ゲノムの時代に解明されつつある発疹性ウイルスの出現時期
天然痘、麻疹、水痘は全身に発疹が生じる病気で昔から混同されてきた。21世紀のゲノム時代になって、これらのウイルスがそれぞれ異なる時期に出現してきたことが明らかになりつつある。
2016年、カナダ・マクマスター大学古代DNAセンター所長のヘンドリク・ポイナーを中心とした7カ国の国際チームは、リトアニアで見いだされた17世紀半ばに死亡した子供のミイラから天然痘ウイルスのゲノムを構築し、1970年代に分離された天然痘ウイルスと比較して、300年間に起きた塩基配列の変異から求めた進化速度にもとづいて計算した結果、天然痘ウイルスは1588年から1645年の間に出現したと報告した(1)(本連載105)。
2020年、英国ケンブリッジ大学病原体進化センターのバーバラ・ミュールマンらは、3万1000年前から150年前の間にユーラシアとアメリカに生存していた1867人の骨や歯からDNAを採取して遺伝子を調べた結果、ヴァイキング時代(約600~1050年)に北欧に住んでいた11人に天然痘ウイルス遺伝子の断片を見いだした。そのうちの4人について、遺伝子断片を集めてウイルスゲノムを構築したところ、現代の天然痘ウイルスには存在しない機能遺伝子が多く含まれていることが明らかにされた。
天然痘ウイルスは、祖先ウイルスがヒトに順化する過程で多くの機能遺伝子を失ってきたと考えられている。もっとも祖先ウイルスに近く、マウス、ウシ、ウマ、ヒトなど多くの動物種に感染する牛痘ウイルスには機能遺伝子が209存在するが、ヒトにしか感染しない天然痘ウイルスでは162に減少している。ヴァイキング時代の天然痘ウイルスは未知のクレード(系統)で、ヒトへの順化の途中と推測された(2)。
リトアニアのミイラの成績と合わせて考えると、天然痘ウイルスは6世紀には生まれていて、その後、ヒトへの順化が進み16世紀にはヒトで大流行を起こすようになっていたと推測される。
麻疹ウイルスについては、2020年、ドイツのロベルト・コッホ研究所のチームが、ベルリンの医学歴史博物館に保管されていた1912年に麻疹で死亡した少女の肺のホルマリン組織から麻疹ウイルスのゲノムを構築し、進化速度から計算した結果、紀元前6世紀に出現したと推定している(3)(本連載125)。
水痘・帯状疱疹ウイルスは、7万年前に現生人類がアフリカから紅海を越えてアラビア半島に到達した時すでに、神経組織に潜伏していたと推測されている(4)。
ウイルス進化についてのこれらの知見に基づいて、天然痘の最初の例とされている古代エジプトのラムセス5世の病気と、日本での最初の天然痘とされる天平年間に発生した疫病について考察してみる。
古代エジプトのラムセス5世の病気
エジプトで紀元前1157年に死亡したラムセス5世は、そのミイラに見られる膿疱から天然痘で死亡したと言われてきた。1979年、米国疾病制圧予防センター(CDC)元副所長ドナルド・ホプキンスは、サダト大統領から許可をもらって、カイロ博物館に保存されていたラムセス5世のミイラの上半身を詳しく調べてみた。保存状態は非常に良く、直径2-4ミリの盛り上がった膿疱が、主に顔の下半分、頸、両肩に存在していた。両腕にも認められた。肩の膿疱はミイラ作製に用いられた赤褐色の香料が背景になって淡い黄色をしていた。天然痘に特徴的な手のひらの膿疱の存在は、両腕が手のひらを下にして組まれていたため、確認できなかった。天然痘を示唆する情報はとくに得られなかった(5)。
この時代、麻疹ウイルスと天然痘ウイルスはまだ生まれていなかったことを考えると、ラムセス5世の膿疱は水痘ウイルス感染による可能性が高い。
天平年間に流行した碗豆瘡と赤斑瘡
日本では、続日本紀に記されている奈良時代の天平7年(735)に九州太宰府から諸国に流行した碗豆瘡(わんずがさ)、俗称が裳瘡(もがさ)という疫病が天然痘のもっとも古い記録と言われてきた。瘡とは皮膚の発疹のことである。天平9年(737)には赤斑瘡(しゃくはんそう)と呼ばれた疫病が九州太宰府管内の諸国で発生し、都にも広がり、公家を初め天下の百姓があいついで死亡し、政権を握っていた藤原不比等の息子、藤原四兄弟もかかって死亡した。1912年、医史学の先駆者・富士川遊は、天平9年に朝廷から諸国に下された太宰官府(太政官が発令した公文書)にこの疫病の名が赤斑瘡と記されていたことについて、赤斑瘡の名は麻疹のことだが、天然痘にも用いられているとして、この年の疫病も天然痘と結論していた。
富士川の見解に対して50年後、医史学者で小児科医の三井俊一は、天平9年の赤斑瘡は天然痘ではなく、麻疹と結論していた(6, 7)。しかし、現在の歴史書や歴史小説は、天平9年の疫病を天然痘とみなしている。
太政官符に記されていた症状は、現代文に直すと「発病初期には、瘡(おこり)(間歇的な発熱)に似ている。病床で3,4日あるいは5,6日苦しんだのち、発疹が出てくる。体全体が熱くなり焼かれるように感じる。この際には冷たい水を飲みたがるが、決して飲ましてはいけない。発疹が消えて熱も下がると下痢が起こり、早く治療しないと血便となる。ほかの症状としては、咳、嘔吐、吐血、または鼻血がある」と書かれていた(8)。天然痘ウイルスは皮膚のもっとも内側の層で増殖して組織を破壊するため、発疹は痂皮(かさぶた)となって回復する。そして瘢痕(あばた)が残ることが多い。水痘も痂皮ができる。太政官符には天然痘に特徴的な痂皮や瘢痕のことは書かれていない。麻疹の発疹は免疫反応によるもので痂皮にはならない。下痢や咳も麻疹で見られる症状で、水痘では稀である。太政官符の症状は麻疹にあてはまる。
奈良時代、天然痘ウイルスは生まれてはいたものの、北欧に限られていて、強い伝播力を示す現代の天然ウイルスにまで順化はしていなかったと推測されることからも、天平年間の疫病は天然痘ではなく麻疹だったと考えられる。
文献
1. Duggan, A.T. et al.: 17th century variola virus reveals the recent history of smallpox. Current Biology, 26, 3407–3412, 2016.
2. Muhlemann, B. et al.: Diverse variola virus (smallpox) strains were widespread in northern Europe in the Viking Age. Science, 369, 2020. eaaw8977. doi: 10.1126/science.aaw8977.
3. Düx, A. et al.: Measles virus and rinderpest virus divergence dated to the sixth century BCE. Science 368, 1367-1370, 2020.
4. Grose, C.: Pangea and the out-of-Africa model of varicella-zoster virus evolution and phylogeography. Journal of Virology, Vol. 86, No. 18, 2012.
5. Donald R. Hopkins: The Greatest Killer. Smallpox in History. The University of Chicago Press, 2002.
6. 富士川遊:『日本疾病史』1912.(東洋文庫、平凡社、1969)
7. 三井駿一:「麻疹の歴史」『麻疹・風疹』(奥野良臣、高橋理明編).朝倉書店、1969.
8. 山内一也:『はしかの脅威と驚異』岩波書店、2017.