(9/13/96)
この話題は本講座第1回(4/4/95)、第22回(10/27/95)、第40回(5/15/96)の3回にわたって取り上げてきました。 これらをもととして、今回私の研究所で発行している「日生研たより」に上記の解説を書きましたので、転載します。
1994年オーストラリアのクイーンスランド州の2つの場所で1か月の間にあいついで、これまでに知られていなかった新しいウイルス感染が起こり計16頭の馬と2名の人が死亡した。 最初は1994年8月にマッケイMackayで起こり、ついで同年9月にブリスベンBrisbaneで起きたものであるが、実際には、ブリスベンの発生が最初に見いだされた。 マッケイの例は、ひとりの男性がこれより1年後の1996年5月に死亡したのがきっかけで、同じウイルス感染によるものであったことが明らかになった。
1. ブリスベンでの発生
1994年9月7日にブリスベンのヘンドラ Hendra の競争馬厩舎で、近くのキャノンヒル Canon Hill から運ばれてきた1頭の妊娠馬が出血性肺炎で死亡した。 馬の症状は41℃の高熱、呼吸器障害による鼻からの血の混じった泡の分泌が特徴的であり、窒息が死亡の直接の原因であった。 つづいてほかの馬も同様の症状を呈して数日以内に死亡しはじめ、9月30日までに計14頭が死亡した。 この間に馬の看病にあたった49才の調教師と40才の助手が発病し、調教師は急性呼吸器症状で死亡した。
馬の死亡と関係者2名の発病のニュースは9月末にクイーンスランド第一次工業省に伝えられ、2頭の馬の肺と脾臓のサンプルがメルボルン近くのジーロン Geelong にある CSIRO オーストラリア家畜衛生研究所 Australian Animal Health Laboratory に送られた。 直ちにポリメラーゼ・チェーン反応(PCR)、酵素抗体法、電子顕微鏡でアフリカ馬疫、ウマインフルエンザ、ウマヘルペスウイルスなど考えられるウイルスの関与が調べられたが、いずれも陰性であった。
一方、馬および死亡した調教師の腎臓からはVero細胞で融合変性を示すパラミクソウイルス様のウイルスが分離された。 馬の脾臓と肺の乳剤、および細胞培養で分離したウイルスが健康な馬に接種された結果、これらの馬は自然感染馬と同様の症状を呈して死亡した。 そののち7頭の馬が抗体陽性になり、安楽死させられた。
このようにして原因ウイルスの分離が成功したのであるが、この成果が得られたのは家畜衛生研究所に検査材料が送られたのち、わずか8日後のことであった。 このすばやい対応は現在のウイルス学技術の進歩を最大限に生かしたものとして、国際的に高く評価された。
細胞変性効果や電子顕微鏡の結果からパラミクソウイルスの関与が疑われたことから、パラミクソウイルス科の種々のウイルスのプライマーを用いてPCRで調べた結果、分離ウイルスはモービリウイルスのマトリックス(M)遺伝子のプライマーとのみ反応した。 そこで馬モービリウイルスEquine morbillivirus (EMV)と命名されたのであるが、遺伝子構造はモービリウイルス属とはかなりかけはなれているため、命名当初から、この名前には異論があった。
EMVに対する中和抗体の存在が約1,600頭の馬と90人の血清について調べられたがすべて陰性であった。 このウイルス感染がキャノンヒルから運ばれてきた1頭の馬によりもたらされたことは明らかであるが、発生は発病した馬に限られ、ほかの馬にはまったく広がっていなかったのである。
感染実験では馬のほかに猫とモルモットで致死的感染の起こることが明らかにされた。
2. マッケイでの発生
1995年10月に北クイーンスランドのマッケイの近くに住む35才の農夫が王立ブリスベーン病院で死亡した。 この男性は約1年前に軽い脳炎にかかり、抗生物質による治療が行われ回復した。 しかし1995年9月にけいれん発作を伴った脳炎の症状を呈したために入院し、約5週間後に死亡したのであった。 この患者の血清中にEMVに対する中和抗体が10月2日に16倍、10月13日には1,024倍のレベルで見いだされた。 そこで死亡前に採取してあった髄液についてPCRを行ったところEMV遺伝子の存在が確認された。 以上の検査結果からこの患者はEMV感染で死亡したものと診断された。
この患者は1年あまり前の1994年8月に、農場で1週間のうちにあいついで死亡した2頭の馬の解剖を手伝ったことがあった。 これらの馬は当時、アボカド中毒と、毒蛇に噛まれたことが病気の原因と診断されていた。 このうち、後者の固定組織ブロックについて直接蛍光抗体法とEMVのM遺伝子のプローブによるPCRで調べた結果、この馬がEMVに感染していたことが明らかになった。
これらの所見を総合した結果、この患者は馬の解剖の際にEMVに感染し、脳炎になり回復はしたもののウイルスは持続感染して、再発したものと推定された。
3. 自然宿主の調査
マッケイの患者と、その際の感染源になった2頭の馬からのウイルス分離は生材料がなかったために行われなかったが、M遺伝子のPCR産物の塩基配列はブリスベンの発生で分離されたEMVと同一であった。 したがって、同じウイルスが1,000キロ離れた2つの場所で馬への感染を起こしたものと結論された。
自然宿主の調査は第一次工業省の動物研究所 Animal Research Institute が中心になって行われた。 家畜と野生動物についての血清学的調査では、今日までに46種、5,264の血清が調べられたが、すべて陰性であった。 この中には34種の野生動物からの263サンプルも含まれていた。
マッケイでの発生がヒントになって自然宿主の調査には次のような条件が優先的にあてはめられた。
- 自然宿主の動物はブリスベーンとマッケイの両地域に生息する。
- この動物は両地域を移動できる。
- この動物は馬と接触することができる。
この条件に容易に合致したのは鳥類とコーモリであった。 しかし、EMVはほかのモービリウイルスとはかなりかけ離れており、また鳥類からほ乳類へのパラミクソウイルスの伝播は稀であるため、コーモリの方に高い優先順位が与えられた。
オーストラリアには4種類のコーモリが生息している。 これらはSuborder Megachiroptera に属するPteropus conspicillatus, P. alecto, P. scapulatus, P. poliocephalusで、オーコーモリ (fruit batまたは flying fox) と呼ばれている。 これまでに224サンプルが調べられ、そのうち20サンプル(約9%)に中和抗体が見いだされた。 陽性サンプルは4種類のコーモリすべてで見いだされたが、サンプル数がまだ少ないので、種間での相対的頻度の推定はできていない。 陽性サンプルはケアンズ Cairns からブリスベンにかけてのクイーンスランド東海岸全域に見いだされている。 中和抗体価は、もっとも低いもので5倍、もっとも高いもので640倍であった。 陽性対照とした馬血清では160倍であった。
オーコーモリと長期間密接に接触している人の血清についての試験は現在進行中とのことである。 しかし、これまでのところオーコーモリに原因不明の重症の感染症が起きたとか、オーコーモリに濃厚接触している人での重症例の記録も見つかっていない。
オーコーモリからのウイルス分離の試みも進行中とのことである。
なお、この研究グループではEMVの名称について、bat paramyxovirusコーモリ・パラミクソウイルスの名称を提案している。
参考文献
Murray, P., Selleck, P., Hooper, P., Hyatt, A., Gould, A., Gleeson, L.,
Westbury, H., Hiley, L., Selvey, L., Rodwel, B. and Ketterer, P.
A morbillivirus that caused fatal disease in horses and humans. Science, 268,
94-97, 1995.
Mussared, D. Diagnosing a deadly equine virus. ECOS Summer 1994/95, 30-32.