人獣共通感染症連続講座 第156回 米国の屠畜場に関する書物

(4/10/04)

米国の屠畜場に関する書物

日米間のBSE問題について、牛でのまん延防止対策と人への安全対策の両面からさまざまな議論が行われています。実は私は1960年代初め、カリフォルニア大学に留学していた際、細胞培養の実験用に牛の血液をもらうために何回か大学近くの屠畜場に行ったことがあります。牛の頸動脈から流れでる血液を、かなり怖い思いをしながらバケツで受けた記憶がまざまざと残っています。帰国後は、国立予防衛生研究所で研究部のメンバーと交代で福生市や立川市、時には芝浦の屠畜場に定期的に牛の血液をもらいに行っていました。研究費が乏しく市販の牛血清が十分に購入できず、無料の血液をもらって血清を分離していたのです。その頃からアメリカの屠畜場と日本の屠畜場がまったく違うことを感じていました。

現在の日本の屠畜場については、BSE発生後に見学に行き、また多くの関係者から話を聞いておりますので、ある程度、実態は理解できてきたつもりです。しかし、米国の屠畜場の現状はまったく分かりません。そこで米国の屠畜場に関する本を探した結果、以下にあげるいくつかの本を読むことができました。

関心のある方のために、それらを列記し、それぞれの本の特徴を私なりに整理してみます。

1.Slaughterhouse Blues: The meat and poultry industry in North America(屠畜場ブルース:北米における食肉産業と養鶏産業)、Donald D. Stull & Michael J. Broadway著、Thomson, 2004

序文はエリック・シュローサー(Eric Schlosser)が書いています。彼は本講座154回でご紹介したニューヨークタイムズの論説の著者です。私の講座では、彼の著書Fast Food Nationを「ファーストフードの国家」と仮訳しましたが、これは「ファーストフードが世界を食いつくす」という表題の楡井浩一訳が草思社から2001年に出版されていました。なお、この本の中でも、米国の屠畜場の実態が紹介されています。

この序文では、アプトン・シンクレアが1906年に出版した「ジャングル」という世界的ベストセラーの中で食肉産業の実態を告発した時代と比較して、1960年代からこの30年間に「ジャングル」の時代にもどりつつあるという点が強調されています。そして、米国の屠畜場の方式はきわめてユニークでほかの先進国では、最近米国のコントロール下に入り込んだカナダ以外には、例をみないものであることを指摘しています。

二人の著者のうち、Stullはカンザス大学の文化人類学の教授、Broadwayはノーザン・ミシガン大学の社会地理学の教授です。この二人が15年間にわたって行った食肉産業と養鶏産業についての調査結果が本書にまとめられています。

序章ではカンザス州ガーデンシティにある米国最大の屠畜場IBP(Iowa Beef Packers)のルポに始まります。なお、ここは2001年に米国最大の食品企業タイソン(Tyson)に買収されています。この屠畜場では1時間に400頭の牛1週間で3万頭を屠畜しています。日本で最大の芝浦屠畜場では1年間に3万5000頭ですからスケールの違いが分かります。屠畜場内の案内板はスペイン語とベトナム語だけで英語はありません。移民の労働で成り立っていた「ジャングル」の時代とほとんど変わっていないことが指摘されています。

本文の内容は以下のとおりです。まず、米国でのアグリビジネスの進展の歴史、ついで少数の巨大企業による支配の現状(牛肉では4つの企業、すなわちIBP, Con Agra, Excel, Farmlandが81%を支配)と、その目標は最低の価格で均一の産物を大量に生産することなどが述べられています。

さらに、精肉産業の進展の歴史から現状の紹介、養鶏産業の進展の歴史、養豚産業の進展の歴史、移民が主体の屠畜場従業員の作業の内容と賃金の実態、高度に機械化された近代化屠畜場の実態の分析、作業文化、環境問題と屠畜場に対する住民運動などが紹介されています。

最後の章では、食に関する考察として、少数の企業支配による食品供給システムが食の安全、保証、品質につながっており、生産者や食肉処理工場従業員は消費者に対して食品の工業的生産システムについての情報提供を行って、一般の多くの人々が自分たちの食べる食品とその生産方法の変更を要求できるようにしなければならないと結論しています。

2.Slaughterhouse: The shocking story of greed, neglect, and inhumane treatment inside the U.S. meat industry(屠畜場:米国の食肉産業における貪欲、無視、非人道的処置のショッキングな物語)
Gail A. Eisnitz著1997, Prometheus Books.

著者のエイスニッツは長年、動物虐待の問題にたずさわってきた女性です。彼女は1989年に、フロリダのカプラン社の屠畜場で牛が生きたまま皮をはがれているという話を聞いたことから、屠畜場の調査を始めました。

カプランの屠畜場では1日に約600頭が屠畜されています。本書はここの従業員や監視員から苦労して行った取材や新聞報道記事などにもとづいて、米国の屠畜場の実態を、主に人道的立場と食品汚染の面から告発したものです。

本書はかなりの反響があったようで、Amazonのホームページでは57名の読者の感想が掲載されています。それらを読んでみると、ほとんどの人が、本書に書かれている内容は正確と判断し、食の不安を感じたと述べています。

以下、本書の主な点をなるべく著者の言葉のまま、ピックアップしてみます。

人道的屠畜法の違反

米国では1906年に連邦食肉監視法Federal Meat Inspection Act が制定されました。(これは後述の「ジャングル」の出版が契機になっています。)一方、人道的屠畜法(Humane Slaughter Act)が1958年に制定され、1978年に拡大されています。この法律では、すべての動物はロープで吊し上げられる前に熟練した人間により1回だけ効果的な気絶法で処置されることが要求されています。その後、放血され皮がはがれるのですが、調査の結果、気絶していない牛がしばしば出ていることが明らかになったと述べられています。途中で意識を回復するウシが出てきた場合には脊髄を切断することもあり、何もせずにそのまま作業を続けることもあるとのことです。

ある監視員が、9分間半にわたって牛に意識のあるまま一連の屠畜作業が行われた事例を告発したことがありましたが、結局、うやむやに終わってしまいました。米国には告発者保護法(Whistleblower Protection Act)がありますが、現実には告発することで失職させられる例がしばしば起きていると述べられています。

 食肉の安全確保に関する問題

食肉監視員はほぼ90年間同じ方法を用いています。1985年に全米科学アカデミーは科学的根拠にもとづいた監視システムの導入を直ちに行うよう勧告しています。それに対して、農務省は21世紀に向かっての現代的プログラムと称した対策を実施しましたが、その内容は監視員の数を減らし、大屠畜場の衛生基準を緩和したことでした。

米国での年間屠畜数は牛と子牛が合わせて3700万頭、豚が1億頭、馬(輸出用)、羊、山羊が400万頭、鶏と七面鳥が80億羽以上です。牛肉と豚肉合わせて650億ポンド、鶏肉460億ポンド、卵800億個になります。

この膨大な数に対しての監視の実態が紹介されていますが、たとえば、鶏の場合、1960年代、監視員は1分間に18羽を検査していましたが、現在は35羽、1日に1万5000羽です。牛では受け持ち時間内に屠畜される3200頭のうち、完全に検査されるのは、0.3%に過ぎないと述べられています。

農務省が1980年代に監視体制を緩和してから食中毒による死者の数は急増したと著者は指摘しています。レーガン大統領とブッシュ大統領の時代に精肉産業の巨大化が進み生産ラインのスピードが増加したのにともなって、食中毒も増えているという内容です。CDCの統計では年間の食中毒が650万例から810万例、そのうち腸管出血性大腸菌O157による中毒は年間4万件とされているが、著者はもっと多いはずと述べています。100頭以上の牛の肉が混ぜ合わされて作られる挽肉に、もしも1頭のO157保菌牛が入り込めば16 トンの牛肉が汚染するとの計算です。

鶏肉、豚肉における細菌汚染の問題も指摘していますが、これは割愛します。

生産者のための農務省

レーガン大統領は農務省長官に養豚界のJohn Block、副長官に全米食肉協会会長のRichard Lyng(後に長官)、マーケッティングおよび監視局の副長官に全米肉牛協会副会長のWilliam McMillanを任命し、農務省は実質的に生産者によって運営されていました。

アメリカ最大の食品会社タイソン(アーカンサス州)の会長はクリントン大統領の古くからの後援者で、10年前に6億ドルだったタイソン社の収入はクリントンがアーカンサス州知事になった1993年には、47億ドルに急増したと指摘しています。

3.The Jungle (Upton Sinclair) 1906The Jungle: The Uncensored Original Edition, See Sharp Press, 2003
ジャングル(前田河広一郎訳)春陽堂世界名作文庫、昭和7年
ジャングル(木村生死訳)三笠書房世界文学選書、
1950アプトン・シンクレア:旗印は社会正義(中田幸子著)図書刊行会、1996

これまでに述べた2つの本のいずれでも「ジャングル」が重要なキイワードになっています。

「ジャングル」はアメリカン・ドリームを追ってリトアニアから移住しシカゴの精肉工場で働いた若い夫婦の物語です。1906年に出版された際には全部で31章の本でしたが、1980年、ピッツバーグ大学の図書館に古い書類の束が持ち込まれ、そこからジャングルの元の原稿すべてが見つかりました。これは36章から成っています。あまりにもどぎつい内容などから、おそらく著者が削除していたものと推測されました。削除されていた章には、女性が屠畜場での作業中に出産した際の出来事なども含まれています。

36章すべてを含めたオリジナル版(The Jungle: The Uncensored Original Edition)は2003年に出版されました。

一方、和訳「ジャングル」2冊は、国会図書館にありました。ただし、木村訳の方はマイクロフィルムのため、読みづらく前田河訳の方を読んでみました。なお、社会主義的記述と思われる部分は検閲を意識してか、削除されていますが、木村訳には全文が掲載されているはずです。

この本を読んだセオドア・ルーズベルト大統領は最初信じられないと言っていましたが、自分で調べたらその通りであったことから、議会で立ち往生していた純良食品法と食肉検査法を本書出版6カ月後に成立させています。

「アプトン・シンクレア: 旗印は社会正義」も国会図書館にありました。これを読んで、シンクレアは1934年にリーダーズダイジェスト誌が顕著な人物として1位、フランクリン・ルーズベルト大統領、2,3位にヒットラーとムッソリーニ、4位にシンクレアをあげたとか、また同じ年に彼はカリフォルニア州知事選に立候補したというエピソードを初めて知りました。