人獣共通感染症連続講座 第92回 ウイルス性出血熱に関する最近の話題:エボラウイルスの宿主;ドイツでのラッサ熱患者

(1/29/00)

1. エボラウイルスの宿主へのてがかり

エボラウイルスとマールブルグウイルスはフィロウイルス科に属する近縁のウイルスですが、どちらも自然宿主は不明です。 1995年にザイールのキクウイトでエボラ出血熱の大きな発生があった際には、CDCのチームが最初の感染が起きた場所とみなされた熱帯雨林で齧歯類、ヒキガエル、トカゲ、ヘビなど全部で2,500匹のサンプルを集めてウイルスの検出を試みています。 しかし、いまだにウイルスを持った動物は見つかっていません。

ところが昨年暮れに、中央アフリカにあるパスツール研究所のジャック・モルヴァンJacques Morvanたちフランスの研究グループが、中央アフリカに生息する哺乳類からエボラウイルス遺伝子の一部を見いだしたという成績を発表しました。 このニュースは最初、サイエンス10月22日号に掲載されましたが、その詳細な内容がMicrobes and Infection (微生物と感染), Vol.1 (12月号), 1193-1201, 1999に発表されました。 この雑誌はパスツール研究所が発行しているもので、Research in Virology, Research in Immunology、Bulletin de l’Institut Pasteurという3つの雑誌が一つにまとめられたものです。 その要点をご紹介します。

これまでに感染実験ではサル、齧歯類、コウモリがエボラウイルスに感受性を持つことが報告されています。 昨年のJournal of Infectious Diseasesでは、トム・モナスTom Monathは熱帯雨林の天蓋に生息する動物たとえばコウモリが宿主ではないかという意見を発表しています。 なおモナスは1969年にラッサ熱が発生した際にCDCに在職していて、大型齧歯類のマストミスがラッサウイルスの宿主であることを明らかにした人です。

モルヴァンたちは、これまでにエボラ出血熱が発生したことが明らかな8つの地域の歴史的、地理的解析を行った結果、森林の奥ではなく森林の周辺部で開拓地と森林がモザイク状になっている地域で発生していることに注目しました。 そして、エボラウイルスの宿主は深い森林よりも外側の環境に生息し、天蓋に限るものではないと考えました。 さらに中央アフリカでは住民にエボラウイルス抗体が高い頻度でみつかること、また1994~97年の森林に住むピグミイ族についての調査では 13.2% 人が抗体陽性であったこと、また、廃墟になったある村では 4% の人に抗体が見つかっていることに注目して、中央アフリカで調査を始めたわけです。

捕獲したのは633匹の哺乳類で、そのうち242匹(齧歯類163匹、トガリネズミ65匹、コウモリ23羽)について腎臓、肝臓、脾臓を採取し、抗原捕獲ELISAによるウイルス抗原検出、細胞培養への接種によるウイルス分離、PCRでのウイルス遺伝子検出、電子顕微鏡によるウイルス粒子検出を試みました。

その結果、7匹の動物で逆転写PCRによりエボラウイルスの糖蛋白遺伝子またはポリメラーゼ遺伝子の配列がみつかり、その配列はザイール・ガボン型でした。 また、エボラウイルスに類似の紐のような形の粒子が1匹の動物の脾臓細胞の細胞質で検出されました。 抗原捕獲ELISAではすべて陰性で、ウイルス抗原は検出されていません。 また、逆転写PCR陽性の脾臓サンプルについて、ウイルス分離が試みられました、ウイルスは分離されませんでした。

ウイルス遺伝子の配列が見いだされたのは、齧歯目、ネズミ科MuridaeのアラゲハツカネズミMus setulosus(4/40) とヤワゲネズミPraomys(2/16)、および食虫目、トガリネズミ科SoricidaeのツボモリジャコウネズミSylvisorex ollula(1/7)でした。

この結果について、著者らはこれらの動物が宿主とは結論しておらず、これらがエボラウイルスと接触していると述べ、エボラウイルスの生存環境の探索に役立つと慎重な表現をしています。

この報告に対して前述のサイエンス誌で、オランダのエラスムス大学ウイルス学教授のアルバート(通称アブ)・オスターハウスAlbert Osterhausはこの成績だけでこれらの動物がエボラウイルスを保有しているとは結論できないが、森林の奥よりも、もっと人間が近づきやすい場所にいる動物がエボラウイルスに接触していることを示したものと述べています。 一方、CDCの特殊病原部長C.J.ピータースは、このような普通に見られる動物にエボラウイルスがいるとしたら、もっと多くの動物の感染が見られるはずではないかと疑問を投げかけています。

2. ドイツにおけるラッサ熱患者

昨年8月にはベルリンでアフリカから帰国した患者がエボラ出血熱と疑われて大きな社会的反響を起こしました。 これは結局、黄熱であったことが患者の死亡後に明らかになりました。 その経緯は本講座(第83回)でご紹介したとおりです。

今度は、ビュルツブルグの病院でラッサ熱の患者がみつかりました。 ここはドイツ南部のロマンティック街道の入り口にあたる中世のおもむきを保った美しい都市です。 23才の女子学生がアフリカへ研修旅行に出かけ、帰国直前に発病し、ビュルツブルグの病院で死亡したのです。

その経緯は最近のProMedで伝えられてきています。 ご覧になった方も多いと思いますが、簡単に整理してみます。

彼女は交換学生計画で仲間の学生、教師とともに7週間、西アフリカのコートジボアールとガーナを訪問していたのですが、今年の1月2日にコートジボアールで発病し7日にフランクフルト空港に戻りました。 症状はインフルエンザ様で、帰国の3日後に南ドイツの町の病院に入院しマラリアの治療を受けたのですが、臨床症状は改善せず、担当医師は熱帯病を疑い11日にビュルツブルグの病院の熱帯病部門に移されました。 患者のサンプルはハンブルグのベルンハルト・ノホト研究所Bernhard-Nocht Instituteに11日午後5時頃に届けられ、12時間後には逆転写PCRでラッサウイルスRNAが検出されました。 その結果が13日早朝にビュルツブルグの病院に報告され、そこでラッサ熱に効果があるとされるリバビリンによる治療が開始されました。

PCRで増幅されたウイルスRNAの配列はかってシエラレオーネで分離されたジョシアJosiah株と82%、ナイジェリア株と65%の相同性を示すことが明らかにされ、細胞培養でウイルスも分離されました。

しかし、リバビリン治療を開始した時には肺炎と肝炎の症状に加えて腎臓障害と中枢神経障害の症状が出ていました。 そして発病後13日目の15日に患者は多臓器不全で死亡しました。 血液中のウイルス量は高いままで、抗体は陰性でした。

治療開始が遅れたために助からなかったと考えられていますが、感染したウイルスがとくに病原性の強い変異株ではないかという声も出ているそうです。

患者と一緒に旅行していた女子学生、同じ飛行機に乗り合わせた74名の乗客などを含めて2次感染は起こりませんでした。

ドイツではラッサ熱が初めてアフリカで発見された1969年以来、これまでに今回の例を含めて合計3回、ラッサ熱患者が見いだされているそうです。

このニュースを見て、1987年に私が東大医科研に在職していた時に医科研付属病院で見つかったラッサ熱患者の例を思い出しました。 患者はシエラレオーネから帰国したエンジニアでしたが、ラッサ熱と診断された時には回復に向かっており、対症療法で回復しました。 しかし、退院後、再発したため、今度は都立荏原病院の高度隔離病棟に隔離されました。 最終的に患者の体液からウイルスが消失したのが確かめられた後に退院したのですが、ウイルスの検出は米国までサンプルを送ってCDCで検査してもらいました。 その詳しいいきさつは私の著書「エマージングウイルスの世紀」に書いてあります。

かってCDCでラッサ熱やエボラ出血熱対策で活躍したウイルス・ハンターのジョー・マコーミックの1987年の報告によれば西アフリカでは年間10万ないし30万人が感染し、5,000人くらいが死亡しているとされています。 西アフリカの風土病であるラッサ熱の患者が先進国で見つかっても不思議ではないはずです。