(9/13/09)
上記の著書が8月末に岩波書店から出版されました。牛疫は人獣共通感染症ではありませんが、BSEや鳥インフルエンザなどで行われている人獣共通感染症対策の出発点にもなったものです。4000年にわたって大きな災厄をもたらしてきた牛疫ですが、2010年には世界的根絶宣言が出される予定です。これは天然痘の根絶に続く快挙ですが、ほとんど知られていません。 牛疫がどのように世界史をゆるがせてきたのか、さらに牛疫根絶を成功に導いた科学の進展の歴史、とくに日本人科学者の貢献も含めて、牛疫の実態を多くの人に知っていただくために、20年以上にわたって集めてきた資料をもとに本書をまとめた次第です。 本書の内容の紹介として、「はじめ」の部分と目次を転載させていただきます。
「はじめに」
古来、もっとも恐れられてきた伝染病(注)は、ペストと天然痘であった。とくにペストは、その別名が「疫病」であることに示されるように、人々を恐怖のどん底に陥れてきた。歴史的に見ると、聖書にペストと考えられる病気は紀元前十一世紀頃に起きていた記載があるが、もっとも大きなペストの大流行は十四世紀にヨーロッパ全体を巻き込んだものであった。これはボッカチオの「デカメロン」で生々しく語られ、それ以後も、十七世紀のロンドンをおそったペストがダニエル・デフォーの「ペスト」、さらに二〇世紀にはカミユの名作「ペスト」で取り上げられた。しかし、科学史の面でペストが登場することはほとんどなかった。一方、天然痘は紀元前一一五七年のエジプトのミイラに見られるあばたがもっとも古い感染例とみなされている。その激しい伝染力から貧富の差なく感染を起こし、王侯貴族の死亡例も多く知られている。日本でも一八六六(慶応二)年に孝明天皇が天然痘で死亡している。十六世紀にはスペイン軍がメキシコに持ち込んだ天然痘により、アステカ文明は滅亡した。天然痘の流行のすさまじさもまたペスト同様に多く語り伝えられてきたが、科学史の面では、十八世紀に種痘を開発したジェンナーを除いてほとんど取り上げられていない。
ペストや天然痘にまさる大きな影響を世界史に与えてきた伝染病として牛疫が存在していたことは、ほとんど知られていない。これは、その名前が示すように牛の疫病(ペスト)であるが、人には感染しないためである。牛疫は四〇〇〇年前のエジプトのパピルスや旧約聖書にも示されているもっとも古い伝染病である。古代から牛は、農業や輸送などの労働力として利用され、また食糧としても重要な家畜であった。ひとたび牛疫が発生すると、急速に広がってほとんどの牛が死亡した。農業の重要な担い手である牛の死亡は飢饉をもたらした。その結果、牛疫の発生は東西ローマ帝国の分裂の引き金となり、アフリカの植民地化の促進も招いた。そのほか、さまざまな形で牛疫は世界史をゆるがせてきたのである。
十八世紀に全ヨーロッパをまきこんだ牛疫の大流行は、二億頭の牛の死亡を引き起こし、ヨーロッパの牛は半減したと言われた。牛疫による莫大な被害は獣医科大学の設立、獣医師の職業を生むことになった。現在、口蹄疫、BSE、トリインフルエンザなどの対策の基本である家畜の大量殺処分という摘発淘汰方式、国際獣医学会議、国際獣疫事務局(OIE)といった、家畜伝染病対策の体制も牛疫がきっかけになって作りだされた。
牛疫についての対策や予防についての研究は国家レベルで推進され、中世からの牛疫研究の歴史を眺めると、ほかの伝染病とは比較にならない膨大な情報が蓄積されている。
(注)伝染病という言葉は、人に対しては伝染病予防法が平成十一年(一九九九)感染症法に代えられたのをきっかけとして、正式には用いられなくなった。もともと伝染病とは感染症の一部であって、ペストや天然痘のように人から人に容易にうつる病気を指す。しかし、ほかの人には容易にうつらない感染症も多くが問題になり始め、また、伝染病とされたハンセン病などで起きた人権侵害への反省もあって、伝染病という言葉は消えていったのである。家畜では現在でも家畜伝染病予防法のように用いられている。
牛疫は、日本では一九二二(大正十一)年に根絶されたため、現在ではほとんど知られていないが、江戸時代から日本各地で発生し、農業に大きな被害を与えてきた。とくに、明治初年の牛疫の発生は家畜伝染病予防法、港湾検疫所などの出発点になった。日本における家畜伝染病対策は牛疫を中心に進展してきたといっても過言ではない。
十九世紀終わりからの微生物学の進展にともない、牛疫の予防に関する科学的研究も推進された。それらの中でも特筆されるのは、日本人科学者の貢献である。とくに一九一一年に朝鮮半島に設立された牛疫血清製造所では、蠣崎千晴博士による最初の牛疫ワクチン(不活化ワクチン)の開発、これにつぐ中村稕治博士の牛疫生ワクチン開発など、当時、世界の最先端の成果が得られた。そして、これらのワクチンにより、中国、韓国、台湾、カンボジア、タイ、ベトナムなどの牛疫は撲滅された。
ヨーロッパの牛疫も二〇世紀初めにはほとんど撲滅されたが、南アジア、中近東、アフリカでは牛疫の発生は続いていた。二〇世紀後半からは、国際的な根絶の計画が試行錯誤ののち、成果をあげはじめ、二〇一〇年には根絶が期待される段階になった。
ところで、ワクチンによるウイルス感染症との戦いは、戦略的に見ると達成状態により「制圧」、「排除」、「根絶」の三段階に分けられている。第一段階の「制圧」は、ワクチン接種により、ウイルス感染の発生頻度や激しさを無害なレベルにまで減少させることができた状態をいう。第二段階の「排除」は特定の国または地域でウイルス感染の発生が見られなくなった状態であって、獣医学領域では「撲滅」の用語の方が一般的であるため、本書ではこちらを用いる。第三段階の「根絶」は全世界で発生が見られなくなった状態である。
これまでに根絶に成功した感染症は天然痘だけである。その直後から始められたポリオ根絶計画を眺めてみると、日本を含めて先進国のほとんどで排除に成功したが、二〇〇〇年に達成を目標としていた根絶は、いまだに足踏み状態で見通しはたっていない。一方、麻疹は日本では発生が問題になっていて、二〇一二年に排除を目指してワクチン接種が進められている段階であり、根絶にはほど遠い。
牛疫は天然痘に次いで根絶される感染症となる。
筆者は四〇年あまり牛疫ウイルスの研究に従事している間に牛疫の歴史に魅せられ、膨大な資料を集めてきた。それらを整理して、四〇〇〇年にわたる牛疫の歴史を振り返り、牛疫の根絶にいたるまでの道のりを紹介することにした。
「目次」
第1章 牛疫とはどんな病気か
- 牛のペストとみなされてきた牛疫
- 七〇パーセント以上が死亡する強い毒性
- 麻疹ウイルスの祖先ともみなされる牛疫ウイルス
第2章 古代から中世にかけての牛疫
- パピルスにも描かれた牛疫
- 古代ローマでしばしば発生した牛疫
- ヨーロッパで広がる牛疫
- ローマ帝国の衰退のきっかけをもたらす
- モンゴル軍の秘密兵器
- 二億頭の牛を死亡させた十八世紀
- フランス革命と牛疫
第3章 牛疫が近代獣医学の出発点をもたらす
- 摘発淘汰方式の誕生
- 病理解剖学の出発点ともなる
- 獣医科大学の設立
- 母子免疫の最初の観察
- ミアズマ説からコンタギオン説へ
第4章 世界中に広がりはじめた牛疫
- ヨーロッパを中心とした牛疫の拡大
- 牛疫侵入の危険性をめぐる英国での議論
- 国際獣医学会議の発足
- アフリカ全土での大流行
- 牛疫の大流行が促進したアフリカの植民地化
- 世界的な対策の開始—国際獣疫事務局(OIE)の設立
第5章 牛疫の原因はウイルス
- ウイルス発見の時代が始まる
- 牛疫ウイルスの発見
第6章 牛疫予防への道のり
- 牛疫接種法の試み
- 種痘による免疫
- ロベルト・コッホの胆汁法
- 免疫血清法
- 最初の牛疫ワクチン(蠣崎ワクチン)
- 山羊継代で偶然生まれた弱毒生ワクチン(エドワーズ・ワクチン)
- ウサギ三〇〇代継代で作られた弱毒生ワクチン(中村ワクチン)
- 日本からの牛疫ウイルス攻撃に対して米国が開発したワクチン
- 安全な弱毒生ワクチンの開発
- 近代的な弱毒生ワクチンの開発(プローライトワクチン)
- 麻疹の予防にも生かされる
- 牛疫ワクチンから高度弱毒麻疹ワクチンへ
第7章 日本でも大きな被害をもたらしていた牛疫
- 古書に見られる牛疫
- 江戸時代における牛疫
- 明治初年に侵入した牛疫がもたらした混乱
- 明治二十五年にふたたび侵入する
- 莫大な被害を受けた畜産界
- 日本における最後の牛疫発生
第8章 牛疫対策を中心として進展した日本の家畜伝染病対策
- 港湾検疫所の設置と家畜伝染病予防法の制定
- 二重検疫制度の発足
- 獣疫調査所の設置
第9章 朝鮮半島と満州での牛疫対策
- 釜山での牛疫免疫血清製造の開始
- 奉天獣疫研究所の設立
第10章 第二次世界大戦後も重要だった日本の牛疫対策
第11章 牛疫と生物兵器
- 風船爆弾「ふ」号作戦
- 米国における牛疫ワクチン開発の極秘研究
第12章 日本人科学者の活躍
- 牛疫に対する「万里の長城」を築く
- 台湾での牛疫撲滅
- 第二次世界大戦後のアジアでの牛疫撲滅
- エジプトでも貢献
第13章 世界的根絶計画
- アフリカでの撲滅計画の失敗
- 世界的根絶計画の開始
- 世界的根絶計画の進展
- 微生物学の進展が貢献した牛疫根絶
第14章 牛疫と私
- 天然痘ワクチンの改良
- 牛疫ウイルスとの出会い
- 組み換え牛疫ワクチンの開発
- 東大医科学研究所でのプロジェクト開始
- インドでの実験の成功
- OIEの牛疫専門家会議で安全性が認められる
- OIEの基準を満たした英国との共同研究成果
- 実施できなかった野外試験