130.ウイルスの存在する意味

学士会会報 No. 949 (2021年7月)に掲載された記事です。一部修正してあります。

 

ウイルスは自然生態系の一員

ウイルスは、地球上に30億年前に出現し、真核生物(動物、植物、真菌)、アーキア(古細菌)、細菌といった、あらゆる生物に寄生している。ウイルスは、子孫ウイルスのための遺伝情報として、DNAまたはRNAを持っているが、代謝機能を欠いている。そのために、生物の細胞が保有する代謝機能を乗っ取って子孫ウイルスを産生している。ウイルスは、代謝機能を欠くために、生物とはみなされていない。

しかし、2000年代になってから、数多くの巨大ウイルスが分離されるようになり、代謝機能に関わる遺伝子を持つものも見つかっている。ウイルスは変異しながら進化している。その遺伝情報は、人と同じ暗号で書かれている。遺伝情報の担い手であるDNAの二重らせん構造は、細菌ウイルス(バクテリオファージ)の研究により解明され、生命科学の基盤となった。ウイルスは、生き物とみなされてきたのである。

ウイルスは地球上いたるところに存在する。陸上だけでなく、海にも、表層部分から深海底にいたるまで、存在する。極限環境でも見つかっている。南極の厚さ5メートルの氷に覆われた湖、90度を超す源泉、高濃度の塩田、高アルカリ性の湖にも、生物が生息する限り、ウイルスは存在する。

地球上に存在するウイルスの総量は1031個という推定がある。このウイルスの総重量を、生物の骨組みとなる炭素の重量で比較すると、シロナガスクジラ7500万頭分に相当するという試算もある。ウイルスのサイズは最小のものは20ナノメーター、最大は500ナノメーターと、多様である。ウイルスは地球上、最大の多様性をもつ究極の生命体として、自然生態系の一員になっている。

病気を起こすウイルスはほんの一部

ウイルスは19世紀末に牛の口蹄疫とタバコの葉のモザイク病から初めて発見された。それ以来、ウイルスは動物や植物に病気を起こすことを目印に検出されてきた。試験管内で細胞が培養できるようになると、ウイルスは細胞を破壊する能力から検出されるようになってきた。つまり、ウイルスそのものではなく、病気や細胞破壊というウイルス増殖の痕跡からウイルスの存在は確かめられてきたのである。そのような背景もあって、ウイルスは病気の原因という面だけでとらえられてきた。

しかし、20世紀後半から進展した組換DNA技術により、ウイルスの遺伝子の検出が可能になり、21世紀には次世代シークエンサーが普及して、ウイルスのゲノム(全遺伝情報)を容易に解読できるようになった。痕跡をたどっていたのが、遺伝情報という指紋により、ウイルスの存在を知ることが可能になったのである。その結果、ウイルスがさまざまな役割を果たしていることが明らかになりつつある。

たとえば、妊娠中の女性の胎盤では、胎児を保護しているウイルスの存在が明らかになった。ヒトの進化の原動力として、ウイルスの共生が関わっていた証拠も見つかってきた。海は地球表面の約70%を占め、ウイルスの最大の貯蔵庫になっている。そこに存在する天文学的数字のウイルスは、食物連鎖の最下層の微細藻類に感染し破壊することで、海中での生態系に影響をおよぼしている。

人間本位の視点では、ウイルスには病原体としての姿しか見えていなかったが、それはウイルスの姿のほんの一部に過ぎなかったのである。

 

ウイルスの生存戦略は共生

自然界でウイルスの存続の場となる動物のことを自然宿主と呼んでいる。宿主が死ねば、ウイルスは存続の場を失うため、もっとも安全な生存戦略として、ウイルスは自然宿主と平和共存している。

現生人類ホモ・サピエンスは、20万年前地球上に出現した、もっとも新参の動物である。ヒト・ウイルスは、元は野生動物のウイルスがヒトの間で受け継がれるうちに、さまざまな戦略を駆使して、ヒトの間だけで存続するように姿を変えたものである。

冬眠状態で潜伏するという巧妙な戦略で生きてきたヒト・ウイルスとして、ヘルペスウイルスがある。ヘルペスウイルスは、4億年前には生まれていて、生物の進化とともに受け継がれてきた。このウイルスの生存戦略は高い感染力、潜伏、そして再発である。たとえば、代表的なヘルペスウイルスのひとつ、水痘ウイルスは、空気感染により子供の間で急速に広がり、重い症状を引き起こしたのち、神経細胞に潜伏する。病気から回復しても、ウイルスは冬眠状態で生き続け、ストレスや免疫力の低下がきっかけで、目覚めて感覚神経に沿って皮膚に潰瘍病変を作る。病名は水痘ではなく、帯状疱疹になる。皮膚の疱疹からは多量のウイルスが放出されて、免疫のない子供に感染すると水痘を起こす。水痘ウイルスは、このような感染→潜伏→再発というサイクルにより、小人数の集団だった狩猟採集の時代から人類と共生してきたのである。

さらに巧妙な生存戦略を持っているのは、エイズの原因であるヒト免疫不全ウイルス(HIV)である。HIVは、20世紀初めにアフリカでチンパンジーが保有するサル免疫不全ウイルスがヒトに感染して、ヒトの間で数十年間ひそかに伝播されている内に、ヒト・ウイルスに進化したものと推測されている。HIVはRNAウイルスだが、細胞に侵入するとDNAに転写されて染色体の中に組み込まれる。ヒトの遺伝子群の中に紛れ込むのである。効果的な抗HIV剤によりエイズの発症は抑制されるようになったが、染色体内に潜むウイルスには薬剤は効果がなく、HIVは生き続ける。そのため、エイズ患者は著しく減少したが、HIV保有者は増え続けている。

共生に失敗したウイルスの代表例は天然痘ウイルスである。感染したヒトは死亡、もしくは終生免疫を獲得する。存続するためにウイルスは、絶えず免疫のないヒトに感染し続けなければならない。アフリカに生息する齧歯類のウイルスが天然痘ウイルスに進化したのは、ヒトが大きな集団で生活するようになってからで、天然痘ウイルスの誕生は、約3000年前、最近のデータでは約300年前と推測されている。そして、ワクチンによりヒトの間の伝播が阻止された結果、1980年に根絶されたのである。

 

ウイルスの生態を変えている現代社会

世界人口は急増して七八億に達している。家畜も同様に増加し続け、人間と家畜は、今や地球上のすべての哺乳類のバイオマスの96%を占めている。人口の増加に伴う食料需要の増大は、森林伐採、農地開発により環境破壊をもたらし、地球温暖化を加速している。

その結果、野生動物と共生してきたウイルスの生態に大きな変化が起きている。とくに顕著な例は人間社会と10億頭を超えているブタの集団に見られる。

自然界で散在して生息している野生動物の間では、ウイルスは接触感染だけで存続することは容易ではなく、野生動物から分離されるウイルスの多くは、蚊やダニなどの昆虫により媒介されている。例外的なのは、コウモリである。これは、飛翔できる唯一の哺乳類で、時には数百キロも移動し、しかも大集団で生息するため、ウイルスは媒介昆虫に頼らず容易に存続できる。

昆虫媒介ウイルスの代表的な例としては、アフリカ豚熱(ASF)ウイルスとジカウイルスがある。ASFウイルスは、アフリカのイボイノシシなどに常在するウイルスで、ヒメダニにより媒介され、イボイノシシ、ダニのいずれにも病気を起こすことなく、持続感染している。養豚場に持ち込まれると、ASFウイルスは、ブタの集団で急速に広がり、致死的出血熱を起こす。そのため、ASFウイルスは、世界の養豚業における最大の問題になっており、2018年には、4億頭を超すブタが飼養されている中国で広がって、1億頭の損失をもたらした。

ジカウイルスは、アフリカのサルの間で蚊により媒介されながら潜んでいたが、森林から人間社会に流出して、サルの代わりにヒトの間で蚊により、ヒトの間で循環するようになっている。2015年、ブラジルでは50万から150万人が感染した。その背景には、温暖化によるエルニーニョで大雨が続き、ウイルスを媒介する蚊が大繁殖したことが推測されている。

コウモリ由来ウイルスの代表的な例は、1万年前からコウモリと共進化してきたコロナウイルスである。コウモリからブタに広がったコロナウイルスとしては、1950年代から発生している伝染性胃腸炎ウイルス、1970年代、ヨーロッパで発生し、2013年、米国だけで800万頭の子ブタの死亡を引き起こした流行性下痢症ウイルス、2016年、中国で発生し、2万頭のブタの死亡を引き起こしたブタ急性下痢症候群ウイルスなどがある。コウモリから人間社会に広がったコロナウイルスとしては、2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)ウイルス、2012年の中東呼吸器症候群(MERS)ウイルス、そして2019年に発生してパンデミックを起こしている新型コロナウイルスがある。

ウイルスは、単に自己を複製する利己的存在である。たまたま、ヒトやブタに飛び移って、グローバル化した現代社会という広大な増殖の場を見いだしているに過ぎない。人間が野生動物ウイルスを招きいれているのである。