第18回 平泉雄一郎先生 (02/16/2005)

6.6. 平泉雄一郎先生

昨年末、ハワイの友人から平泉雄一郎先生が2003年1月27日にアメリカテキサス州オースチンで逝去されたとの連絡があった。

http://www/utexas.edu/faculty/council/ (現在リンク切れ)

先生は1927年4月10日に秋田県大館市の生まれであるが、はるかに遠いこれらニ都市間の旅路は彼の勇気ある決断の軌跡であり、能力の成果を示しているようでならない。私が知る限りにおいて、平泉先生はウイスコンシン大学遺伝学部のクロー先生の指導を受けた日本人学生の一人で、最初は木村資生先生で平泉先生はその後継者である。その後が丸山毅夫さん、青木健一さんと続く。私は木村資生、平泉雄一郎両先生の推薦でモートン先生に師事する機会を得たが、丸山毅夫さんと同じビル(メデカルサイエンスビルの地下一階)の同じフロワ−でよく顔を合わしたものである。丸山さん、木村先生、平泉先生と三島の遺伝研集団遺伝部の大先輩がいずれも物故され、私はまだのうのうとしているのには内心忸怩たるものがある。

 

平泉先生のお仕事はなんと言っても、キイロショウジョウバエでMeiotic Driveという分離比の歪みという(対立)遺伝子が親から子どもへ伝わる際のメンデルの分離法則から懸け離れた現象を発見したことである。本来の課題はクロー先生の指導の下にショウジョウバエの自然集団から抽出した染色体の適応度を調べることであった。1900年にメンデルの法則が再発見されて以来、真核生物(ヒトや果蝿など)では、一対の相同染色体上の遺伝子は生殖細胞へ無作為であるが等しく分配されることは常識となっていた。両親からの生殖細胞が無作為に結合するのなら、さまざまな遺伝子の組み合わせで生存力に差がなければ通常はメンデル比が観察される。生殖細胞形成の過程で相同遺伝子が分離する様子を分離というが、平泉先生はこの伝達の過程の異常を見出し、segregation distortion (SD), あるいはMeiotic Drive(MD)と呼んだ。当時の(朝日?)新聞の科学欄で、木村先生がそれは平泉君の仕事だよと解説されていたのを鮮明に覚えている。

 

平泉先生は小柄で遠慮がち、穏やかで礼儀正しい人柄であった。しかし、データの解釈についての見解は己に固執し、新たなデータが得られてはじめて決着をつけるというものがあった。ハエを数える作業においては向井輝美先生とはまたひと味違う根気と意志の強さを発揮させたのが平泉先生である。これも「キイロショウジョウバエの雄では組換えが起こらない」という当時の常識を覆す、まれではあるが組換えが起こることの発見にもつながった。あまり知られていないが、その特徴は日本人のABO血液型の選択に関する研究にも見られる。

 

ヒトのABO血液型座位に選択機構として母子不適合があるのではないか、という興味ある問題が当時Matsunaga & Itoh (1958)により提示されていた。母子不適合とはたとへば母親がO型で胎児がA型の組み合わせでは父親由来の胎児のA抗原が母親に不適合であろうというものである。この論文は北海道の炭坑の住民を調べたもので、不適合グループで妊性(自然流産、死産、生後死亡、不妊)が適合グループより多いという。その後Haga(1959)は出生前死産が若干多いが、その他の指標では適合、不適合の差は無かった。HagaはMatsunaga & Itoh (1958)との相違を環境条件の緩和によると説明した。

 

丁度その頃、私がウイスコンシン大学のモートン先生の所へ留学する話しがあり、当時遺伝研の人類遺伝部長であった松永先生のところでABO血液型の選択機構についてにわか勉強をするはめになった。平泉先生は留学を終えて人類遺伝部におられたのを覚えている。Family-size equivalentなる統計量なるものを聞かされたのはそのときであったが、丁寧にしかも正確にデータを扱う態度にうたれた記憶がある。

不適合グループで出生前死亡の頻度が適合グループより多いのが本当なら、そのような効果が子どもにおけるABO型の分離比に反映するのだろうから、不適合な接合体の損率は、適合な接合体と比べて、子どもでの分離比から調べることができるだろう。

残念ながらそのような情報はHaga(1959)とMatsunaga & Itoh (1958)には無かった。

1962年にブラジル(Morton et al, 1966)と大館市(Hiraizumi 1964)で独立な再調査が始められた(私はブラジルの調査に参加して、血液型学の実地を學ぶ機会を得たが、私の関心事はむしろ集団構造の研究に向いていた)。 夫婦の正殖歴とその子どものABO型の分離比を調べることでABO不適応の効果を確かめようとするものである。1971年には秋田市(Hiraizumi et al 1973)でも同様な調査が始められた。

 

その分析結果には驚くべきものがあった。女性配偶者の生殖歴と子どものABO型の分離比におけるABO不適合の効果はなかった。Matsunaga & Itoh (1958)とHaga(1959)が明確にABO不適合の存在を示していたのに!ABO不適合の効果は見つからなかったが、選択機構はあるのではないかという示唆が得られた。それはA遺伝子をもつ胎児が非A遺伝子をもつ胎児より生存力が高いのではないのか?しかし観察分離比はハーデイワインベル期待値と一致するので、A型の子どもが多いという証拠があるわけではない。多分、PrezygoticとPostzygoticのそれぞれの時期に選択が働いて平衡状態が保たれているのではなかろうか。Postzygotic期にA遺伝子をもつ胎児が有利、Prezygotic期にA対立遺伝子が不利となる、平衡選択仮説は確信を持って主張はできない。Hiraizumi (1990). 遺伝学雑誌65: 95-108.の論文の最後は This paper is dedicated to my parents who have and will continue to stand by me throughout my entire life. で結んでいる。30年余の間、ショウジョウバエを数えながら、こつこつと手計算を行ってまとめた執念の成果がここに凝縮されている。

合掌。