(1/16/00)
昨年エドワード・フーパーEdward Hooperの大作The river が出版されました。 エイズの起源についての調査を10年にわたって数千の文献調査、600回以上のインタビューを行った結果、1950年代にアフリカで行われた経口ポリオワクチン接種が原因であるという結論にいたった経緯を述べたものです。 本文だけで858ページ、文献(4,000以上)から索引まで入れると全部で1,070ページ、しかも通常よりは小さい活字で、まさに超大作です。
昨年秋に購入したもののあまりのボリュームのために、読み始めるのをためらっていたのですが、年末年始を過ごすことにしているスキー宿で読み始め、やっと読み終えました。 といってもかなり流し読みですが。
結論の是非はともかく、内容はエイズの歴史、ポリオワクチン開発の歴史、医学研究におけるサルの使用の経緯、これらに関わった研究者の言動、初期のエイズ患者、エイズ起源に関するさまざまな仮説など、膨大な内容です。 しかもほとんどに引用文献がつけられていますので貴重なデータベースにもなります。
ローリー・ギャレットLaurie GarrettのComing plague (しのびよる疫病)はエマージング感染症に関するエンサイクロペディアとみなされていますが、本書はエイズ、ポリオに関するエンサイクロペディアです。 量的にはComing plagueよりも50%は多いと思います。
とても全容をご紹介するわけにはいきませんので、さわりの部分と私が興味を持ったエピソード的なところだけをピックアップしてみます。
著者
国連の職員でBBCのアフリカ特派員であり、現在は英国在住としか紹介されていません。 本文の中では1カ所でだけWHOの職員ということを示す記述があります。
どういう経歴の人か、これだけではまったく分かりませんが、科学的な面の理解はきわめて正確で、記述もわかりやすい内容になっています。
インタビューの多くは会話の形で書かれています。 フーパーは彼が事実を発見していく過程をなるべく明確に示すことを意図したためと述べています。 テープを起こすだけでも大変な作業と思いますが600回以上のインタビューと、4,000以上の文献を検索して、情報を整理しストーリーをつなぎ合わせることで完成した本書は、著者のすぐれたコンピューター的才能も示しています。
序文
河はどこから始まるのか。 4,000マイルを流れて地中海にそそぐナイル河は最初ヴィクトリア湖に発すると言われていたのが、後になってヴィクトリア湖に流れ込む小さな泉が源であることが分かりました。 エイズの源も同様というわけで、Riverという書名になったことをそれとなく述べています。
病気がどのようにして始まったのか、それを知る古典的な例として1854年にロンドンで発生したコレラがあります。 ジョン・スノーJohn Snowが死者の家を地図に記していって、発生源がひとつの井戸であることをつきつめています。 フーパーはスノーと同様に、最初に出現したのはいつか?どこで出現したか?どのようにして広がったか?と問いかけています。 さらに「なぜ、今」という疑問も付け加えています。
生ポリオワクチンの開発
1950年代にソークの不活化ポリオワクチンが開発されましたが、その際にカリフォルニアのカッター研究所が製造したワクチンが、不活化不十分であったために、ポリオ患者が多数発生した、いわゆるカッター事件が起こりました。 これは解決されたものの、免疫の持続期間が短いために生ワクチンの開発が進められていきました。 その結果、アルバート・セイビンAlbert Sabin、ヒラリー・コプロフスキーHilary Koprowski、ヘラルド・コックスHerald Coxの3人がほぼ同じ頃に弱毒ワクチンを開発しました。
人体への接種試験の最初はコプロフスキーが1951年に米国で行い、ついでセイビンが1955年にオハイオの囚人ボランティアに行いました。
その後、大規模な接種試験としてコプロフスキーは1957年から60年にかけてベルギー領コンゴを中心にアフリカで、セイビンは生まれ故郷のソ連で行いました。
最終的にワクチンの選定はNIHの生物製剤局で行われ、セイビン・ワクチンに決まりました。 3つのワクチンはほぼ同じレベルの品質だったのですが、サルでの神経毒力がコックス・ワクチン、コプロフスキー・ワクチン、セイビン・ワクチンの順に高かったためとされています。 ただしコプロフスキーとセイビンワクチンの間の差はほとんどなかったという話もあります。 コプロフスキーはポリオワクチンと呼ばれるべきものが一般にはセイビン・ワクチンという名前に置き換えられたのを残念がっていたという話を聞いたことがあります。
ところで、アフリカで接種試験に用いられたコプロフスキー・ワクチンはCHATという名前のロットでした。 この中にチンパンジーのサル免疫不全ウイルス(SIVcpz)が含まれていて、それからヒト免疫不全ウイルス(HIV)が出現したと話は展開していきます。 CHATはChimpanzee-attenuated (チンパンジーを継代して弱毒化した) の省略という話がポリオワクチンのエイズ原因説を唱える人の発言として出てきますが、これは皮肉な冗談です。
コプロフスキー
彼はポーランドで生まれ、ワルシャワ音楽院でピアノを学びました。 ウイルス研究者には音楽の才能もある人が何人もいますが、なかでもコプロフスキーのピアノはプロ並みといわれています。 しかし、音楽の道には進まずワルシャワの医科大学に入学し、卒業後第2次大戦でドイツ軍の侵入の直前にローマに移りました。 ついでブラジルで黄熱の研究を始め、それから、米国に移住しました。 最初は製薬会社レダリーの研究所に入り、その後つぶれかけていたウイスター研究所に移り、そこを建て直し所長となりました。
ついでですが、私のカリフォルニア大学での先生であるバンコフスキーBankowski教授もポーランド系で、コプロフスキーとは友人の間柄でした。 多くの移住者はBankowskyとアメリカ式にiをyに変えるのだが、我々は変えないのだと自慢していたことを思い出します。
昨年夏のシドニーでの国際ウイルス学会で、コプロフスキーはスチュワート・マドStewart Mudd賞というのを受賞し、記念講演をしましたが、その際にはポリオワクチン開発の中心になったテクニシアンのトム・ノートンTom Nortonに敬意を表していました。 ノートンはマックス・タイラーMax Theiler (黄熱ワクチンの開発でノーベル賞受賞) のチーフ・テクニシアンでしたが、コプロフスキーがポリオワクチン開発を決心した際にタイラーから譲られたのだそうです。
経口ポリオワクチンのエイズの原因説
1992年にロックマガジン・ローリングストーンにトム・カーチスTom Curtisの「エイズの起源」という記事が載りました。 彼はジャーナリストで、この記事は事実にもとづく報告ではなく仮説を述べたものです。 サブタイトルは「疑問に答える驚くべき新しい説、神の行いか人間の行いか?」というセンセーショナルなもので、日本でも当時かなり話題になりました。
科学的な視点から最初にまとめられたものは、自然科学者ルイ・パスカルLouis Pascalの総説です。 フーパーはルイ・パスツールと哲学者パスカルを合わせたものすごい名前とコメントをしています。 彼は1950年代に行われたポリオワクチンの接種試験で安全性に対する配慮が非常に欠けていた点に注目して、この論文を書いています。 いろいろな雑誌に投稿したのですが、いずれも掲載を拒否され、最終的にオーストラリアの大学の雑誌に掲載されたものです。
フーパーはパスカルの仮説をさらに精力的に実証していったことになります。 HIV-1はチンパンジーのウイルスSIVcpz、HIV-2はスーティーマンガベイのウイルスSIVsmが人に感染した疑いが濃厚です。 どのようにして人に感染したのかがフーパーの課題です。 彼の調査は医学論文の検索に始まり、いもづる的に関係者を見いだしてはインタビューを行って考えをまとめあげています。 その膨大な内容からサルのウイルスがどのようにしてHIV-1とHIV-2となったのか、彼の意見をまとめてみます。
HIV-1の起源
これまでに伝えられてきたエイズの起源説は、サル免疫不全ウイルス(SIV)にかかったサルを食べたり、狩などの際に感染したのではないかという自然伝播説でした。
フーパーは人為的な操作、すなわちポリオワクチンの投与から起きたという仮説にたっています。 まず、米国でエイズの流行が公式に確認された1981年以前にエイズ様の症状を示した患者についての追跡調査を家族、医師などを探し出してインタビューで確認を試みています。 その結果、1959年以前には患者は確定できず、最初の例はレオポルドビルで1962年に死亡した人としています。 第1の例はノルウェーの船員で1966年に死亡した人、彼は1964年にケニアで感染したと推定しています。 そして全部で38例を見いだし、そのうち29例はコンゴに関連していることを指摘しています。
そのほか、さまざまな方法で調べてみた結果、人間が最初にHIV-1に感染したのは1950年代で、その場所はコンゴのキンシャサ・レオポルドビルであること、そしてそこでは1957年から1960年にかけてポリオワクチンの接種試験が実施されていたこととドラマチックに関連するということです。 ワクチン接種の行われた場所と初期のエイズ患者の発生地域を比較した地図も示されています。
ポリオワクチンにチンパンジーのSIVが入りこんだ経路については、ワクチンの製造用のサルの腎臓細胞の中にはチンパンジーの腎臓も含まれていて、それに潜在感染していたSIVcpzがポリオワクチンに入った可能性をとりあげています。 そしてチンパンジーの腎臓が実際に使用されたかどうかについては、徹底的に事実関係を調べています。 しかし、記録が不十分ではっきりした結論は得られていません。 一方、チンパンジーの腎臓が使用されなかったという具体的証拠も関係者から示されてはいないことをフーパーは強調しています。
また、ワクチン接種の実体もはっきりしません。 なお、彼は発表された論文から1951年から60年までには900万人がCHATワクチンの接種を受けたと推定しています。
これらの経緯が本書の大半を占めていますが、まさに裁判の調書のように徹底的な追及がみられます。 そして、断片的事実をつなぎあわせて行っている推論は探偵小説そのものです。
HIV-2の起源
HIV-2は西アフリカに限定して発生しており、病原性も伝染性もHIV-1よりは低いようです。 京大の速水正憲先生のグループが1966年と67年に採取された西アフリカの血清3,000以上のサンプルの中から抗体を検出していることも取り上げていますが、その成績には疑問を投げかけています。
HIV-2はスーティマンガベイのSIVsm由来と推測されていますが、HIV-2感染の中心地域ではマンガべイは絶滅しているので、人がSIVsm保有宿主であるマンガベイから直接感染したとする自然伝播説は非常に考えにくいと述べています。 サルのハンターやサルの肉を売る人がSIVに感染し、発熱などの症状が出たために、近くの医師の所へ行った際に、抗生物質の注射などをされ、その注射器が別の人にも使用されて人から人への感染が起きた可能性も提唱されていますが、感染後まもない急性期に熱は出ないのではないかとして、興味ある仮説だが、ありえないとしています。
もうひとつの可能性として、これらの地域に生息する9種類のサルのどれかがマンガベイの絶滅以前にマンガベイからSIVsmに感染したことがあげられます。 その場合、考えられるのは、チンパンジーとヒヒが雑食性で、マンガベイをおそって食べた可能性ですが、これまで西アフリカのチンパンジーやヒヒでSIVsmがHIV-2に感染している証拠はありません。
HIV-2の抗体分布を見ると、1926~67年にうまれた人では0.9%、57~62年に生まれた人では7.5%、52~57年に生まれた人では17.1%と、52~62年に生まれた人で急激に増加しています。 したがって52~62年に重要な出来事があったと推定しています。 HIV-1の場合のような証拠はないものの、この時期に人為的な出来事で、おそらくポリオワクチンにより、人に感染が伝播されたものという推測です。
登場人物の役割
おびただしい数の人の名前と役割が本書の冒頭にリストアップされています。 エイズ研究者だけでなく、ウイルス学の歴史に残る人、私の知っている人、なつかしい人などを含めて多くの人の名前が網羅されています。 ただし、日本人では速水先生の名前だけです。
彼の研究内容としてミドリザルからのSIVagmの分離とミドリザル腎臓細胞で製造されたポリオワクチンにSIVagmが見いだされなかった報告が引用されています。 前者は研究生の深沢君がトップオーサーですが、まったくミスプリントがみあたらない本書で彼の名前はFukosawaになっています。 つまらないことですが、日本人の名前はよく綴りが間違えられます。
サルのエイズの広がり
サルでエイズを起こすSIVはニューイングランド霊長類センターのアカゲザルで分離され、これがサルでエイズの症状を引き起こす唯一のウイルスです。 そのために貴重なエイズの動物モデルとして利用されています。 ところが、これはスーティマンガベイが宿主のウイルスです。 マンガベイでは症状は示しません。 このウイルスがどうしてアカゲザルに移ったのか私は今まで疑問に思っていたのですが、その経緯について面白い説明がありました。 クールーの研究が関わっているというものです。
クールーやクロイツフェルト・ヤコブ病のサルへの伝達実験でノーベル賞を受賞したカールトン・ガイジュセックCarleton Gajdusekはカリフォルニア大学霊長類センターでマンガベイにクールー患者の脳材料の継代を行っている途中でマンガベイがなくなってしまい、アカゲザルに切り替えたそうです。 その頃、1969年と74年ですが、そこでリンパ腫と日和見感染が発生しました。 私も74年に、米国の霊長類センターの視察を行い、この感染には大変興味を持ちました。
ところで、この際に生き残ったサルはほかの霊長類センターに売却されることになり、アカゲザルはニューイングランド霊長類センターに、ブタオザルはワシントン霊長類センターに、ベニガオザルはヤーキス霊長類センターに売られていきました。 そしてニューイングランドのアカゲザルとワシントンのブタオザルからSIVが分離されました。 このふたつのSIVは配列が3%異なるだけでした。 またカリフォルニアに凍結保存されていたマカカ属サルの組織でも同じSIV が見いだされました。 すなわち、マンガベイのウイルスがクールーの継代実験でアカゲザルに移ってそこで病原性を示すようになり、アカゲザルから分離されたという訳です。 カリフォルニアで発生したリンパ腫や日和見感染はこのSIVによるものだったという説明です。
CHATポリオワクチンについての試験
1957年にコンゴで最初のポリオワクチン接種試験が行われた時にスウェーデンでも同じワクチンの接種が行われていました。 その際のCHATワクチンの残りがストックホルムのカロリンスカ研究所に保存されていたことが分かり、1本だけが調べられましたが、それからSIVは見いだされませんでした。 フーパーはさらに、どの種類のサルの腎臓が使われていたのかを知るためにミトコンドリアDNAのテストをするようためにサンプルの提供を要求したが、返事をもらっていないと述べています。
1992年にトム・カーチスのポリオワクチン起源説が出された際に、それに答えるために結成されたウイスター研究所の調査委員会はCHATサンプルをCDCとWHOがテストするよう勧告しています。 しかし、いまだに試験は行われず、またNIHも調査を引き受けていないとのことです。
ロビン・ワイスの書評
サイエンス1999年11月12日号に1.5ページにわたる書評が載っています。 彼は異種移植でのブタ内在性レトロウイルスの危険性を指摘したことでも有名なレトロウイルス研究者です。
いろいろな観点からフーパーの見解を批判していますが、とくにポリオワクチン接種試験の場所とHIVの出現場所はフーパーの言うように相関はしていないことを指摘しています。 また、もしも医原病的な機構を唱えるのであれば1930年代終わりから1955年にかけてベルギー・アントワープの熱帯病研究所でマラリアの弱毒化実験が行われ、そこで人々がチンパンジーの血液を接種されたこと、そしてベルギーの人々はベルギー領コンゴへ常に旅行していたことも考慮すべきと述べています。
結局、この本はポリオワクチンがエイズを作り出したことを証明はしていないという意見です。 しかし、フーパーと同様の指摘はこれまでにもあると。 すなわち、アフリカミドリザルの腎臓でポリオワクチンが製造されてきており、SIVのスクリーニングが導入される以前にすでに数百万人分のワクチンがSIV陽性ミドリザルから作られたが、幸いなことにSIVなどサルのレトロウイルスが人間の間に広がらなかったことを述べています。
コプロフスキーの返事
サイエンス1999年12月24日号でコプロフスキーは、自分たちが内緒でチンパンジーの腎臓でポリオワクチンを作り接種試験に用いたという、フーパーの示唆に対して、チンパンジーの腎臓を用いたことはなく、フーパーの説は根拠がないと回答しています。 そしてコンゴでの試験とソ連での試験を契機に進められたワクチンの大規模接種でポリオ根絶に向かっていることを評価すべきと述べています。
教訓
フーパーは過去の歴史のチャンネルをつなぎ合わせる膨大な作業を通じて、「時は過ぎ、記憶はどんどん薄れていく。 2個のリンゴは3個になる。 チンパンジーはキリンに変わり、シマウマはワニになる。」と、人の記憶が薄れていくことを指摘しています。
問題になった1950年代は、ウイルス学の未熟な時期でワクチンの品質管理の概念も生まれ始めた時期でした。 もしもワクチンの開発研究の記録、製造記録、投与の記録、サンプルの系統的保存のシステムが確立されていれば、チンパンジーがウイルスの弱毒化の過程で使用されたか、ワクチンの製造にチンパンジーの腎臓が使用されたか調べることができます。
仮にチンパンジーからの感染が人為的なものであったとしても、ロビン・ワイスの指摘したマラリア弱毒化の試験とフーパーの唱えるポリオワクチンのどちらが関わっているかは、サンプルの系統的保存がなされていれば現在のウイルス学の技術で証明することが可能です。
この点は、現在大きな議論を呼んでいる異種移植の研究でとくに重要視されている点にもなっています。