2002年、滋賀医科大学に動物生命科学研究センターが設立され、2003年4月18日にその研究棟の竣工式典が開かれました。そこでの記念講演として、私は「生命科学研究における実験用霊長類」という表題で講演を行いました。その内容は、実験用霊長類の歴史、実験用霊長類を用いた主な生命科学研究の現状でした。そして追加として、重症急性呼吸器症候群(SARS)の原因解明におけるサルの貢献の話も行いました。SARSについては、霊長類フォーラムでくわしく述べるつもりです。
ここでは、歴史に関する講演内容について、その草稿を掲載することにしました。
医学の領域でサルを最初に用いた記録は、ギリシア時代の有名な医学者ガレン(Galen)の書物に見られます。彼は西暦129年に生まれ、生涯に350以上の著作を発表しています。彼の考えはその後、1500年間にわたって医学の中心になってきました。彼は臨床医というよりも科学者でした。サルをはじめ、ヒツジ、ブタ、ヤギなどの解剖、さらには象の心臓の解剖まで行っていました。しかし、ヒトの解剖は行いませんでした。1525年、ベニスのヨーロッパ最大の出版社がガレンの全著作を出版していますが、その中にバーバリー・マカク(Macaca sylvanus)という北アフリカのマカカ属サルを医学生の解剖実習に用いたと述べられています。
その後は医学領域でのサルの利用について、あまりはっきりした記録は見あたりません。18世紀になって、植物の分類で有名なリンネ(Karl von Linne)は動物の分類も行い、そこで初めてprimate(霊長類)という用語を提唱しました。もっとも彼はコウモリも霊長類に含めていました。
医学実験に霊長類を最初に用いたのが誰かは明らかでありません。もっとも古い記録として、19世紀に狂犬病ワクチンを開発したフランスのパスツールが霊長類を実験に用いたことが知られています。彼は狂犬病ウイルスがサルを通過させると犬に対する病原性を失うことを報告しています。
20世紀に入ると、ヒトとサルが解剖学的もしくは生理学的によく似ていることから、サルが医学研究に多く用いられるようになりました。しかし、当時、すでにサルは値段が高いために、利用は限られていました。
そのひとつのエピソードとして、血液型を発見しノーベル賞を受賞したランドシュタイナー(Karl Landsteiner)のサルを用いたポリオの研究があります。1909年頃、彼はウイーンでポリオの研究をウサギで行っていましたが、ウサギに病気を移すことができませんでした。そこで、所長にサルの購入を申し入れたのですが、値段が高すぎるという理由で拒否されてしまいました。ところが、たまたま、梅毒の実験に用いたアカゲザルが残ったため、それをもらって、ポリオの感染実験を行ったのです。その結果、ポリオをサルに感染させることに成功し、さらに病原体が濾過性であることも証明しました。実際にポリオウイルスの分離は1949年米国のエンダース(John Enders)により行われ、これがポリオワクチンの開発につながったのですが、ポリオがウイルス性疾患であることを初めて証明したのはランドシュタイナーでした。
世界で最初の実験用霊長類の施設は、ソ連邦結成間もない1920年代、温暖な気候の黒海沿岸のスフミに実験病理学治療研究所として設立されました。1970年、旧ソ連時代に私はここを訪問したことがあります。一見、動物園のような感じも受けましたが、白血病をはじめ、いろいろな領域の研究が行われていました。ここは現在ではグルジア共和国となり、霊長類施設は内戦の際に破壊されてしまいました。しかし、それ以前に繁殖施設が現在のロシア領内のソチに作られていたため、こちらに医学霊長類研究所が建設されました。現在、2000頭ほどのサルが飼育され、さまざまな医学研究が行われています。なお、ソ連崩壊の際には財政危機に見舞われ、世界各国の霊長類研究者が寄付を行い、私もわずかながら寄付を送ったことがあります。
一方、米国ではイェール大学心理学教授のヤーキス(Yerkes)が1930年にロックフェラー財団の援助で心理学研究のためのヤーキス霊長類生物学研究所を設立しました。米国で最初の実験用霊長類研究施設です。
1940年代になると、医学研究での実験用霊長類の必要性が高まってきました。1953年、スターリンが死亡し、冷戦状態が和らぎ米国とソ連の間で研究交流が行われるようになりました。1956年には、NIHの国立心臓研究所の所長ジェイムス・ワット(James Watt)がアイゼンハワー大統領の主治医のポール・ホワイト(Paul White)とともに、ソ連スフミの霊長類施設の視察に出かけました。
その訪問の写真がありますが、そこにはポール・ホワイトの隣りでパイプをくわえているボリス・ラピン(Boris Lapin)が写っています。彼は、現在もソチの研究所で所長をつとめています。
彼らはヒヒを用いた高血圧の研究に感心し、帰国後、心臓血管研究のための霊長類研究センターの設立を政府に勧告したのです。ところが、この提案は、単に心臓血管だけでなく、医学の多くの領域の研究を行う地域霊長類研究センターの設立という大きな計画とされました。そして、NIHの傘下に7つの地域霊長類研究センター(Regional Primate Research Center: RPRC)が1965年前後に相次いで設立されました。Washington RPRC, Oregon RPRC, California RPRC, Wisconsin RPRC, Delta RPRC, New England RPRC, Yerkes RPRCです。
最近、この名称は国立霊長類研究センター(National Primate Research Center)に改名され、テキサス州サンアントニオにあるサウスウエスト研究財団の霊長類研究施設が加えられて8つになっています。
これらの霊長類研究センターは大学の医学部または獣医学部に併設され、大学と密接な関係が保たれています。それぞれのセンターで4000頭前後のサルを飼育していて、多くの医学領域の研究が行われています。なお、私はこれまでにオレゴン以外はすべて訪問しています。
日本での医学領域における霊長類研究施設としては、国立予防衛生研究所(予研)、現在の国立感染症研究所の筑波医学実験用霊長類センターが最大のものです。
ちょうど、私が予研でサルを用いた研究にかかわっていた1960年代終わりでしたが、私たちの動物委員会で霊長類繁殖施設の建設のために1億円の予算要求を行いました。当時は1000万円台の予算要求が精一杯の時代でしたので、通らないことは分かっていたのですが、ともかく意思表示をしたのです。ところが、研究所の筑波移転の計画が持ち上がり、予研が移転に反対したため、研究所の1部門として霊長類センターの設立が取り上げられることになるという思いがけない展開になりました。そして、1972年に予算が認められ、1978年、筑波医学実験用霊長類センターが設立されました。予算は35億円に達しました。1億円でも夢物語とされていた計画が、現実のものになったのです。
私たちはナショナル・センターとして全国共同利用を期待していたのですが、予研のための研究施設となりました。そして、サルの飼育などの業務を受け持つために、社団法人予防衛生協会が設立されました。
平成10年、厚生省霊長類共同利用施設が建設され、その運営は予防衛生協会に委託されました。これは産官学に広く開放されています。米国とは比べものにならないきわめて小規模なものですが、当初の目的であった全国共同利用体制に向けてスタートしたことになります。