人獣共通感染症連続講座 第19回 アフリカにおけるエボラウイルスの再出現(論評)

(10/1/95)

Anthony Sanchez, Thomas G. Ksiazek, Pierre E. Rollin, Clanrence J. Peters, Stuart T. Nichol, Ali S. Khan & Brian W. J. Mahy: Reemergence of Ebola virus in Africa. Emerging Infectious Diseases Vol. 1, 96-97, 1995

ザイールでのエボラ出血熱については、この講座でも何回か取り上げ、また多くのニュースが流されてきました。 しかし、その時どきの最新の情報を追ったものが多く、全体像を眺めなおす機会はなかったように思います。 今回、ご紹介するのはCDCの関係者が共著でまとめた論評であって、上記の目的にかなっているとみなせます。

フィロウイルス科のウイルス(エボラとマールブルグウイルスが属する)は人とサル類で重症、そしてしばしば致死的な出血熱を起こす。 最近のコートジボアールの1人の非致死的例からの新しいエボラウイルスの分離、同定、つづいて極く最近のザイール、キクウイトでのエボラ出血熱の発生は公衆衛生への脅威として関心を引き起こした。 フィロウイルスは極端な病原性と予防ワクチンや有効な抗ウイルス剤のないことからバイオセイフテイレベル4に分類されている。 さらにフィロウイルスはその自然界での歴史や宿主が不明で発病の機構も良く分かっていないことから、もっとも不可解なウイルスである。エボラウイルス感染は1976年に最初に見いだされた。 その際には北ザイールと南スーダンで2つのサブタイプのウイルスの流行が起こり、数百人の死亡を引き起こした。 ザイール型ウイルスは90%に達する高い致死率を示し、スーダン型ウイルスは約50%の致死率を示した。 1995年以前にアフリカで最後に同定されたエボラウイルス病の発生は1979年にスーダンで34人が感染した例である。 1989年終わりには、バージニア、レストンでフィリピンから輸入されたカニクイザルのコロニーの中で新しいエボラウイルスが見いだされた。 これはレストンウイルスと命名された。 CDCの研究者により、これはアフリカのエボラウイルスとは抗原的および遺伝子構造の面で異なることが明らかにされた。 しかもこのウイルスはサルに高い病原性を示すにもかかわらず、人に病気を起こすことはなかった。 感染したサルを取り扱った数人がエボラウイルス抗体陽性となったが、病気の症状は示さなかった。 これらの人の中にはレストンウイルス感染で死亡したサルの解剖中に感染したひとりも含まれる。 1992年には1989年のレストンの事件がイタリアのシエナでふたたび起きた。 この際もフィリピンの同じ輸出業者からのサルでの発生であったが、人の感染の証拠はみいだされなかった。 コートジボアールの患者から最近、分離された新しいエボラウイルスは既知のエボラウイルスとは遺伝子構造が異なることが明らかにされた。 これは西アフリカで見つかった最初のエボラウイルスである。

これらの発生とマールブルグウイルスの場合を調べてみても、フィロウイルスの自然宿主についての証拠はまったく得られていない。 フィロウイルスは実験的に感染させたサルでは持続感染を起こさないことから、サル類が自然宿主とは考えにくい。 人の場合と同様に彼らもおそらく自然宿主と直接または間接に接触することで感染するのであろう。

ザイール、キクウイトでのエボラの大発生は、その前にいくつもの本や雑誌、テレビ番組、映画などでエボラウイルスの危険性に敏感になっていた全世界の人への警告となった。 社会の関心は国際貿易やジェット機での旅行とともにこれらのウイルスが世界の遥かかなたの地域にまで拡がる危険性であった。 キクウイトの発生は1976年のザイールでの発生(ヤンブクの小さな村を中心に北へ約1000kmにわたった)と同様であった。 1976年の場合と同様に、キウクウイトでの2次感染は感染性の血液や体液との密接な接触で起こり、最初の感染者の看護にあたった人々を守るための近代的な医療施設と医療用具がなかったことで促進された。 ヤンブクとキクウイトの間の大きな違いはキクウイトがキンシャサ、ブラザビルといった大都会の近くにある人口の過密な大きな都市であり、市内での伝播や周辺への拡がりの危険性が大きかったことである。 後ろ向き調査の結果、最初の患者はキクウイト郊外の森で働いていた炭焼きらしいということが示された。 1995年4月の終わりまで、人から人への伝播が気づかれることなく起こった。 キクウイト総合病院で感染した検査技師に開腹手術を繰り返した後、外科チームと看護スタッフの間で院内感染がつづいたことでエボラ出血熱が疑われた。 サンプルがベルギーのアントワープ熱帯研究所を通じてCDCに送られた。 そして患者の医療、管理、エボラ流行の封じ込めを手伝うために専門家チームがCDC, WHO, ベルギー、フランス、南アフリカ、スヱーデンから派遣された。 1995年7月1日現在、293例中233人の死亡が報告されている。

急速診断とエボラウイルスの同定が5月9日にCDCに到着した14人の患者の材料について行われた。 CDCにサンプルが運ばれて9時間後にはエボラウイルス抗原と抗体が13人の患者材料から確認された。 4時間後にはフィロウイルスのポリメラーゼ遺伝子またはエボラウイルスの糖蛋白遺伝子の保存されている領域に対する逆転写ポリメラーゼ・チェーン反応(RT-PCR)により12人の患者でエボラウイルスRNAが検出された。 キクウイトでの発生の疫学を理解するためにはさらにウイルスの遺伝子プロフィールを解析することがとくに重要である。 サンプル受領後、48時間以内に4人の患者からの糖蛋白遺伝子から増幅したPCR DNA(528塩基対)の配列が決定され、1976年のウイルス株と4塩基(1%以下)異なるザイール・サブタイプであることが明らかにされた。 これら4人の患者からのポリメラーゼ遺伝子のPCR産物(350塩基対)の配列には差がみられず、彼らが同じウイルスに感染していたことが示された。 3日後には糖蛋白遺伝子全体の配列データが1976年のヤンブク株と比較され、その結果、全体の差は1.6%以下であった。 ザイールの両極端の場所で19年間近い期間を置いて流行を起こした原因ウイルスの間にほとんど変化が見られなかったことはエボラウイルス(そしてフィロウイルス全体)のゲノムが極めて安定であって、世界の特定の隠れ家の中で存続していることを示唆している。

急速診断とフィロウイルス感染の同定は今後フィロウイルス病の発生があった場合に、公衆衛生専門家による流行拡大の阻止に極めて重要である。 研究の継続と近代的疾病監視計画がキクウイトのようなフィロウイルス発生を最小限に抑え、または阻止するために必要である。 アフリカの森林に人間が入り込むことを続ける限り発生の可能性はますます増加する。 そして多数の貧困者の環境で不十分な公衆衛生サービスの結果として病気は急速に拡がりやすい。 今回の発生が制圧された結果、CDCは科学者のチームを派遣して、最初の患者とみなされた人が働いていた地域でサンプルを集め、自然宿主の解明を始めた。

1976年と1979年の発生では少量のウイルスを検出するための診断手段がなかったことが障害となった。 しかし今回は感度の高い酵素抗体法とPCRがフィロウイルス用に開発されており、もしも適当な材料が野外から集められればウイルスを検出するチャンスははるかに高い。

最後に、我々は出血熱の兆候、症状を示す人に遭遇した場合、医師および公衆衛生当局がエボラウイルスの再出現を警戒することを望みたい。 米国におけるフィロウイルスによるウイルス性出血熱の取り扱いのための勧告は最近発行されたCDC Morbidity and Mortality Weekly Report (1995: 44, 475-479)に掲載されている。