(5/13/05)
表題の本をこの度、岩波書店から出版しましたので、その内容の紹介のために、まえがきと目次を転載します。
「まえがき」
ウイルスが発見されたのは十九世紀の終わりで、ウイルス学の歴史はちょうど百年ということになる。私がウイルス研究の世界に入り込んだのは五十年前で、ウイルス学が進展し始めた時期であった。そして、これまでに動物実験を中心としたウイルス学研究から現在のウイルスの遺伝子操作にいたるまで、ほとんどすべてのウイルス研究の段階を身近に経験することができた。
振り返ってみると、ウイルスは当初から感染症の病原体という認識のもと、ワクチンによる急性ウイルス感染症の予防がウイルス学における重要な課題としてとらえられてきた。その成果として天然痘根絶を初めとして、狂犬病、麻疹、ポリオなど昔から人類を苦しめてきた危険なウイルス感染症は制圧されてきた。一方で、野生動物から突然感染して社会に大きな衝撃を与えるエマージングウイルスの問題が二十世紀終わり頃から注目されるようになり、この十年ほどの間に危険な病原体としてのウイルスの実態を紹介する書籍が相次いで出版された。私自身も、エマージングウイルスに関する一般向け解説書をいくつか出版した。
しかし、もっと広い視点から眺めると、ウイルスは生物の細胞に寄生する生命体である。ヒトの遺伝子が三万くらいあるのに対して、ウイルスはその百分の一以下の遺伝子を持っているにすぎない。それにもかかわらずウイルスは、八個の遺伝子のみを持つインフルエンザウイルスがスペイン風邪で数千万人の死亡を引き起こした例にみられるように、すさまじい力を発揮することがある。三十億年前には地球上に出現していたと推測されるウイルスが、わずか二十万年前に出現した人類に対して、なぜこのような影響を与えているのか。人類よりもはるかに長い歴史を持つウイルスの生命体としての存在意義は何なのかという疑問が浮かんでくる。
このような問題を考えていた時に、岩波書店から科学ライブラリーに、これまでの私の解説書とは異なる切り口でウイルスについて書いて欲しいとの依頼を受けた。そこで、すぐに頭に浮かんだのは「ウイルスと人間」というテーマであった。とはいっても、これまでにこのテーマをまともに取り上げたことはなかった。また、この視点で書かれている海外の書籍もみあたらなかった。先にテーマを決めたことが、私にとって新しい挑戦への出発点になったのである。
本書では、ウイルスの病原体とは別の側面のいくつかの側面を紹介したが、これらは、いまだに仮説の段階のものである。地球上でもっとも微少な寄生生命体としてのウイルスの存在意義についての新しい視点が開かれることを期待して、あえて私の個人的見解も付け加えてある。(以下、省略)
「目次」
1.ウイルスの歴史は長く、人間の歴史は短い
2.進化の推進力となったウイルス
3.ウイルスはどのような「システム」か
4.ウイルスと生体のせめぎ合い
5.ウイルスに対抗する手段
6.現代社会が招くエマージングウイルス
7.エマージングウイルスの時代をどう生きるか
8.人間とウイルスの関係を考える