(12/5/00)
前回(第105回)の講座でBSEの現状をまとめてみました。その際にはまだ、フランスのBSE騒動は起こり始めたところでしたので、取り上げませんでした。しかし、その後、それが思いがけない広がりを示しています。新聞やテレビでも報道されているのでご存じの方も多いと思います。
たまたま、私はこの騒ぎの最中の11月末にBSEの国際的制圧を受け持つ国際獣疫事務局OIEでのバイオテクノロジー作業部会に出席し、フランスや英国の関係者からも直接話を聞くことができました。それらの話と現地の新聞報道などを参考に騒ぎの状況をご紹介します。
1. フランスでのBSE発生数の著しい増加
1991年に最初の発生が見いだされてから1999年までに、フランスでのBSE発生数は全部で80頭でした。そのうち、1999年は31頭です。ところが、2000年になって11月末までに121頭のBSE感染牛が新たに見いだされました。一挙に4倍近くに増加したことになります。この理由のひとつとして監視体制が改善されて検出される例数が増えたことがあげられています。ともかく、これらのBSE牛の感染源は英国から輸入した肉骨粉に含まれていたBSEプリオンと推測されています。この点について解説してみたいと思います。
1986年にBSEが見つかり、それが肉骨粉を介したスクレイピーの感染による疑いが出てきたことから、英国政府は1988年に牛に肉骨粉を飼料として用いることを禁止しました。(ただし、最近フィリップ卿を委員長とする英国政府の特別調査委員会の結論は、スクレイピー感染ではなく、牛の中でおそらく新しく生じた病原体が、肉骨粉を介して牛の間で急速に広がったと述べています。この報告書は4000ページになるとも言われる膨大なもののようです。ホームページhttp://www.bse.org.uk/(現在リンク切れ)でダウンロードできますが、とても試みる気にはなれません。)
ともかく、そこで余った肉骨粉の多くはヨーロッパ連合のほかの国にかなり大量に輸出されたようです。たとえば、1978年から87年にかけての英国からヨーロッパ連合諸国への肉骨粉の輸出量は、1988年から96年の間で15倍以上に増加しています。そのうち、とくにフランスへは、その半分以上が輸出されたと推定されています。
一方、1996年春に変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の患者が見つかり、これがBSE感染による可能性が否定できないと判断されたことがきっかけになって、英国は肉骨粉を牛以外の家畜にも飼料として使用することを禁止しました。それまでは豚やニワトリ用の肉骨粉が牛にも流用されていたことが分かったためです。したがって、1996年以後の肉骨粉は一応、BSE汚染はないとみなせます。
フランスでは1991年に牛に対して肉骨粉を餌として与えることを禁止しました。しかし、BSEの発生はごくわずかであったために、豚やニワトリへの使用は禁止しませんでした。ところが、この牛以外の動物用として輸入していた英国産の肉骨粉が実際には牛へも闇で流用されていたのです。これが今回のBSE発生の原因になったと考えられています。すなわち、感染源は1996年までに輸入された英国産の肉骨粉ということになります。BSEの平均潜伏期を5?6年と仮定すると、2000年になって急激に増加したことが説明できると思われます。これまでに発病した牛はすべて1996年前に生まれたものです。この点も1996年以前の肉骨粉原因説を裏付けています。ところが、ヘラルド・トリビューンに1998年生まれの牛の発病が報道されました。ちょうど、OIEの会議にフランスの専門家が居ましたので、確認したところ、追跡した結果、その牛は名札が間違っていて、やはり1996年以前に生まれた牛ということが判明したとのことでした。フランス国民がこの問題に非常にセンシティブになっていることを示すエピソードと思います。
2. BSE汚染牛肉の波紋
2000年11月に、カルフールなどフランスの代表的な3つのスーパーマーケットで1トンに達するBSE感染牛の肉が売られていたことが判明しました。カルフールはパリの人に聞くと日本のダイエーのような大きなスーパーだそうです。
この事件のきっかけは屠畜場での検査でBSE感染牛が見つかったことです。フランスをはじめヨーロッパ連合のいくつかの国では、30ヶ月以上の年齢の牛が病気で死んだり事故で死んだ場合、その脳についてBSEの検査が行われています。BSEプリオンは3才以上になって検出されますので、それ以前の若い牛は安全とみなされています。ただし、現実には30ヶ月の時点で歯が生え替わるので外見で判断できるという理由から、30ヶ月が決められているのです。
この際の検査は主に脳の病理検査による病変の検出ですが、最近ではプリオニクスPrionics社が作ったプリオン検出キットによる異常プリオン蛋白の検出が広く行われるようになりました。通常、プリオニクス・テストと呼ばれているもので、1頭の検査代金は20ポンド(3000円くらい)と聞きました。なお、プリオニクス社はプリオン蛋白遺伝子を分離したスイスのブルノ・エッシュBruno Oeshが設立したベンチャーです。この検査は数時間で終わりますので、検査結果が出るまで死体は冷蔵庫で保管され、陰性ということが分かれば市場にまわされることになっています。
問題になった牛は、仲買人が廃業した畜産農家から購入した13頭のうちの1頭でした。この病気の牛を除く、同じ群の11頭が購入したその日のうちに、屠畜場に連れて行かれ、市場に出荷されました。数日後に病気の牛を屠畜場に持っていったところ、これがBSEと診断されて大きな騒ぎになったのです。規則ではBSE感染牛と同じ群の牛は感染の疑いがあるとみなされ、すべて廃棄処分されることになっています。同じ餌を与えられているために感染している可能性が高いという理屈です。ところがこれらの牛はすでに大手のスーパーの店頭に並んでいました。この仲買人はBSE牛と知りながら、それを隠して売った可能性が高いとして身柄を拘束されたと伝えられています。
このニュースはさまざまな波紋を巻き起こしました。学校での給食から牛肉は消えました。BSEプリオンは脳と脊髄に含まれています。そのため、骨を切断する際には脊髄の組織が付着しBSEプリオンに汚染するおそれがあります。そこで、フランス政府は骨付き肉の発売を禁止しました。その結果、クリスマスを前にしてTボーンステーキが食べられなくなりました。さらに、食品安全団体からの要望を受けて牛の腸を食用にすることも禁止されました。小腸にもわずかながらBSEプリオンが見つかるために大事をとったのです。牛の腸はフランスの伝統食品である大型ソーセージを包む皮として用いられているものです。牛以外の動物の腸で、伝統食品を作ることになるかもしれないとパリの人たちは言っています。
シラク大統領は11月中旬に急遽、肉骨粉を牛だけでなく、豚、ニワトリ、魚に使用することも禁止しました。また、肉骨粉の輸入も禁止しました。
ところが、動物蛋白の代わりに植物蛋白に依存するとなると、原料を米国などから輸入せざるなくなります。その結果、今度は輸入原料に遺伝子組換え大豆やトウモロコシが含まれるおそれのあることが問題となってきました。また、使えなくなった餌を焼却するのも大きな問題になっています。フランスでは、1996年のいわゆる狂牛病パニックの際には高温が得られるセメントを焼くための焼却炉で肉骨粉が焼却されています。今度も同じ方式になるだろうと推測されていますが、その場合、ダイオキシン発生の問題が起きてきます。
わずか1頭のBSE牛が見つかったことの巻き起こす社会的波紋は想像以上に複雑なものです。
3. 変異型クロイツフェルト・ヤコブ病患者
変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の患者は英国以外にはフランスでだけ見いだされています。第1例は男性で、1994年1月に発病し1996年に死亡しています。この人の例は、英国で最初に見つかった患者よりも早い時期に発病していたため、当時、関係者を驚かせたものです。第2例は2000年2月に36才で死亡した女性です。ふたりとも外国に出かけたことはなく、フランスの中で感染したと考えられています。今年になって、もうひとりの患者の存在が発表されました。19才の男性で生存しています。11月初めにはドミニク・ジロ保健担当政務次官が変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の患者は数十人に増加する可能性があることを認めたそうです。
第2例の家族と第3例の患者と家族は現在、仏英両国と欧州委員会が人間への感染を防ぐための適切な措置を怠ったとして告訴に踏み切ったと報道されています。