(2/19/01)
バイオテロリズムに利用される可能性のある病原体についてCDCが3つのカテゴリー分類(A,B,C)を行ったことは、以前に本講座(第98回)でご紹介しました。そのカテゴリーCとして遺伝子組換えで作られる病原体が取り上げられています。
ところが、今回、バイオテロを目的としたものでなく、純粋に平和目的で行われている研究の過程で、思いもかけない性質の遺伝子組換えウイルスができてしまい、バイオテロリズム関係者を驚かせました。この研究の詳細はJournal of Virology2月号(p. 1205-1210)に掲載され、ニュースとしてはサイエンス1月26日号(p. 585)でも紹介されています。この問題を取り上げてみます。
1.研究の内容
これはオーストラリアCSIRO環境維持システム研究所Sustainable Ecosystemsの有害動物コントロール協力センターPest Animal Control Cooperative Research Centreとオーストラリア国立大学医学部との共同研究です。このグループは遺伝子組換えによるネズミの不妊ワクチンの開発を行ってきています。これでもって食糧を食べ荒らすネズミが増えるのを抑え、食糧問題の解決に貢献しようという訳です。
精子の表面は透明帯で覆われています。これにはいくつかの蛋白がありますが、そのうち、ZP-3(ZPは透明帯zona pellucidaの頭文字)という蛋白が卵子への結合部位になって、受精にかかわっていることがマウスと豚で明らかにされています。そこで、ZP-3で雌を免疫をすれば、受精は阻止される可能性が考えられます。実際にインドなどでは、この蛋白を用いた人間用の避妊ワクチンの開発も試みられています。これは人口増加の阻止を目的としたものです。
しかし、ネズミには人間のようにワクチン投与はできません。そこで、ネズミに自然感染を容易に起こすウイルスをZP-3遺伝子の運び屋(ベクター)とする計画が立てられました。すでに、このアイデアはキツネのような野生動物への狂犬病ワクチンに応用されています。これは種痘ワクチンであるワクチニアウイルスに狂犬病ウイルスの被膜の遺伝子を組み込んだものです。これをヘリコプターで大規模に森林中に散布した結果、フランス、ベルギー、スイスなどでは狂犬病のキツネの発生はほとんど見られなくなりました。
これと同じ考えで取り上げられたのはマウスポックス(マウス痘)ウイルス(別名エクトロメリアウイルス)です。これはワクチニアウイルスと同じポックスグループのウイルスです。実験用マウスに感染すると、急速に広がるため、動物実験施設ではとくに監視が必要とされる重要なウイルスです。人にはまったく感染しません。ネズミにおける天然痘のようなものです。
すでに、このグループはZP-3遺伝子を組み込んだベクター・ワクチンを作成していますが、十分な免疫効果が得られないため、免疫効果を増強させるための新しい戦略の予備実験として行ったのが、今回問題になったウイルスが生まれるきっかけになりました。
やや専門的になりますが、マウスポックスウイルス感染で防御に働くのはT細胞と呼ばれる一群のリンパ球です。これにはCD8タイプとCD4タイプの2つのT細胞がかかわっています。これらのT細胞が増殖するのを助けるためには、それぞれ1型ヘルパーT細胞または2型ヘルパーT細胞がかかわっています。今回の実験で用いられたのはインターロイキン4という因子で、これは2型ヘルパーT細胞が分泌するものです。そこでインターロイキン4の遺伝子をマウスポックスウイルスに組み込み、CD4タイプのT細胞を増殖させることを試みた訳です。
2.思いがけない結果
この組換えウイルスをマウスに接種してみたところ、思いもかけない結果になりました。
マウスの系統によってマウスポックスウイルスに遺伝的に抵抗性のものがあり、接種されても発病することなく、免疫が成立します。ところが、この組換えウイルスはこのようなマウスでも致死的感染を起こしました。さらに、この遺伝的抵抗性のマウスに普通のマウスポックスウイルスで免疫を与えておいても、この組換えウイルスは致死的感染を起こしたのです。
これらの結果はインターロイキン4がCD4タイプのT細胞の増殖を促進させた際に、1型ヘルパーT細胞を抑制してしまい、そのために感染防御に重要なCD8タイプのT細胞を阻害したのが原因と考えられています。
このような結果は、これまでまったく予想もしなかったものです。私も同じようにワクチニアウイルスをベクターとした組換えワクチンの研究を行ってきています。世界中で同様に多くの組換えウイルスがこれまでに作られています。しかし、ウイルスの病原性が低下することはあっても増加した例はありませんでした。今回できたのは単に病原性が強くなっただけでなく、ワクチンによる免疫も乗り越えることができました。
この成績を公表すべきかどうか、研究チームは18ヶ月かけて成績を確かめ議論を重ねて公開に踏み切ったと言っています。公開することで、バイオテロリズムの危険性を一般大衆に理解してもらうためという結論でした。ただし、Journal of Virologyの論文では、そのようなことは述べられていません。免疫反応を抑制できるこの実験成績は免疫反応が原因となる自己免疫病の治療に役立つということだけしか述べられていません。
3.社会的反響
バイオテロリズム専門家の間では、これは遺伝子改変生物の中でも最悪の恐ろしいものという評価があります。もちろん、マウスのウイルスが人に直接影響を与える訳ではありませんが、バイオテロリズムにつながる遺伝子改変生物作成のモデルになりうるとみなせるためです。
1975年に結ばれた生物化学兵器協定で、国際的に平和目的以外の生物や毒素の製造や保管が禁止されました。これには研究の禁止は含まれていませんが、武器になりうる研究計画は禁止されています。しかし、この協定には検証する項目は含まれておらず、抑止力が疑問視されています。そのために、生物兵器を作りうる特定の施設を毎年公表し、国際グループによる抜き打ち査察などが検討されてきていますが、その議論は停滞しています。
平和目的の研究が生物兵器研究につながりうる可能性を示した今回の研究は、これらの議論の推進を含めた、難しい問題を提起したものとみなせます。