8.「食の安全」

日本経済新聞(2004年2月22日)の「今を読み解く」欄で、新刊書を通して食の安全に関する現在の動向を考えてみました。その原稿を転載します。

 

アメリカのBSE(牛海綿状脳症、狂牛病)、鳥インフルエンザなどの問題を契機に、食の安全が改めて高い関心を集めている。2001年にBSEが日本で初めて見いだされたことが本格的議論のきっかけとなったが、その安全対策が進められている最中に牛肉偽装事件など派生的な出来事で食品に関する信頼は崩れていき、BSE問題は食品の安全確保システム全体を検証する象徴的なものとなった。

同様の事態はすでにヨーロッパ諸国が経験しており、その結果、英国、フランス、ドイツなどで独立した食の安全確保の組織が作られた。日本でもBSE問題に関する調査検討委員会の勧告を受けて、食品安全確保システムの枠組みとして、食品安全基本法が制定され、食品安全委員会が発足した。

それまでの経緯について、衆院農林水産委員会理事の山田正彦の『輸入食品に日本は潰される』(青萌堂2003)によると、当初、食品安全基本法は国内の食品のみを対象としており、それに「国の内外における」の8文字を加えて輸入食品も対象となった。日本の食料自給率がカロリーベースで40%、穀物では28%という数字には今更ながら驚かされる。食料自給率60%達成への権利宣言を国連の場で行うべきという著者の提言は当然である。

さて、食品安全確保の枠組みはできてきたが、「言うはやすし、行うは難し」と、カネミ油症事件などにかかわってきた藤原弘達の『食の安全システムをつくる事典』(農文協2003)は指摘する。BSE問題調査委員会が提言したリスク分析手法のみでは不十分で、それを補う予防原則、すなわち、「危険性が認められなければ実施するのではなく、安全性が実証されなければ実施しない」というモラトリアムの考えを提言しているのである。

ところで、現在の食品の実態はあまりにも複雑である。石堂徹生『「食べてはいけない」加工食品の常識』(主婦の友社2003年)では、食品添加物実態を紹介し、食品添加物は化学肥料と同じく余分なものが排除され、効率優先の現代社会の基準にぴったりあったものとしている。効率最優先の食品の展開としてファーストフードがあるが、そうした食の実態をくつがえすためのスローフードの考えを提唱している。

G. E.ペンスは、『遺伝子組換え食品』(青土社2003)で食品にかかわる問題を4つの世界観、すなわちグローバル主義、自然主義、科学的進歩主義、平等主義から整理しようと試みている。たとえばBSEについて、自然主義者は人間が越えてはならない自然の限度を超えたものとし、グローバル主義者は、ヨーロッパでのBSEパニックを保護貿易論者が障壁をうち立てた一例とみなす。進歩主義者は近代食品産業がいつまでも基本的に安全と考え、平等主義者は生産者と政府の癒着の面からとらえている。彼はまた、食品には文化的、政治的シンボルの面もあって、たとえば、遺伝的改変食品を推進するアメリカとそれを拒否するヨーロッパの関係は双方の文化の衝突の象徴とみなしている。

現在、日米間の問題になっているアメリカのBSEについて、国際調査団は北米におけるBSEまん延状態は不明と判断し、アメリカのこれまでの主張をしりぞけて、ヨーロッパや日本式のきびしいまん延防止対策を勧告した。遺伝子改変食品と同様に、これもまた、両者間での文化面の衝突につながるのだろうか。

一方、遺伝子改変は植物に限らない。食肉の面でも近い将来、現実の問題になってくる。遺伝子改変家畜の研究者である佐藤英明は『アニマルテクノロジー』(東大出版会2003年)で、食料問題解決につながるこの新技術を、仏教における食物連鎖の中で殺生を行う人間を見据えるものとみなしている。食の安全を日本的文化にもとづいて考えなければならないという主張であろう。