれていた。戦争の影がこの簡素な村にも及ぼしていたのである。この地区で最も古いという教会を訪ねたが、今日でも昔の雰囲気を維持しているという。

5月30日(金)サルジニアからミラノに戻った当日、空港からのバスでミラノ中央駅バスターミナルを降りた際、手荷物の盗難にあった。幸いパスポートなどの貴重品は身につけていたし、会議のメモやアブストラクトは航空鞄に格納してあったので被害は最小限に抑えることができた。被害届を警察に出し、被害証明書をもらい、帰国後保険会社から妥当な保険金をもらうことができたが、オリーブ油などのサルジニアのお土産がふいになってしまった。

オランダのライデンではシーボルト記念館を訪ねたが生憎内装中で閉まっていたので正面の入り口をみるだけに終わった。その足でラペンブルグ運河沿いにあるライデン大学付属の植物園Hortus Botanicus Leidenを訪ね、ほとんど1日中散策した。植物園への入り口はラペンブルグ街から細い小道をまがり、ようやく到着することができた。入り口の内側の壁に菅原道真の句「こち吹かばにおい起せよ梅の花あるじなしとてにおいおこせよ」が日本語とオランダ語で描いてあった。一つひとつ丹念に樹木や草花などの説明を見てまわった。シーボルトが日本からはるばる海路を運んだ草木がしっかりと根付いていた。東南アジアの熱帯を経由した道のりを無事切り抜けた草木である。大変な苦労があったに違いない。熱帯温室には数多くの食虫植物が展示されていたのも興味深く観察した。これをきっかけに現在シーボルトの日本とのかかわりについて関心を持つようになった。

サンカラ先生ご夫妻とも久方振りに歓談することができた。奥様は貨幣がギルダーからユーロに替わって物価が高くなったといわれたことが何故か印象的であった。