集団遺伝学 第1回 自己紹介

安田です。

このたび、集団遺伝学の講義を担当することになりました。 よろしくお願いいたします。
最初に簡単な自己紹介をします。 次いでこの講義のおおよその内容を話したいと思います。 その後で「集団遺伝学とは…」と改めてスタートしたいと考

えています。

私は昭和9年11月18日生まれで、場所は当時の地名で東京市板橋区だったかと思います。 現在の東武東上線の中板橋駅が生家からの最寄り駅でyasudaす。 大学(学部)を卒業するまで当所で育ちました。 現在の家族構成は妻が1人、娘4人と母です。

私は今、(財)遺伝学普及会の情報資源研究センターで仕事をしています。 その仕事の内容は国立遺伝学研究所(遺伝研)の日本DNAデータバンク(DDBJ)で、DNAデータのレビューです。 これは登録されてくるDNA塩基配列がきちんとまとめられているかをチェックしたり、また利用し易いように整理・分類する作業です。

昨年の3月末に千葉市稲毛区の科学技術庁放射線医学総合研究所(放医研)を定年退官してから、静岡県三島市に来ています。 放医研には昭和33年4月から、その間出たり入ったりしましたが、30年余お世話になりました。 一貫した業務研究課題は「人類集団に対する放射線の遺伝的影響の調査研究」でした。

その間、三島の遺伝研、米国ウィスコンシン大学医科遺伝学部、ハワイ大学生物医学センター、スタンフォード大学医学部遺伝学教室、ブラジル国サンパウロ国立移民病院などに留学する機会がありました。 故木村資生先生、クロー先生、モルトン先生、カヴァリ・スフォルツア先生など、私は本当に大先生に恵まれたラッキイボーイです。 ハワイはアジアとアメリカの中継点ともいう地の利に恵まれ、その他にも多くの大先生に直接会い、デスカッションすることができました。 ハワイは観光だけの所ではありません。

大学は早稲田の第一理工学部数学科です。 学部の数学科には卒論はなく、4年のゼミで数理統計学のグループに入りクラーメルの「統計学の数学的方法」を輪読しました。 おかげで公務員試験で数理統計の資格をとることができました。 放医研に入ったのも、他に職がなかったからでした。遺伝学を生涯の生活の術とすることは、当時夢にも考えていませんでした。

結果的には数学から生物学へと二股をかける先取りをしたことになりますが、よい先生方に恵まれ本当に運がよかったと感謝しています。 今では情報産業とバイオがモザイクとなり、両者を融合すべく試行錯誤を行っている時代です。
数理生物学者と称する人々が漸増しているとのことですが、生物数学者にならないよう頑張ってもらいたいものです。

分子遺伝学からはどんどんデータ情報が流れでてきます。 一方、当然ながらこれを整理して利用し易くすることも大切です。 集団遺伝学は決してそのためだけの学問ではありませんが、利用することはできます。

集団遺伝学は本来生物進化を理解する目的で、ダーウィンの「種の起源」の考えから、R.A.Fisher, S.Wright, J.B.S.Haldane,それに木村などの先達が研究開発した分野です。 そこでは、体が大きいとか首が長いとか足が沢山といった定性的な記述でなく、これらを数量的に記述することが重要なこととして求められているのです。

実証科学としての生物学のうちで、進化は生物の歴史にかかわるため、再現実験ができません。 しかし数量的なモデルがあれば進化の過程を推論することはできます。

モデルは所詮人間の頭の中で考えたことですから、おそらく事実とは厳密には一致しないでしょう。 DNAの塩基をA,T,G,Cの4文字で表わすのもモデルです。 決してこのようなアルファベットが細胞の中にあるわけではないのです。 それでもこのような記号で書くことで、現象は理解し易くなります。

集団遺伝学では数式が使われます。 もちろん数式そのものは数学的な意味を正しく反映していなければなりませんが、大事なのは生物学あるいは遺伝学的な解釈です。 事実を理解し、直接観察できないことを推測するのにモデルが必要なのです。 事実をより正しく反映しているのが良いモデルと言えましょう。 このアプローチはまさに統計学の推測の方法です。 パラメータの偏りのない推定値を求めることは常日頃行われていることです。 遺伝子の集合(集団)を考察する集団遺伝学は「遺伝子の統計学」とも言えましょう。

集団遺伝学は実験に制限のある場合、例えば交配実験のできないヒトで結論を推論するときに利用できます。 ヒト集団の(遺伝)病について応用した研究分野を遺伝疫学といいます。 公衆衛生や病気の予防に重要なフィールドです。

すこし大袈裟になるかも知れませんが、これから学問を志す人に老婆心ながら述べたいことがあります。 それは次の性格条件を満たしていることです。 集団遺伝学はとりわけ取っ付き難い学問だとされていますが、皆さんが興味を持った分野で、なぜ興味を持ったかをじっくりと考えて下されば、これらの条件は理解して頂けると思います。

  1. 知的好奇心が強烈。
  2. 野心(ambitious)が強烈。
  3. 執拗な性格。
  4. 楽観的な性格。

1.はどうしてなのかと、問題についていろいろと発想を工夫する性格。 2.は良い意味でも悪い意味でも他人に抜きんでたい性格。 3.は飽きることなく追求する性格、たとえば誰が最初にこの仕事をしたのか論文を追跡して調べるなど。 4.は直感的に解ける問題を見分けて時間を費やす。 解けない問題は結局時間の浪費に終わるからである。 どんな難しい問題でも、これは解けるという直感があれば、必ず解けるという信念を持つことです。 第三者による勇気付けももちろん助けになります。

もっとくわしいことを知りたい方は藤原正彦「数学者の言葉では」新潮文庫、17-30頁、(昭59)を参照してください。 私自身は2がかなり少なかったようです。

予定している講義内容は次の通りです。

  1. 遺伝子の概念
  2. 遺伝子プール(遺伝子の集合)
  3. 遺伝子頻度
  4. 遺伝子の対合(遺伝子型の集合)
  5. 遺伝的浮動
  6. 突然変異
  7. 隔離と移動
  8. 自然選択(淘汰)
  9. 集団の変異性
  10. 分子進化
  11. 人類の起源と進化
  12. 遺伝疫学
  13. 遺伝統計の方法

質問の内容を見てから講義の順序等を若干変更することもあります。 またトピックスなど脱線することもあるかもしれません。 演習問題もときどき出しますのでぜひ解くことに挑戦してください。 気軽にやりたいと思います。

なおこの講座では手間がかかるため、あまり図表を使いません。 文章でわかり易く説明したいとおもいます。 また説明に使う例題はできるだけヒトを主にして行きたいと思います。 交配実験ができないなら、逆にそれが許される実験動物ではどうするのか、皆さんが検討して頂きたいと思います。 質問などを楽しみにしています。よろしくお願いいたします。

なおこの講座を始めるのに霊長類センターの寺尾恵治さんの努力の賜物です。 ありがとうございます。 寺尾さんとは私が放医研に在職中にカニクイザルの免疫多型について共同研究をしたことがあります。 それが出会いとなり、カニクイザルの飼育管理などで相談したりしてきました。 退官後は霊長類センターの特別研究員としてお世話になっています。