人獣共通感染症連続講座 第65回 異種移植とバイオセーフテイ

  (8/29/98)

人の補体制御蛋白遺伝子を導入した豚の臓器を用いる異種移植は、ヒヒやカニクイザルでの動物実験の結果、超急性拒絶反応を回避できる見通しがでてきて、実際に人での臨床試験への動きが活発になってきました。 それとともに豚由来の微生物が人に感染して起こるかもしれないという、潜在的人獣共通感染症の問題がクローズアップされてきました。

すでに、この問題についてのイントロダクションは本講座第31回で取り上げ、その後の経緯は5152、56回(56回は欠番になっています)でご紹介しています。 今回は、もう少し掘り下げた解説を試みることにします。

1. 背景

ギリシア神話などの伝説はともかくとして、近代医学のもとに行われた異種移植の試みは数多くあります。 私の個人的見解ですが、それらのうち、現在の異種移植の進展に大きな影響を与えたものとして3つをあげることができると思います。

最初は1963年にニューオーリンズのチュレインTulane大学のキース・リームツマKeith Reemtsmaによるチンパンジーの腎臓移植です。 全部で12名に行い、とくに1名は9カ月近く生存し一時、教師の仕事に復帰することもできました。 これは予想以上の成績として医学界で高く評価されたもので、異種移植が現実の医療に利用できる可能性が示された最初の例とみなせます。

第2は1984年にカリフォルニアのロマリンダLoma Linda大学のレオナード・ベイリイLeonard Baileyによる乳児(両親の希望でベイビイ・フェイと仮称されました)へのヒヒの心臓移植です。 異種移植が全世界で大きなニュースとなった最初の例です。 この際ロマリンダ大学が集めた欧米の新聞記事の切り抜きは8,000にもなりました。 結局20日後にベイビイ・フェイは死亡しましたが、この出来事はちょうど、超急性拒絶反応の免疫学的機構についての知見が集まり始めた時にあたります。 異種移植の開発のためのベンチャー、イムトランImutranがデイビッド・ホワイトDavid Whiteにより設立されたのも、偶然かもしれませんが、この年でした。

第3は1995年12月にサンフランシスコのエイズ患者、ジェフ・ゲッテイJeff Gettyへのヒヒの骨髄移植です。 人の骨髄移植では、彼の身体の中に存在するヒト免疫不全ウイルスHIVが移植された骨髄細胞に感染して破壊されてしまうため、免疫能の回復は期待できません。 ところがヒヒの骨髄はHIVに抵抗性であるために、HIVで破壊されることなく、免疫能の回復効果が期待された訳です。

実際には、約2カ月後の検査で、ヒヒの骨髄細胞は彼の体内にはみつからず、移植はは失敗に終わりました。

この手術は異種移植による人獣共通感染症の問題が広く議論される大きなきっかけのひとつになりました。 その前のベイビイ・フェイの際は、膨大な数の新聞の切り抜きをざっと眺めてみましたが、批判的な議論は倫理や動物の権利に関するもので、微生物感染についての議論は皆無です。

1996年1月末にアトランタでCDC主催のバイオセーフテイに関するシンポジウムが開かれましたが、ここで異種移植のバイオセーフテイに関する総合的な議論が行われました。 これについてはすでに本講座(第31回)でご紹介しましたが、その際のスピーカーであったCDCのルイザ・チャップマンLouisa Chapmanに、3カ月ほど前にアトランタでたまたま会って話す機会がありました。 現在、彼女はFDAの異種移植ガイドラインの作成にもたずさわっていますが、このシンポジウムが異種移植のバイオセーフテイ問題の総合的な議論の最初であったと言っていました。

私もこれに出席しましたが、その際にはエイズ患者ジェフ・ゲッテイへの骨髄移植が成功するかどうかが、大きな関心事でした。 もしも成功すればエイズの治療法としての恩恵がリスクを上回るという議論につながるのではないかという雰囲気が感じられました。 結局、これは失敗したため、この面から異種移植の推進する動きは少なくなり、むしろサルの保有するウイルスについての危険性の議論の方が支配的になってきました。

もうひとつのきっかけは、英国のイムトランと米国のネキストランNextranの両方が、豚の心臓のサルへの移植実験で超急性拒絶反応の回避に成功したという報告が1995年頃からではじめことです。 豚の臓器による異種移植がきわめて現実的な問題として取り上げられるようになったのです。 豚の場合には、本講座第52回でご紹介した英国政府のケネデイ委員会の報告にみられるように、供給数も保証されており、微生物感染の危険性の問題がクリヤーできれば社会的に受け入れられると一般にみなされています。

2. 異種移植におけるウイルスの潜在的危険性

微生物感染のうち、とくに大きな問題はウイルスです。 これらを大別して次の4つの観点から、私の個人的見解も加えて解説を試みます。

1) 人獣共通感染症の病原体であることが判明しているウイルス

これには日本脳炎ウイルス、インフルエンザウイルスなどがあります。 日本脳炎は蚊が媒介しますが、まず最初に豚が感染し、豚の体内でウイルスが増え、その血を吸った蚊に人が刺されて感染します。 豚はウイルスの増幅動物ということになります。 日本では毎年、豚の感染状況について血清を調べて、その年の流行予測を行っています。 ただし、このウイルスは英国や米国にはいません。

スペイン風邪の原因はブタインフルエンザです。 豚が新しいインフルエンザウイルスの出現にかかわっていることは、よく知られています。

これらのウイルスに感染していない豚を確保することは技術的に容易です。 したがって、この問題は解決可能とみなせます。

2) ブタレトロウイルス

豚は畜産の面から非常に重要な動物であり、豚のウイルスについての知見は、おそらく家畜の中でも最大の蓄積があるといえます。 これまでは豚への健康被害の面だけが問題になっていましたが、異種移植では豚には病気を起こさなくても人に病気を起こすおそれがないかという面が問題になります。 このような潜在的危険性の評価、移植用豚からいかにして、これらのウイルスを除去するかが問題となっているわけです。

すでに豚由来ウイルスの大規模なリストはできており、ほとんどのウイルスは検出または感染防止が可能です。 ところがブタレトロウイルスは、内在性ウイルスといって豚の染色体に組み込まれて存在しており、現在の技術では除去は困難です。 これまでの知見では豚や人への病原性は見つかっていませんが、ブタレトロウイルスが人の体内で新しいレトロウイルスに変わるおそれはないか、それが患者に癌のような病気を起こすことはないか。 患者だけでなく、たとえば新しいエイズウイルスのようなものに変わって、移植を受けた患者だけでなく、患者の家族、さらには社会にまで感染を広げるおそれはないかという、潜在的危険性が問題にされはじめています。

豚の培養細胞株でもっとも有名なものにPK15という細胞があります。 米国の国立ガン研究所のトダロTodaroは、この細胞にレトロウイルスの存在することを1974年に報告しました。 この際、彼は人の細胞も含めていろいろな哺乳動物の細胞にこのウイルスを接種してみましたが、どれも感染しませんでした。 調べた細胞の中には正常な豚の細胞も含まれていましたが、これにも感染しませんでした。 日本では1980年代に当時、家畜衛生試験場の児玉道さんが、豚のリンパ腫由来の細胞からレトロウイルスを分離し、つくば1株と名付けました。 しかし、その後、豚のレトロウイルスについての研究は途絶えていました。 異種移植に関連して、これらのウイルスへの関心が高まってきたのは、上に述べたような理由からです。 この面での最近の状況をごく簡単に整理してみます。

グラスゴー大学のデイビッド・オニオンスDavid Onionsとイムトランのグループは、つくば1株を含むいくつかのブタレトロウイルスの被膜(エンベロープ)の遺伝子を解析した結果、少なくとも4つのタイプのウイルスが存在することをみいだし、さらにこれらはA, B 2つのグループに大別できると言っています。 これらのウイルスのあるものはわずかながらヒトの細胞に感染し、またあるものは感染しません。 これらの成績は、それぞれのウイルス遺伝子が存在している染色体の位置を決めて将来、ヒトに感染するおそれのあるレトロウイルスをもたないブタを作り出すための基礎資料になります。

一方、異種移植の問題がクローズアップされてから、ロンドンにあるガン研究所Institute of Cancer Researchのロビン・ワイスRobin Weissは、先に述べたPK15 細胞からのウイルスなど、ブタレトロウイルスが人の培養細胞に感染しうることを発表し、人への潜在的危険性があることをネイチャーなどの雑誌に発表しています。 現在、異種移植でのブタレトロウイルスの危険性に関する議論のほとんどは、彼の論文にもとづいていると言ってよいでしょう。

一方、ロビン・ワイスの研究グループの竹内康裕先生たちは、別の観点からの危険性の側面も最近、発表しています。 すこし難しくなりますが、簡単に説明してみます。 1975年に、マウスやネコのレトロウイルスが人の血清で溶かされ、不活化されることがみつかり、さらに1984年には岡田秀親先生 (現在・名古屋市立大学教授) が人のレトロウイルスであるヒトT細胞白血病ウイルスは溶かされないことをみいだしました。 この現象は補体の働きによるもので、人が動物のレトロウイルスに感染するのを防ぐ自然免疫として役立つと考えられています。 1996年に竹内先生たちはブタレトロウイルスが人血清で不活化されるのは、人には存在せず人とサル以外の哺乳動物に存在するαガラクトース抗原という物質に対する抗体と補体の反応によることを証明しています。 αガラクトース抗原は蛋白に結合している糖鎖の末端に存在する物質です。

ウイルスは細胞膜から出芽して放出されますが、その際に細胞膜にある物質もウイルスの被膜 (エンベロープ) とりこまれます。 そのため、豚の細胞で増殖したブタレトロウイルスの表面にはαガラクトース抗原が存在します。 この抗原と人の血清中の抗体と補体が反応してブタレトロウイルスが不活化されるという考えです。 すなわち、仮に人の体内にブタレトロウイルスが侵入しても、この反応でウイルスは不活化される、いうなれば自然に備わっている防御機構ということになります。

ところが実験的にブタレトロウイルスを人の細胞に感染させてみると、ここで産生されてくるブタレトロウイルスのエンベロープにはαガラクトース抗原はみつかりません。 その結果、このウイルスは人の血清では不活化されなくなっている、すなわち自然免疫のような機構での排除は期待できなくなるという可能性です。

まとめてみると、人の細胞に感染しうるブタレトロウイルスは人の身体の中で増殖しうるのではないか、しかもそこで増えてくるウイルスはもとのウイルスとは異なっていて人の血清による自然免疫に対する抵抗性を獲得しているのではないかということになります。

しかし、人の細胞で増えるウイルスが人の身体の中で必ずしも増えるとはいえません。 試験管の中で植え継ぐことができるようになった培養細胞と生体では状況がまったく異なることは、多くのウイルスで明らかになっています。 人の培養細胞で増えても人の体内で増えるとは限らず、また逆に人の培養細胞で増えなくても、人の体内で増える場合も多くあります。 したがって、培養細胞で増えるかどうかを調べてみても、信頼できる結果は得られません。

一番信頼できるのは、結局、対象となる動物種、この場合には人で調べるしか方法はありません。 これはレトロウイルスに限らず、多くのウイルスでこれまで経験的に明らかになっていることです。 といっても実験的に人にブタレトロウイルスを接種してみることは不可能です。 ところが、世界各国には、これまでに実際に豚の臓器、組織、細胞を移植された人々が数百人います。 これらの人にブタレトロウイルスの感染が起きているかどうかを調べることが、ひとつの手がかりになります。

イムトランはそのような人々、全部で160名くらいの血液を集めています。 その内訳は豚の脾臓での血液環流を行った人100名、これはロシアの人で主に火傷の際の敗血症の治療のためのようです。 ドイツでは豚の皮膚移植を受けた人15名、スウェーデンとニュージーランドではパーキンソン病治療のためにブタの脳細胞の移植を受けた人、カナダで豚の肝臓での血液環流を受けた人、フランス、米国、イスラエルではカプセルに入れた肝臓細胞の移植を受けた人などです。 これらの人にブタレトロウイルスの感染が起きていたかどうかを、ブタレトロウイルスに対する抗体やウイルス遺伝子の存在の面から調べているのです。 この成績にもとずいて、イムトランは英国政府に最初の臨床試験を申請する予定です。 最初から臓器の移植ではなく、まず、体外で豚の肝臓に患者の血管をつないで血液を環流するもので、脳死移植の臓器が見つかるまでの一時的処置となるものです。 もちろん、この人達でのブタレトロウイルス感染の有無についての検査が、今後の移植を進める上での重要な資料になることが期待されています。

3) 新しいウイルスの発見

この1年間に人での病原性が疑われる新しいウイルスが豚から2種類見つかりました。 ひとつはE型肝炎ウイルスです。E型肝炎ウイルスはアジア、アフリカの発展途上国で流行を起こしているウイルスで、主に若い人に感染し、とくに妊娠している女性が感染すると20%に達する致死率の見られることもあります。

1997年に米国の国立衛生研究所NIHの肝炎ウイルス研究グループは豚に人のE型肝炎ウイルスによく似たウイルスが存在することを報告しました。 豚では臨床的に異常はみられませんが、顕微鏡で見ると肝臓に肝炎の病変がみられたと報告しています。 このウイルスは人のウイルスとは遺伝子構造が90%位同じものです。 このウイルスが異種移植での危険性につながるかどうかが今後の問題となっています。

オーストラリアの養豚場では、脳と脊髄に異常を伴う死産の子豚からメナングルウイルスMenangle virusと命名された新しいウイルスが分離され、人とオオコウモリにも感染しているらしいという内容の論文が、今年になって発表されました。 この養豚場では、90%以上の豚がメナングルウイルスに対する抗体を持っていましたが、オーストラリアのほかの養豚場の豚は、調べたかぎりすべて陰性でした。 また、発病した豚の材料に接触した人2名が原因不明の熱を出し、このウイルスに対する抗体が陽性でした。 そのほか、近くにあるオオコウモリの繁殖コロニーのオオコウモリにも抗体が見つかっています。 メナングルウイルスは電子顕微鏡での形態からパラミクソウイルスに属すると考えられています。

豚のウイルスについては、これまでは畜産でのブタの健康管理の観点からだけ研究が行われてきましたが、異種移植という新しい観点で、これからますます研究が盛んになると思われます。 すでに家畜の中でも一番研究が進んでいる豚ですが、今後はさらに多くの知見が発表されてくることでしょう。

4) 導入遺伝子がウイルスのレセプターとして働く可能性

ウイルスは細胞膜に結合した後、細胞の中に侵入して増殖します。 この結合はウイルスに固有のレセプターを介して行われます。 レセプターがなければ、ウイルスは感染することができません。 ウイルス・レセプターの検索は現在のウイルス研究領域でのホットな課題のひとつです。

ところで、現在、臨床試験の段階になっているのは人のDAF遺伝子を導入した豚です。 DAFはコクサッキーウイルスのレセプターになるという報告があります。 コクサッキーウイルスは人の腸管感染を起こすウイルスで髄膜炎の原因になることがあります。 ふつうの豚はコクサッキーウイルスには感染しませんが、人のDAFが細胞表面にある豚の臓器はコクサッキーウイルスに感染するおそれがあるかもしれないという問題が起きてくるわけです。

また、導入が試みられている遺伝子にCD46という別の補体制御蛋白もあります。 CD46は麻疹ウイルスのレセプターとして、とくにヨーロッパで盛んに研究が行われているものです。 CD46が存在する豚の臓器は麻疹ウイルスに感染する可能性があるという問題が起きてくるわけです。

本来、豚には感染しない人のウイルスが豚の臓器に感染し、そこで増殖したウイルスは豚や人に病気を起こさないかといった議論も出ています。

理論的には、たしかに可能性がゼロではありませんが、ウイルスレセプターの問題は複雑で、1個のレセプター遺伝子を導入した結果、ウイルスに対する感受性を獲得させるのに成功した例は、ただひとつ、マウスにポリオウイルスのレセプターの場合だけです。 これは東大医科研の野本明男先生のグループが作製したトランスジェニックマウスで、ポリオウイルスに感受性のあるサルの代わりになりうるという、すばらしい実験動物になっています。 しかし、ほかのウイルスでは成功例はありません。 CD46遺伝子を導入したトランスジェニックマウスも作られていますが、麻疹ウイルスへの感受性は獲得していません。 DAF遺伝子での論文はないと思います。

3. 臨床試験への道

前の講座でご紹介したケネデイ委員会の報告を受けて英国政府は異種移植に関する政府の委員会として、異種移植暫定検討委員会Xenotransplantation Interim Regulatory Authority (XIRA:ジーラと発音します) を1997年に設立しました。 委員長のハブグッド卿Lord Habgoodはヨークの司教bishop of Yorkをつとめていた人です。 英国ではカンタベリーについでヨークがもっとも位の高い教会で、そこの司教は非常に高い社会的地位の人だそうです。 しかも彼は宗教界に入る前には薬学を勉強したこともあるそうです。 ここでの検討結果を受けて最終的には保健省の大臣が臨床試験の可否を決定するのだと思われます。 イムトランでは前述の160人のサンプルの成績にもとずいて、まず、体外に設置した肝臓での環流の実験を申請することになるといわれています。 直ちに移植実験というのではなく、体外にとりつけるという安全性の高い実験からはじめて、その成績を参考にしてだんだん本番の体内への臓器移植という段取りになることが予想されます。

米国ではすでに食品医薬品局FDAが1996年9月に異種移植のガイドライン案を作っています。 1997年の暮れには告示されるはずでした。 しかし、予定より遅れており、1998年1月に開かれた公聴会では、多くの議論がありました。 今年の秋には告示されるだろうと予測されています。