口蹄疫のもっとも古い記録として、紀元前343年頃にギリシアの哲学者アリストテレスが書いた有名な著書「動物記」に次のような記述があります(アリストテレス全集(岩波書店)第8巻 第22~23章)。
「群れているウシは2種類の病気にかかる。そのひとつは「足痛」、もうひとつは「クラウロス」といわれる。ところで、足痛になると足ははれるが死ぬことはないし、蹄が抜け落ちることもない。蹄の角に熱いピッチをぬると、幾分良くなる。クラウロスになると、息が熱く、頻繁になる。また、ヒトにおける熱病がウシではクラウロスである。病気の徴候は耳を垂らすことと、餌が食べられなくなることである。急速に死に、死体を切開してみると、肺が腐っていることが分かる。」足痛は口蹄疫、クラウロスは牛疫を指すと考えられています。
同じ頃、医学の父と呼ばれるヒポクラテスは、病気の原因として病気の原因としてミアズマ(瘴気)説を提唱していました。ミアズマとはギリシア語で「汚染」を意味する言葉で、腐った野菜、腐敗した死体、汚れた沼などから出る汚染した空気に触れることで病気になるという考えです。この考えはそののち、2000年近くにわたって受け入れられてきました。現在でも、イタリア語のmala(悪い)aria(空気)に由来するマラリア、イタリア語のinfluenza di freddo(寒さの影響)に由来するインフルエンザに、ミアズマ説の名残が見られます。
ところで、病気はミアズマによるものではないというコンタギオン(ラテン語で伝染の意味)説が、16世紀にイタリアの医師ジローラモ・フラカストロにより提唱されました。彼は詩人でもあって、梅毒にかかっていたシフィリスという名前の羊飼いの少年のことを詠んだ詩は、英語の梅毒(syphilis)の語源になっています。彼は1546年に「コンタギオンとコンタギオン病、ならびにその治療について」という論文をまとめ、その中に口蹄疫と考えられる牛の病気の症状を書いています。コンタギオンとは生きた伝染性生物のことでした。しかし、牛疫とみなされる病気も書いていました。こうして、口蹄疫もしくは牛疫、おそらく両方の病気の観察から、初めて伝染病の概念が生まれたのです。
19世紀後半に細菌の発見が始まり、伝染病の原因がだんだん明らかにされていきました。とくにドイツのロベルト・コッホ(Robert Koch)は炭疽菌の発見を初めとしてさまざまな細菌の分離に成功して、細菌学の父と呼ばれるようになりました。当時、ドイツは口蹄疫の発生に悩まされていたため、ドイツ政府はコッホ門下でジフテリアの発見で有名になっていたグライフスヴァルト(Greifswald)大学公衆衛生研究所のフリードリヒ・レフラー(Friedrich Loeffler)教授(写真:古い研究所の壁にあるレリーフ)に口蹄疫の原因の解明を命令しました。彼はベルリンにあるコッホの伝染病研究所でパウル・フロッシュ(Paul Frosh)と共同で研究を行い、細菌濾過器を通過する病原体を発見し、これが口蹄疫の病原体であることを明らかにしました。これが動物ウイルスの最初の発見となりました。口蹄疫は動物ウイルス学の出発点になったのです。
グライフスヴァルトはポーランドとの国境に近いバルチック海に面した古い町で、フリードリッヒ・レフラー研究所の昔の建物が町中に残っていますが、現在の研究所はバルチック海の海岸のインゼル・リームス(Insel Riems)という小さな島にあります(写真:島全体が研究所になっています)。島といっても今では江ノ島のように橋でつながっています。
1989年、グライフスヴァルトでウイルス発見100周年記念のシンポジウムが開かれ、世界中から著名なウイルス学者が集まりました。私もフリードリヒ・レフラー研究所の友人が主催者のひとりになっていたので参加しました。
ワクチンの項で述べますが、この研究所で開発された口蹄疫ワクチンの製造法は1950年代まで用いられていました。現在は、BSEの研究が重要な課題になっていて、多数の牛への接種実験などが行われています。