(11/19/96)
この講座はもともと、霊長類フォーラム (Nifty Serve) のために始めたものです。 しかし、一人歩きしているようですので、霊長類フォーラムの名前を前につけることにしました。
第25回講座で米国でのコーモリからの狂犬病感染をご紹介したことがあります。
最近、英国、オーストラリアであいついでコーモリからの狂犬病感染がみつかっていて、いろいろと問題を投げかけています。 いずれも島国で、これまで何十年も狂犬病発生のなかった国での出来事です。
まず、最初に米国の例を再度、簡単にまとめた後、英国とオーストラリアの発生例についてご紹介します。
1. 米国の1995年3月ワシントン州の4才の少女の死亡例 (第25回講座からの抜粋)
この少女は、最初、眠気、ぼんやり、腹痛、食欲減退、のどの痛み、左側の頚の痛みなどの症状で近くの病院に連れていかれ、鼻炎および結膜炎と診断され、抗生物質が投与されました。 しかし翌日には症状が劇的に悪化し、急激な発熱、行動変化、幻覚、起立不能、不眠、飲み物の拒否、続いて、けいれんが起こり、郡の病院に運ばれた後、昏睡におちいり死亡しました。
症状が悪化してから、家族は2、3週前に彼女が眠っている時、彼女の部屋に1匹のコーモリを見つけ、それを殺して庭に埋めたことを思いだしました。 そこで狂犬病の検査が行われた結果、狂犬病に感染していたことが明らかになったのです。
埋められていたコーモリの死体を掘り出してその脳について狂犬病の検査が行われた結果、コーモリの脳の中に、子供に感染していたのと同じ遺伝子構造を持つ狂犬病ウイルスの遺伝子が見いだされました。 このウイルスは合衆国に生息する小型のホオヒゲコウモリに感染している狂犬病ウイルスの変異株でした。
丹念な追跡調査の結果、狂犬病にさらされたとみなされた人72名に対してワクチン接種が行われました。 これには6名の看護婦、6名のレスピレーター技師、ひとりの画像診断技師、2名の医師、6名の家族、外来で感染した子供に接触した50名の子供と大人が含まれていました。
2. 英国でのコーモリからの狂犬病
英国では1922年以来、狂犬病の発生はありませんでした。 その後、1960年代にワクチン検査用に東南アジアから輸入したアカゲザルで狂犬病がみつかったことがありましたたが、これは解剖して病理検査の結果、明らかになったものです。
このサルの狂犬病を見いだしたのは英国生物製剤研究所 (日本の予研のような役割を果たしている) のBoulgerブールジェ博士 (フランス系ですのでボウルジャーとは呼ばないそうです) でした。 丁度、予研の霊長類センター設立のための調査で欧米をまわっていた私は、1974年に彼の研究室で標本などをみせてもらったことがあります。
なお、英国で輸入サルが検疫の対象になったのは1969年ですが、そのきっかけは1967年のマールブルグ病発生と、このサルが狂犬病を持ち込んだ事件でした。
ところで、日本のように島国で厳重な狂犬病対策が施されている英国で70数年ぶりに狂犬病が発生しました。 1996年5月末にロンドンの南の海岸の町、ニューヘブンで小型のコーモリが壁にぶら下がっているのがみつかり、行動がおかしいので、安楽死させられ中央獣医学研究所に検査のために送られました。
コーモリをつかまえるのに地元のふたりの動物愛護の女性が手伝ったのですが、その際ひとりが噛まれました。 検査の結果、このコーモリは狂犬病だったのです。 このふたりは安全のために狂犬病ワクチンの接種を受け、発病することなく終わりました。
ニューヘブンは海岸に面した町で、そのすぐ隣には世界でもっとも古い海水浴場として有名なブライトンがあります。 日本でいえば湘南海岸のようなところで狂犬病に感染したコーモリが見つかったのです。
このコーモリの狂犬病ウイルスはヨーロッパ大陸で流行しているタイプのもので、ヨーロッパ・コーモリ・リッサウイルス2 European Bat Lyssavirus type 2 (EBL 2) とみなされています。 ウイルスが侵入した経路はまったく不明です。
3. オーストラリアでのコーモリからの狂犬病
オーストラリアでは、本講座(第46回)に述べた馬モービリウイルスの宿主探しの際に、多くのコーモリを捕獲してウイルス分離を行っていました。 1996年夏、オーストラリアのニュー・サウス・ウエールズ北部で雌の黒オーコーモリがイチジクの木の下で飛べなくなっているのがみつかったので麻酔薬を静脈注射して殺し、検査にまわしたところ、脳炎の病変が見つかりました。
もう1匹は1995年にとられていたサンプルについての検査でした。 同じ種類で、年令はもっと若い雌のコーモリで、普通よりも攻撃的になっていたので、同様に殺して、サンプルが保存されていました。 この2匹とも馬モービリウイルスについての検査は陰性でした。
ところが、これらのコーモリの脳の中には狂犬病ウイルスの抗原が広い領域にわたって存在することが明らかになったのです。
1996年に殺したコーモリのいろいろな組織について各種の試験を行った結果、腎臓の組織乳剤を接種された離乳直後のマウスで狂犬病ウイルスが分離されました。
狂犬病ウイルスはラブドウイルス科、リッサウイルス属に分類されており、その中には狂犬病ウイルスを含めて5つの血清型があります。 昔からの狂犬病ウイルス(血清型1)、ラゴス・コーモリウイルスLagos bat virus(血清型2)、モコラ・ウイルスMokola virus(血清型3)、ドウベンハーゲ・ウイルスDuvenhage virus(血清型4)、ヨーロッパ・コーモリ・リッサウイルスEuropean bat lyssavirus: EBV(血清型5)です。 ヨーロッパ・コーモリ・リッサウイルスはさらに2種類に分けられています。
血清型2~5はリッサウイルスまたは狂犬病関連ウイルスと呼んで、狂犬病ウイルスとは、一応、区別されています。
ウイルス粒子内部蛋白であるN蛋白の遺伝子について調べた結果、今回分離されたウイルスは上述のいろいろな血清型と75~80%の相同性を示すことが見いだされました。 系統樹からみると、ヨーロッパ・コーモリ・リッサウイルスおよび古典的狂犬病ウイルスに近いが、新しいタイプとみなされています。
このウイルスについての試験はCDCでも行われています。 先日、静岡での日本ウイルス学会のために来日されたCDCのウイルス・リケッチア部長のブライアン・マーヒー博士と夕食をともにした際の話では、CDCでもこのウイルスの遺伝子などの性状を調べていて、狂犬病ウイルスに非常に近いようなことを述べていました。
余談ですが、馬モービリウイルスを分離したオーストラリア家畜衛生研究所のキース・マレー所長は英国人で、かってマーヒー博士が英国動物ウイルス研究所 (現在は家畜衛生研究所パーブライト支所) の所長だった時に、免疫部門の室長をつとめていた間柄です。
オーストラリア獣医局長から国際獣疫事務局(OIE)のブランコー事務局長へは、2種類のコーモリ(黒オーコーモリ Black fruit bat, Pteropus alectoと小型赤コーモリ Little red fruit bat, P. scapulatus)(この和訳で良いのでしょうか?)の5つのサンプルからコーモリ・リッサウイルスが分離されたと報告されています。 しかも怪我をしたコーモリの面倒を見ていた動物飼育員の女性が、コーモリにひっかかれて王立ブリスベン病院に入院し、重体と報告されています。
本日(11月19日)届いたインターネット・ニュースでは、彼女が死亡したと伝えられています。
今回、分離されたウイルスは、日本語では普通は狂犬病ウイルスになりますが、上述のように英語ではリッサウイルスです。 血清型1のウイルスではないことから、オーストラリアは狂犬病フリーであると獣医局長はOIEへの報告の中で述べています。 一概に狂犬病ウイルスの名前を用いることは、これから問題になるかもしれません。
カニクイザルが米国に持ち込んだエボラウイルスを、ウイルス科名であるフィロウイルスと呼んだのと似た状況かもしれません。
しかし、リッサウイルスでも人が死亡し、コーモリを取り扱う人に狂犬病ワクチンの接種が行われるとなると、対策そのものは狂犬病の場合と同じようになると思います。 狂犬病の領域でも、新しい側面が出てきているとみなすべきでしょう。
また、馬モービリウイルスだけでなく、エボラウイルスでもコーモリは相変わらず有力な自然宿主候補です。 自然宿主探しで、コーモリをつかまえる機会が増えるとともに、狂犬病ウイルス感染の機会も増えるかもしれません。
4. 狂犬病の国際会議のお知らせ
私の友人でパスツール研究所・狂犬病ユニット長のアンリ・チアン博士から上記の会議の案内がきています。 興味のある方は直接、彼にご連絡下さい。first circularは私の手元にもあります。
International Rabies Meeting
March 13-14, 1997, Paris
Organizer: Dr. Henri Tsiang
Institut Pasteur, Unite de la Rage
25, rue du Dr Roux, 75724 Paris Cedex 15, France
Fax: (33) 01 40 61 30 15
E-mail: htsiang@pasteur.fr