(4/4/99)(4/11/99)
前回の講座(第73回:3月31日)でお知らせしたマレーシアのヘンドラ様ウイルス感染によると考えられる患者は221名、そのうち84名の死亡が確認されています。 現在CDCの特殊病原部のトム・カイアゼックTom Ksiazek診断室長たち8名とオーストラリアから2名が現地で制圧と診断の作業を行っていますが、まだ流行の原因など詳細は分かっておらず、連日ProMEDにもニュースが掲載されています。
たまたま私は前回の講座を掲載した後、今週初めにCDCのウイルス・リケッチア病部門長のブライアン・マーヒーにワシントンで会って、それまでの経緯を聞くことができました。
さらに4月3日づけのProMEDにこの流行に最初からかかわってきたマレーシア大学のDr. ケン・ラムKen Lamからの報告が掲載されました。 実態をもっとも把握している当事者からの報告ですので、全文をそのまま転載します。
「新しいウイルス発見の経緯」1999年4月1日 Ken Lam
私とDr. チュア・コー・ビンChua Kaw Bingがネグリ・センビランNegri Sembilan (注:Japan TimesではNegeri Sembilan、朝日新聞ではヌグリ・スンビランになっています) でのウイルス脳炎にかかわってから1カ月が経ち、ここでProMED読者に我々の経験を紹介する時期と考えた。 そこで現在までの経緯をまとめてみる。
ネグリ・センビランでの流行は1999年2月に始まり、我々は流行の発生地にもっとも近いセレンバン病院から協力を要請された。 臨床的にはウイルス脳炎で、主として男性成人で豚との接触歴があった。 これは1998年10月にイポIpohで15名の死亡を起こした流行の場合と同じである。 このイポの流行は保健省と長崎大学熱帯病研究所のWHO協力センターにより日本脳炎によるものと確認された。
我々も数例の日本脳炎ウイルスIgM抗体陽性例(最近の感染を示す)を持っていたため、ネグリ・センビランの流行は豚の移動を通じてイポの流行が継続しているものと推測した。 しかし、もしも日本脳炎とすると、疫学的所見が異常であることを疑問に思った。 すなわち、なぜ成人が主にかかるのか、そして、なぜ豚と直接接触した人にだけ起きているのか、一緒に生活していながら養豚場では働いていない家族には起きていないのか? なぜ、微研のマウス脳由来の不活化日本脳炎ワクチンのフルコースの接種を受けた人の間で患者が発生しているのか? なぜ豚が死亡し、なぜ充分の時間を置いて採取した豚のペア血清で日本脳炎ウイルス抗体の陽転が起きていないのか?
我々が最初の数例の患者の血液と髄液のサンプルを1999年3月1日に受け取った時、我々は日本脳炎のIgM抗体測定に加えて、いくつかの細胞株でのウイルス分離を開始した。 接種5日後(3月5日)に我々はシンシチウム(注:細胞融合による合胞体)の形成を認め、それは急速に広がって大きな多核巨細胞を形成した。 このようにして分離したウイルスは翌日(3月6日)に継代され、感染細胞のスライドを作りフラビウイルス(注:日本脳炎ウイルスが含まれるウイルス属名)と日本脳炎ウイルスのモノクローナル抗体、単純ヘルペスウイルス、サイトメガロウイルス、およびパラミクソウイルス、麻疹ウイルス、エンテロウイルスなどの呼吸器ウイルスに対する抗体を用いて蛍光抗体法による染色を行った。 結果はすべて陰性であった。しかし、分離ウイルスに対するIgMおよびIgG抗体が患者の髄液1サンプルと血清3サンプルに見いだされた(注:これは分離ウイルスに患者が感染していた証拠です)。
3月8日に採取した感染細胞をグルタルアルデヒドで固定し、3月11日に電子顕微鏡で観察したところ、160ないし300ナノメーターの多形性のウイルス様粒子が見いだされた。 これ以上我々のところでは同定不可能と考え、CDCのフォートコリンズ支所のドウアン・ガブラーDuane Gublerが協力を申し出たので、それを受け入れた。 残念なことに宅急便による輸送サービスができなかったので、チュアがフォートコリンズに飛び、3月13日に到着した。 彼はスライド標本、電子顕微鏡標本、臨床材料、分離ウイルスを持参したので、無駄な時間は必要としなかった。 週末にかけて、ニック・カラバツオスNick Karabatsosとドウアンの協力で我々の電子顕微鏡所見は確認された。 ウイルスは形態的に既知のパラミクソウイルスに類似していた。 アルボウイルス(日本脳炎ウイルスなど)についての試験はすべて陰性であった。
ドウアンの親切な手配によりチュアはアトランタのCDCに3月17日に行くことになった。 マレーシアからフォートコリンズに持っていった臨床サンプルの半分は2日前にすでに送られていた。 彼が到着した時、すでにサンプルについての新しい成績が得られていた。 分離ウイルスはヘンドラウイルス抗体に反応しており、P遺伝子の一部の配列を解析した結果、ヘンドラウイルスと10%の差が見いだされていた(注:私がブライアン・マーヒーから3月28日に聞いた時には20%とのことでした)。 3月18日にチュアがまだアトランタに滞在している間に私はブライアン・マーヒーから、ヘンドラウイルスに近縁のパラミクソウイルスが関係しているはっきり証拠が得られたことを知らせるファクスを受け取った。
付記
この報告でかなり流行の実態が分かってきたと思います。 最初、日本脳炎による豚と人の死亡と伝えられていたのは、ヘンドラ様ウイルス感染によることが、かなりはっきりしてきました。 もともと日本脳炎ウイルスは豚では死産・流産を除けば症状は出しませんので、豚が死亡するというニュースは不思議に思っていました。 また多数の豚の殺処分もヘンドラ様ウイルスへの対策で理解できます。
豚の症状については、昨年10月のイポの流行の際に死亡した患者を診察した医師の話では、豚は過敏になりほかの豚にかみついたり、はげしい咳と喀血を起こし死亡すると報告されています。 肺炎と中枢神経症状と推測されます。
豚でのヘンドラ様ウイルス感染の証拠はまだ報告されていません。 現在、ウイルス分離、抗体検出などが試みられていることと思います。
オーストラリアのヘンドラウイルスについては豚への感染実験は行われていません(ブライアン・マーヒーの話では産業動物への感染実験は馬以外にはまったく行われていないとのこと)。 オーストラリアで1994年に最初の流行が起きた際には馬への感染実験もただちに行われましたが、マレーシアでは高度隔離実験室はありません。 CDCのレベル4実験室でも豚のような大きな動物の感染実験はできません。 これからの問題です。
最大の問題は豚への感染がどこから、どのようにして起きたのかという点です。 ヘンドラウイルスの自然宿主はオオコウモリですが、ヘンドラ様ウイルスの場合も同様にコウモリやトリのように移動する動物なのかが問題になっています。 流行が起きたメカニズムもまったく分かりませんが、ProMEDの司会者チャールズ・カリシャーは、養豚技術の変更、養豚産業の拡大、行政対策の変更、過去にもあったが広がらなかったため見逃されていた、といったいくつかの可能性をあげています。 豚への日本脳炎ワクチン接種の際に1本の注射器を使用したために広がった可能性はどうかといった推測もあります。
なお、オーストラリアではヘンドラウイルス感染はこれまでに3回起きました。 オオコウモリから馬への感染であって、人の感染は馬から起きました。 1994年にヘンドラで2名の感染(うち1名が死亡)、マッケイで1名の感染(1995年に死亡)と計3名の感染が起きました。 また、今年の1月に海岸の観光地として有名なケアンズの近くで1頭のサラブレッドが感染死亡しました。 この際には人への感染は起こりませんでした。
ニパウイルス:マレーシアのヘンドラ様ウイルスの新しい名前
4月11日付けのProMEDにヘンドラ様ウイルスに名前が付けられたとのニュースが出ていました。 お読みになった方も多いと思いますが、先日の講座(編者注:第74回講座)の追加としてお知らせします。
名前はニパNipahウイルス。 これは先日この講座でご紹介したDr.Chua Kaw Bingチュア・コー・ビンが、最初にウイルスを分離した場所、Kampung Baru Sungai Nipahバル・スンガイ・ニパ村の名前にちなんだとのことです。 これからはヘンドラ様ウイルスというおかしな名前ではなく、ニパウイルスということになります。 分類上はパラミクソウイルス科ですが、属は前回の講座(編者注:第74回講座)に書いたように、モービリウイルス属とは考えられないので、どうなるかまだ分かりません。
4月10日のジャパンタイムスによれば、これまでに247名が発病、117名が死亡と報道されています。 現地での検査の結果、88名の犠牲者はニパウイルスに感染しており、11名はニパウイルスと日本脳炎の両方が陽性だったとのことです。
これまでは人からのウイルス分離だけで、ブタの感染のはっきりした証拠は伝えられていませんでした。 しかし、現地に派遣されているCDCの研究者からの報告で、ブタでの感染の証拠も明らかになりました。 非公式ですが、4月初めまでに10頭のブタを検査した結果、すくなくとも4頭でニパウイルスの抗原が見つかっています。 大部分は肺炎が主体で、それに細菌の2次感染を伴っているようです。 4頭のうち3頭では気管の上皮細胞に大量のニパウイルス抗原が見つかっており、もう1頭では病理学的に髄膜炎の病変があり、中枢神経系にウイルス抗原が見つかっています。
このウイルスの自然宿主はいまだに不明ですが、オーストラリアのヘンドラウイルスではオオコウモリであったことから、マレーシアでもオオコウモリが疑われています。 現在、CDCとオーストラリアの研究者が調査をしています。 マレーシアでは石灰岩の洞窟などにもオオコウモリが生息しているそうです。