23.「口蹄疫の正しい知識 9.メキシコで起きた口蹄疫の大発生」

1930年、米国のフーバー大統領はメキシコ政府と家畜伝染病の侵入防止のために、口蹄疫の発生国からの偶蹄類の輸入を禁止する協定を結びました。しかし、メキシコ政府はこの協定を厳密に守ることはなく、スペインから闘牛用の雄牛を輸入したりドイツから雄牛を輸入したりしていました。どちらも口蹄疫発生国でした。幸い、これらの輸入では口蹄疫は持ち込まれませんでした。

ところが、1946年11月に口蹄疫が突然発生したのです。感染源はメキシコ西部の港湾都市ベラクルスにブラジルから1945年10月に輸入したゼブー牛と1946年5月に輸入した雄牛でした。1946年10月に2度目の輸入群をメキシコの獣医師が検査したところ異常は見られなかったのですが、3週間後に発病する牛が出てきました。メキシコ当局がすぐに診断を下せないでいた間に病気は短期間で西部から中央部に広がってしまいました。

1946年12月になって米国農務省が発生の通知を受け2名の獣医師を派遣して調査した結果、口蹄疫と判定されました。米国はただちに国境を封鎖してあらゆる家畜の持ち込みを禁止しました。当時メキシコから米国へ輸出される牛の数は非常に増加していて、たとえば1946年10月からの2ヶ月間だけで15万頭以上が持ち込まれていました。口蹄疫発生地には約200万頭、メキシコ全体では1100万頭の牛が飼育されていました。

1930年の協定では、口蹄疫または牛疫が発生した場合、両国が協力することになっており、1947年2月にはトルーマン大統領はメキシコに協力する議案に署名し活動が開始されました。メキシコ側は検疫などに十分な兵士を提供し米国農務省はベテラン獣医師と若手獣医師を派遣することになりました。防疫計画がピークとなった1949年2月までにこの計画にかかわった人数は、メキシコ兵士を除いて3700名に達していました。

器具や機材は主に米国から供給されました。活動の初期には採掘機や車が送られ、1947年8月末までに700台の重機が提供され、ほかにジープ、トラック、トラクター、トレーラー、ブルドーザーなどさまざまな機材が提供されました。

殺処分は1947年夏から秋にかけては毎週5万8000頭という急ピッチで進み11月までに50万頭近くに達しました。それとともに畜産農家からの圧力も増加し、このまま進めば牛だけで500万頭は殺処分しなければならないことが予想されました。

そこで、1947年11月に防疫委員会はそれまでの無制限の殺処分の計画を取りやめワクチン接種に変更するという重要な決定を下しました。これにより病気の牛や暴露された牛は殺処分し、健康な牛には抵抗力をつけるためにワクチンを接種することにしたのです。ワクチン接種を始めてから発生はだんだん減り始めました。1950年8月末までに接種されたワクチンは約6000万頭分に達しました。1951年春までには発生は完全になくなりました。そして、撲滅計画は1952年8月に終了し、米国農務省長官はメキシコから口蹄疫は撲滅されたとして、6年間近くに及んだ輸入禁止を解除したのです。

連載4で述べたOIEによる「口蹄疫予防のための国際衛生条約」案の検討はこの後、1955年に始まりました。

文献

Dusenberry, W.: Foot and mouth disease in Mexico, 1946-1951. Agricultural History, 29, 82-90, 1955.