第16回 新しい発見 – 語学試験 (10/15/2004)

6.5.3. 新しい発見

G-TYPEをランしていたときである。ABO式血液型でFの推定値がやたらに大きい(0.6〜0.8)。ハーデイワインベルグ平衡からのずれとしての近交係数は近親婚頻度がせいぜい数%を越えないから生物学的にはF=0の近傍の解に意味がある。何度もMorton教授と話し合ったが、最初の反応は否定的でプログラムのバグではないかという。一応チェックしてみたが、アルゴリズムには汎用性があり、他の多型データからは妥当な結果が得られていた。何回かの議論のあと、Morton教授がパラメータの遺伝子頻度と近交係数が統計的に独立ではないのではと一言漏らした。アプローチは次の通りである。ABO式血液型には4種類の表現型があり、そのデータから3つの対立遺伝子頻度と近交係数の4つのパラメータを推定するのが当面の問題である。表現型クラスのうち独立なのは3つで、2つの独立な遺伝子頻度をまずデータから推定する。求めた遺伝子頻度を固定して表現型データから0の近傍のFを求める。

2つの遺伝子頻度(p,q)と近交係数Fが独立なら、3つの変数(F,p,q)の3×3情報行列Kの逆行列はF=0の近傍で正則non-singularである。もし0となる(正則でないsingular)なら独立でない。そこでKの逆行列を解析的に求めるため行列式を計算しようと試みたがうまく行かなかった。正攻法では手に負えなかったのである。ところがある晩、なにげなく代数学のテキストをぱらぱらとめくっていたところ、「一次独立」という用語が眼に飛び込んできた。そうだ、スコア (UF , Up , Uq )間に線形の関係が見い出せれば独立でないことが証明出来るのだ。このとき早稲田の森で昔呻吟した「代数学」を思い出していた。あの頃もわけ分からず数学を勉強していたのだ。ほとんど理解できなかったがそれなりにほんのりと代数学に関心をもったこともあって、繰り返しテキストを読んでいたのだ。読書百辺意自ずと通ずるという。すぐ各パラメータのスコアUの関係を調べてみたら、線形の関係があっけない程簡単に見つかった。

2UF + pUp + qUq = 0。

結果は意外とシンプルである。

翌日、さっそくMorton教授に報告。先生も喜んでくれた。ブラジルで婚姻型頻度を導いたときもうれしかったが、今回はそれほど理解をしていたとは思えない代数学の知識を活用できたことがとりわけ嬉しかった。この結果は1966年シカゴで開催された第3回国際人類遺伝学会で発表した。これはまた私の処女論文となった。査読の際に校閲者が入れ替わるなどで印刷の運びになるまで1年以上もかかった(Yasuda N, 1968. Biometrics 24: 915-935)が、生物統計学の専門誌にアクセプトされたことが心地よかった。

このような間係式はABO式血液型のA、Bそれぞれにサブタイプがある場合にも現れるし、HLA組織適合型で抗原が3つ以上任意の数であっても“ブランク”対立遺伝子があると成り立つ。したがって、このような多型集団データではハ−デイワインベルグ平衡からのずれ(F=0の近傍)を最尤法によって求めることはできないことが証明された。この論文は英語の表現が正確でなかった「0と0の近傍との解の性質の違いを明確にしなかった(Yasuda, N 1970. Amer J Hum Genet 22:111)」ことからDr Schull WJ(Amer J Hum Genet 21: 168-170, 1969)から指摘された。またDr Edwards AWF(Amer J Hum Genet 23 :97-98. 1971)は3次元標本空間での解の領域を図に表わし分りやすく説明した。「論文を書くには些細なことでも注意深く推考してもし過ぎることはない」ことを実感した。ささやかなトピックスではあったが、関心をもってくれた人がいたということもその後の研究の大きな励みとなった。なおこの論文にはマイクロサテライトのような相互優性の複対立遺伝子座の集団データからFを求める式も与えておいたが、後にRobertson A & Hill WG (1984)のより詳しい論文で引用されている。

 6.6. 再び授業

ハワイも2年目(1964年)となると、いくつかの専門課目の授業を受けることになる。

L Beckman教授のCellular Genetics、JB Smith助教授のCytogenetics, J Gots先生のBacterial Genetics, Dr A BenedictのImmunology等の単位を取った。Cellular Geneticsコースは当時爆発的に流行したゲル電気泳動法によるアイソザイムの多型に関する話が主であった。試料をゲルに流せばバンドが現れるので、各種のショウジョウバエや植物などで、手当たり次第の生物種サンプルを流してそれが新発見ということで論文生産が洪水のごとき状況を呈していた。授業はバンドパターンから対立遺伝子が何個あるのか、複数の遺伝子座が関与しているのか、などなどの解釈で論文製造のテクニック習得のようでもあった。

JB Smith助教授の細胞遺伝学は実験を伴う授業で、それなりに面白かった。どちらかというと実験事実の紹介が中心で、考えるというよりは事実を知ること正確なデータをとる手法に重点を置いていたようである。実験テーマはいくつかの基本技法については学生全員に実習させ、授業の後半で各人にテーマを与えその結果をレポート提出というものであった。私には「トウモロコシの減数分裂を観察して、その各典型的なステージの写真をとり、各ステージ名をつけて提出せよ」というものであった。これが結構難しかったのである。染色やら押しつぶしなどの技法を習得後、顕微鏡下で目的の減数分裂の各ステージを見つけてそれぞれの写真を撮るのであったがなかなか見つからないのである。金曜日の午後2時から始めて、午後10時過ぎまであれこれ繰り返し染色、押しつぶしなどなどすれど、中々見本のようにきれいな写真を撮る標本が作れない。Smith先生がときどきラボに来られ、How is going on? Any progress?とおっしゃるが、Not very muchとばかり答えるのも芸のない話しであった。その際小出しにKnow Howを教えてくれる。それがまた、なるほどと小憎いくらいほど的を得ているのである。しかしこれはまあ職人気質でないとやれない世界とみた。レポートの写真はとにかくそれらしき減数分裂像がそろったが、助教授がみるところどのステージも的確でないとのことであった。

トウモロコシが終ったので、残りの時間を利用してショウジョウバエの体細胞分裂をみて分裂中期の写真をとりなさい、と来た。トウモロコシ並みに細胞を押しつぶしたら、ショウジョウバエのガングリオン(神経節)はばらばらに飛び散ってしまった。動物細胞は植物より「やわらかい」?ことをはじめて体験した次第であった。この標本は結局つくることができず、最後には出来上がった標本をみせてもらう結果となった。

細胞遺伝学のテストで、ヒト染色体の写真がくばられハサミで1本づつ切り抜き別紙に張り付けて核型を作れという問題があった。たしか時間の制限はなかったと思う。できばえは10点満点で7点ぐらいであったか。

Microbiologyの講義はあまり覚えていない。ノートをみると週3回の講義で、これはまた事実を論理的に考えてスト−リイをつなげる訓練になった。バクテリアにしろウイルスにしろとても肉眼でみることはできない。結果をみてからその機構モデルを考え、次にどのような実験をやればモデルを確かめられるかを考える。得られる結果の連係作業は数学と違って式で表わさないが、論理的なデータの積み上げをしてモデルを検定しながら新事実を発見に至る過程はたいへん興味深かった。これと並行して、学部の「動物学入門101」の授業を受けた。これは学部の講義であるが別の意味でたいへんな課目であった。講義の回数は週3回、ラボが週2回のコースである。当然ながら初心者の知識を増やす学科である。高校をでたばかりの若者と一緒に机を並べて講義を聞いた。ウシコンシン大学の人類学「人間の進化」の悪夢の再来である。あのときは研究者として自己流の勉強をしていた者が改めてきちんと課目の勉強をし直すことで新鮮味と心地よい緊張感があったが、アメリカずれしたとでもいうか、さほど緊張感は感じなかったが、用語の記憶はやはり大変だった。動物の名前、生物種の学名(ラテン語由来)、組織名などスペルを覚えるには何度も紙に書いて暗記した。ラボのテストでは骨やら組織標本が順繰りに廻って来て1人あたり1標本1分の割り当てで次に廻すのである。その間に解答を答案用紙に書くのだがスペル等を間違えないようにと緊張した。さすがに遺伝学の項は院生のteaching assistant(教生の先生?)が「君はここの所はフリーパスだね」と言ってくれたがやはりスペルには気をつけなければならないので結構大変であった。今でも英語のスペルは頭痛のたねである。

アラワイヨットハーバーで魚や海藻の観察実習に行ったことがあるが、熱帯魚が群れをなして泳いでいるのに吃驚した。あたりまえといえば当然のことなのであるが、自然の状態で泳ぐ熱帯魚をみたのは後にも先にもこのときだけである。泳いでいる魚の名前や学生が見つけた海藻などの名前を即座に教えてもらった。授業にこういう機会があると緊張感もゆるみ和やかである。これで私のとるべき授業はすべて終りである。私の「必須課目」の単位とりは「集団遺伝学」に始まり「動物学入門101」で終るという変則カルキュラムであった。

6.7. 語学試験

Ph. Dをとるには2外国語をそれぞれの語学の学部が行う試験を受けてパスする必要があった。ハワイ大学ではたしか義務教育を受けたときの母国語以外の外国語とのことで、私はポルトガル語と英語を受けることになった。外国語といってもPh.D論文を書くのに必要な外国語論文を読んで理解できればよいという試験である。

私の場合は一冊のポルトガル語のテキストからいくつかの文章が出題され、それを英語に翻訳すればよいというのであった。丁度その頃、Pavan C e Brito da Cunha A. Organizadores (1968), Genetica, Sao Pauloという542頁の本が出版された。この本は13人のブラジルで著明な遺伝学者が当時最新の知見を13章でまとめた遺伝学のテキストである。私にとっては遺伝学一般について復習でもあったし、またポ語の文章に慣れる意味で大いに役立った一書である。なかでもDr Kerr WE のショウジョウバエの性の決定の章は印象深く、今でも必要があると読み返している。ポルトガル語の遺伝学テキストを読んだ日本人はまずいないのではなかろうか。希有な体験をしたものである。

ポルトガル語の試験は既にテキストを何度も読み直していたので内容について問題はなかった。ここでも理解したことを英語で表現する能力で引っかかった。しかし、名文をかく必要はないのでできるだけ分りやすく訳しておいた。考えてみたら、ポ語英訳と私にとって二カ国語の試験を一回の試験で済ました次第となった。この話しはまだ余談がある。ポルトガル語試験の結果はGenetic Departmentに通知があり、Morton教授が知らせに来た。私の顔をみながら、Norikazu, say something! そこで私はWhat?  Morton教授曰く、OK, you pass. You passed language exams both English and Portuguese. 私の語学試験は本質的には結局1回で終った。

試験終了後、同僚のMr. H Kriegerよりこのテキストを頂戴することになり、彼のサイン入りの本は今でも私の机上にある。後はThesis を書いてそのプレゼンテーションのQualified Ex をパスするだけとなった。