(12/3/95)
毎年11月末にパリの国際獣疫事務局(OIE)で開かれている獣医バイオテクノロジー作業部会に出席してきました。 OIEは第22回の本講座でご紹介したオーストラリアの馬モービリウイルスについての報告が提出された場所ですが、その後2,000頭あまりの馬の血清で調査した結果、すべて陰性であったということしか情報はありませんでした。 この情報もProMedに転載されていますので、あらためてパソコン通信の威力を見せ付けられた気がしました。 OIEもホームページの作製を検討中ですが、いつになるかはまだわかりません。
今回の講座は私の勤務先、日本生物科学研究所で毎月発行している日生研たよりの巻頭言に書いたものを転載いたします。 個々の内容のほとんどは、すでに本講座でご紹介したものですが、獣医学の観点から問題点を若干整理してみました。
今年の5月にザイールで突然発生したエボラ出血熱は、たまたまベストセラーになったホットゾーンと、大入りを記録した映画アウトブレイクの封切りと時期が一致したこともあって、我が国でも大きな関心が寄せられた。 しかし、流行が収まると、日本から遠く離れた発展途上国での出来事に過ぎないとして、忘れられ始めている。
振り返ってみると、1980年に世界保健機関が痘瘡の根絶宣言を発表した頃には、人類は伝染病に打ち勝ちはじめたと考える風潮が強まっていた。 しかし、その後、まもなく出現したエイズが急激に全世界に蔓延し、ついで1989年、カニクイザルによるエボラウイルスが米国の首都ワシントン近くの研究所で発生した。 最終的に人での病原性はみられなかったが、その制圧の経緯はホットゾーンでスリリングに描写され話題になったものである。 さらに1993年5月には、米国中西部で新しいハンタウイルスによる急性の致死的肺症候群が突然発生した。 伝染病に打ち勝てると考えたのは幻想に過ぎないことを認識させられたのである。 その後も、1994年にはオーストラリアで新しいモービリウイルスによる馬と人の致死的感染が起こり、今年はザイールでのエボラ出血熱の流行となった。 あまり知られていないが同じ頃、ザイールとはかけ離れた西アフリカのコートジボアールで研究者のエボラウイルス感染も起きた。 今後も、このような事態が続くことが予想されている。
このように突如として出現してくるウイルスのことを最近、エマージング・ウイルス Emerging virus と呼んで、その対策が国際的に検討されはじめている。 そのきっかけは1993年9月にWHOと全米科学連合が中心になってInternational Program for Monitoring Emerging Infectious Diseases (ProMed)についての会議を開き、新たに出現または再び出現する病気をいち早く検出し、制圧対策を改善するために人、動物、植物の感染症の地球規模での監視体制の必要性をアッピールしたことである。 また、月刊誌Emerging Infectious Diseasesが今年の1月に発刊され、インターネットで、その全文を自由に入手することもできるようになった。 ちなみに、この雑誌の第1号にはオーストラリアの馬と人に致死的感染を起こしたモービリウイルスの報告が掲載された。
ところで、エマージング・ウイルスのほとんどは野生動物を自然宿主とするものであって、獣医学の領域と深い係わり合いを持つ。 獣医学ではこれまで人畜共通伝染病という範疇で対応してきたが、これは家畜伝染病と並列させたもので、基本的には家畜中心の考えに基づいたものと思われる。 危険なウイルスの多くは家畜由来ではなく、野生動物由来である。 しかも多くの場合、野生動物では病気を起こさず、人で病気を起こす。 また、人から人への伝播は必ず起こるというわけではなく、伝染病という名前が当てはまらない場合が多い。 人も家畜も野生動物もウイルスにとってはすべて動物に過ぎない。 発想を転換して、もっと広い視野で人獣共通感染症の問題に取り組むことが必要である。