126.新刊書『ウイルスの世紀 なぜ繰り返し出現するのか』

上記の本がみすず書房から刊行されました。
これには、霊長類センター設立の経緯も紹介してあります。あとがきの一部を転載します。

 

 

あとがき

私が最初に出会ったエマージングウイルスは、一九六七年アフリカから輸入したミドリザルが西ドイツに持ち込んだマールブルグウイルスであった。私の所属していた国立予防衛生研究所(予研、現国立感染症研究所)にも同じ輸出業者からミドリザルが送られてきていた。当時、サルのウイルス安全対策を担当していた私にとって、その際の緊張感は忘れることができない。それ以来、私は、次々と発生した多くのエマージングウイルスに直接、または間接的に関わることになった。

一九九五年春、予研霊長類センターをキイステーションとしてホームページ「霊長類フォーラム」が作られた。当時、インターネットによる講座がどのようなものか、まったく理解できずにいた私であったが、フォーラムの世話役であった吉川泰弘霊長類センター長から詳しい説明と熱心な説得を受けて連続講座「人獣共通感染症」を始めた。そこで最初に紹介したのはウマモービリウイルス(現在はヘンドラウイルスに改名)である。その翌年、ザイールでのエボラ出血熱の発生、続いてウシ海綿状脳症(BSE)と社会を揺るがす感染症が発生し、いつのまにか、多くの人々がアクセスするようになっていた。そのひとりにK & K事務所の編集者、刈部謙一さんがいて、彼から、人獣共通感染症に関する一般向けの解説書の執筆を勧められた。そして、ライターの高木裕さんに協力していただいて、私にとって最初の一般向け著作として『エマージングウイルスの世紀』(河出書房新社、一九九七)を執筆したのである。

その頃は、エマージングウイルスへの関心が高まり始めた時期で、一九九四年にプロメドがスタートし、一九九六年にはエマージングウイルスに関する最初の国際シンポジウムが開かれていた。私のウイルス・ハンターたちとの交流も増えていった。二〇〇〇年、このシンポジウムがアトランタで開かれた際、親友になっていたCDCのウイルス部門長のブライアン・マーヒーの家でのパーティーは、私にとって懐かしい思い出になっている。たまたま、その日が私の誕生日に当たっていたため、世界中から集まっていたウイルス・ハンターたちから、「ハッピーバースデー・カズヤ」と祝ってもらったのである。

その後、私の研究テーマであった、天然痘、麻疹、牛疫などのウイルスについての著作も刊行して、私が眺めてきたウイルスの世界については語り尽くしたと思っていた。ところが二〇一七年、みすず書房の市田朝子さんから、生命体としてのウイルスの視点から『ウイルスの意味論』の執筆を勧められた。考えてもみなかったテーマであったが、なんとか翌年暮れに出版し、私の研究者人生の集大成とすることができた。

それから一年あまり後、突然、新型コロナウイルスが発生した。発生そのものは、私には予想外ではなかったが、グローバル化した世界でのウイルスの影響拡大は私の想像の域をはるかに超えていた。そのような事態のもと、市田さんから今度は、『エマージングウイルスの世紀』の改訂版の執筆を提案された。そこであらためて、半世紀以上にわたってエマージングウイルスを眺めてきた私の経験をもとに、過去のエマージングウイルスの背景やウイルスハンターの活動、このような危険なウイルスの研究のための環境整備の経緯などについて本書をまとめることにしたのである。そして、『キラーウイルス感染症』(双葉社、二〇〇一)の一部を転載し、さらに新型コロナウイルスに関わるさまざまな問題点を取り上げた。旧版の表題からは、「エマージング」を削除し、内容も『ウイルスの意味論』の姉妹版になるように心がけた。この二部作を通じて、ウイルスの真の姿への認識が高まることを期待したい。