(6/15/96)
東大安田講堂でプリオン病研究の現状に関する緊急シンポジウムが開かれた翌日の5月30日、帯広畜産大学の品川森一先生とふたりでヨーロッパへ牛海綿状脳症8BSE)の研究状況の視察に出かけてきました。
5月31日と6月1日午前中はウイーン大学で、新型クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)についての神経病理研究者の緊急集会に参加しました。 我々はオブザーバーで、日本からは東北大学の北本哲之先生がスピーカーとして発表されました。
新型CJDに類似のものが、ほかの国にもあるかどうかについて20カ国からの報告がありましたが、これまでのところ見つかっていないようです。 新型CJDについては、参加者各人がいろいろな受けとめ方をしており、とくに結論を出すようなことは行われませんでした。
我々の主目的は英国のBSE研究の現状でしたので、6月3~5日の3日間の限られた時間でしたが、家畜衛生研究所 Institute for Animal Health (IAH)、中央獣医学研究所 Central Veterinary Laboratory (CVL)、保健省海綿状脳症諮問委員会事務局、農業省獣医局を訪問しました。 これには厚生省、農水省の担当官も参加されました。
IAHはオックスフォード大学の南のコンプトン Compton (田舎の村です)にある英国最大の獣医領域の研究所です。 かっては動物疾病研究所といった名称でしたが、IAH—これは動物健康研究所と訳した方が本当は良いと思います—に名称を変えました。 この名前は動物権利グループからも受け入れられていると言っています。 この上部組織は2年前に Agricultural and Food Research Council (AFRC)から Biotechnology and Biological Sciences Research Council (BBSRC)に変わり、動物に限らず人も含めた幅広い研究をめざしています。 ジェンナー種痘200年記念を機会に昨年、ジェンナーワクチン研究所が、IAH内に設立されましたが、これはBBSRCへの改組がきっかけになっています。
CVLは農業省の管轄下の研究所で、日本の動物医薬品検査所の機能も兼ねていますが、規模ははるかに大きなものです。 IAHが基礎面を中心としているのに対して、獣医行政と直結した応用面が主体といえるのかもしれません。 ロンドンから車で1時間前後でしょうか。
非常に限られた時間で、しかもEUのBSEに関する重要な会議にまともにぶつかってしまって、関係者は皆、忙しい時期でしたが、幸い、主な研究リーダーに会うことができました。
IAHにはコンプトンを含めて3つのキャンパスがあり、そのうちのエジンバラの神経病理ユニットがBSE研究の中心です。 プリオンの蛋白構造・機能などの研究はコンプトンに移ってきています。 これらの研究グループの全部を統括しているのがクリス・ボストック Chris Bostock 部長です。 彼は私が参加している国際獣疫事務局OIEバイオテクノロジー・ワーキンググループの1員ですので、毎年冬にパリで会っている間柄です。
今回の英国でのスケジュールではクリス・ボストックと、彼の部員であって私の牛疫ウイルスの共同研究の相手であるトム・バレットが全面的に協力してくれました。
彼らとのインタビューで得られた情報のうち、興味あるいくつかの点について、以下にご紹介します。
1. 反芻動物への餌の規制が実施されたのちに生まれた子牛でのBSEの発生
1988年に反芻動物のくず肉由来の肉骨粉を牛の餌に用いることが禁止されましたが、その後で生まれた牛でも数は減少したもののBSEの発生がみられました。 その理由については、以下のように説明していました。
1) 人的エラー:ニワトリ、豚など、ほかの動物の餌が禁止されていなかったために、それらが間違って牛に回されていた可能性、農民が間違って牛に使用したこと、屠場で脳、脊髄などを除去する食肉規制 Specified Bovine Offal (SBO)が厳重に守られなくて、脳、脊髄などが動物の餌に入ってしまった。 また、餌の保管用のサイロが完全に清掃されていなかったため、汚染した餌が混じってしまった。
家畜から魚にいたるまで、すべての動物の餌に哺乳動物の肉骨粉の使用が禁止されたのは今年の3月です。
2) 母子感染の可能性:これについては現在、実験中(後で触れます)。
2. 30カ月以上の牛を人の食物連鎖から除外する理由
子牛へのBSE感染実験を行い、潜伏期の短いRIII系マウスで感染価を測定した結果、3才令まで脳に感染性が検出されなかった。 実際的には30カ月令頃に牛の歯並びが変わって、外観から判断しやすいために、3年でなく、30カ月にしたという説明でした。
3. 母子感染
1989年に、300の牧場から臨床上、正常と判断された牛およびBSE牛から生まれた子牛、各1頭ずつを集め、これら300頭ずつ2群の子牛を実験農場で飼育観察しています。 平均潜伏期の5年を越えた7才令になったので、今年の11月に解剖して、BSE感染の有無を調べることになっています。 結果は来年春に出る予定です。 この実験はコードだけのブラインドテストで行われていて、人でコホート(同胞)実験と呼ばれているものです。
母子感染がなければ600頭のいずれからもBSEは出ないはずですが、これまでに29頭の発病牛が出ていることが、正式報告書に書いてあります。 ただし、実験開始時に正常と判断された母牛で、その後BSEになったもの、汚染した餌を与えられていたものなどがみつかっているので、コードを開いて全部の成績を解析しなければ、結論は出せないという意見です。
中間成績を求める圧力もかなりあるらしく、研究者にはストレスになっているが、まだ、コードは破られてはいないそうです。
4. 胎盤からの感染の可能性
発症した母親の胎児膜の乳剤を健康な牛に経鼻と経口接種を行って、現在7年目だが、まだ感染性は見いだされていない。 胎児膜に感染性はないと推測されています。
5. BSEの株
16万頭もの牛が発病した原因の病原体は、近交系マウスでの潜伏期のプロフィルから、単一の株と推定されています。 スクレイピー病原体の株は20以上とれているのに、ただ1株だけがBSEを起こしているのは大変興味があり、また重要な知見でもあります。
単一株が流行を起こした理由としては、レンダリングの操作で、熱に強い株が選択されたためではないかと考えています。 実際に、BSE株はほかのスクレイピー株よりも熱に強い傾向が見いだされています。
なお、これまでに調べられたスクレイピー株の中で、BSE株のプロフィルを示すものは見つかっていません。
6. BSE株のタイピング
スクレイピーを接種したマウスでは潜伏期の長さがSinc (scrapie incubation)遺伝子で支配されており、この遺伝子はプリオン遺伝子に連関しています。
BSE 株をSinc遺伝子の異なる近交系マウスの脳内に接種すると一定の潜伏期と、一定の脳病変分布を示します。 それだけでなく、汚染餌からBSEに感染した猫3頭、ニアラ、クードウー各1頭の脳乳剤を近交系マウスに接種した場合でも同じプロフィルが見られ、また、BSEを実験感染させた羊、山羊、豚でも同じプロフィルが見られています。
すなわち、自然感染、実験感染のいずれでも、種の壁を越えたBSEが、牛のBSE と同様のプロフィルを近交系マウスで示すことが明らかになりました。 新型CJDで、この試験を行うことで、BSE由来かどうかの推定が可能と考えられるわけです。 その実験のために今、近交系マウスを繁殖させている最中です。
BSEタイプの潜伏期は以下のとおりです。RIII (300-350日), C57BL (400-450), VM (47-550), IM (540-560),C57BL x VM F1 (800)。
最終結果はマウスの寿命がつきる3年後ですが、途中経過しだいで、ある程度の推定の可能性もあるわけです。
7. レンダリングの効果
本講座39回ですでに、このことをご紹介していますが、その実験の背景を簡単に述べます。
最初の実験はBSEの牛の脳を集めてレンダリングのBSE 不活化効果を調べたものです。 これはVeterinary Record (Dec. 95)に発表されています。 しかし、この場合には発病牛の脳の中の感染価が低かったために、第2回の実験が行われました。 39回講座では Vet. Rec.とProceeding, April 24, 1996の両方をまとめて、スクレイピーでの実験のように書いてしまいましたが、Vet. Rec.の方はBSEを用いた実験、Proceedingの方はスクレイピーを用いた実験です。 訂正します。
結論は39回講座に書いたとおりで、現在の連続処理法で肉骨粉の中のスクレイピー感染性は完全には不活化できなかったわけです。 なお、レンダリングでは獣脂と脂かすに分けられ、後者が肉骨粉になり、前者は石鹸をはじめいろいろな用途に用いられます。 獣脂の方は、現在のレンダリング法でも、感染性は検出されていません。
スクレイピー羊の脳を3,000頭分集めるのには、1頭あたり15ポンド(約2.5万円)の代金を払っており、半年かかったそうです。 このことから当時スクレイピーの年間発生数は、6,000頭以上はあったと推定されます。 ところが、今度、スクレイピーが届け出伝染病に指定されたところ、発生数は激減したとのことです。 報奨金と罰金の効果の違いを示したものだろうということでした。
8. BSE流行への代用乳の関与
39回講座で代用乳がBSE 発生に重要な役割をしているらしいという米国農務省の推測をご紹介しました。 今回、英国農業省の獣医局の担当官にこの点を尋ねてみました。
英国の乳牛では3~4日令から代用乳を与えられ、3~4週令まで続けられるそうです。 この中には約16%の蛋白が含まれていて、魚粉もあるが多くは肉骨粉とのことです。 BSEの多くは乳牛に発生し、しかも発症年令からも生後間もなく感染していることが推測されます。 英国の担当官も代用乳がBSE発生に重要であったことを認めていました。