人獣共通感染症連続講座 第70回 オーストラリアで見いだされたコウモリ由来の新しいウイルス

(12/12/98)

1994年にウマモービリウイルス病が発生しウマ14頭と人2名が死亡しました。 このウイルスの宿主が果物を食べるオオコウモリであることが分かり、それがきっかけでオオコウモリの調査が始まり、そこでウマモービリウイルス以外に狂犬病ウイルスにきわめて近縁のウイルス(新型のリッサウイルス:バリナウイルス)が分離されました。 さらにメナングルウイルスという新しいパラミクソウイルスが豚から分離され、このウイルスに人とオオコウモリが感染していたことが1998年に発表されました(本講座第65回)。 このようにして3つの新しいウイルスがオーストラリアのオオコウモリから分離されたわけです。

12月10日と11日のProMEDに、これらのオオコウモリウイルス由来ウイルスのまとめと、とくにリッサウイルスによる人2名の感染(1名死亡、1名が危篤状態)の現状が紹介されています。 それらの要点を解説してみます。

1. ウマモービリウイルス(本講座第1回40回46回55回

1994年にCSIRO動物衛生研究所でキース・マレイ(所長)のグループにより分離され、電子顕微鏡の形態やウイルスの性状からパラミクソウイルス科のモービリウイルス属のひとつとみなされ、ウマモービリウイルスの名前が付けられました。 モービリウイルス属には麻疹ウイルス、イヌジステンパーウイルスと牛疫ウイルスが含まれます。

しかし、この名称には最初から反対意見があり、この論文を審査した私の友人(名前は控えますが)はモービリウイルス以外のものにするように要求したとのことです。

その後、遺伝子構造が明らかになり、パラミクソウイルス科のモービリウイルス属とパラミクソウイルス属とはかなり異なることが分かりました。 とくに大きな違いは、ウイルス蛋白の翻訳領域の間に存在する非翻訳領域部分が非常に長いことです。 そこでキース・マレイたちは新しい属としてメガミクソウイルス属Megamyxovirusを提唱しています。 最近の論文では最初に本病が発生した場所、ヘンドラHendraの名前をとってヘンドラウイルスと書かれています。 したがってウマモービリウイルス、メガミクソウイルス、ヘンドラウイルスの3つが使われていることになります。 ProMEDではメガミクソウイルスになっています。 いずれ国際ウイルス命名委員会が整理すると思いますが、現時点ではパラミクソウイルス科、メガミクソウイルス属、ヘンドラウイルスが妥当のように、私は考えています。

このウイルスの宿主はオオコウモリですが、ウマへの感染の経路については、ProMEDの説明では、ウイルスがオオコウモリの子宮液に見つかることから、出産直後のオオコウモリの子宮液が樹上から地面に落ちてきて、それをウマが食べたか、なめたことで感染が起きたのではないかと述べています。

なお、キース・マレイはこの12月1日づけで米国アイオワにある農務省の動物衛生研究所の所長になりました。 ついでですが、オーストラリアの獣医局長のガードナー・マレイは彼の兄弟です。 いずれも英国人(スコットランド)です。

2. オオコウモリリッサウイルス(本講座第48回)

1996年夏にウマモービリウイルスの調査のためにオオコウモリを解剖した際に脳炎の病変がみつかり、ウイルスが分離されました。 ところが、このウイルスはウマモービリウイルスではなく、狂犬病ウイルス(?)でした。 オーストラリアは日本と同様に狂犬病フリーの国です。

狂犬病ウイルスは分類上、ラブドウイルス科、リッサウイルス属に入れられています。 リッサウイルス属には狂犬病ウイルスのほかにコウモリから分離された5種類のコウモリリッサウイルスが含まれており、これらは狂犬病関連ウイルスとかコウモリリッサウイルスと呼ばれています。 オーストラリアで分離されたウイルスは新しいリッサウイルスとみなされています。

このウイルスの遺伝子解析を行ったのはCDCですが、そこでの話では狂犬病ウイルスにきわめて近い構造で、塩基配列で8%違うだけとのことです。

同じ1996年にクイーンズランドに住む39才の女性がコウモリに咬まれ王立ブリスベン病院に入院し、2週間後に死亡しました。 彼女の死亡の原因はこのコウモリリッサウイルス感染でした。

ProMEDによれば、現在もうひとりの30才台の女性が北クイーンズランド病院にウイルス性脳炎で入院しており危篤状態とのことです。 この女性は1996年にコウモリが子供をおそった際にコウモリを離そうとして指を咬まれており、その際にコウモリリッサウイルスに感染したと疑われています。 すなわち2年間の潜伏期で発病したことになります。 このような長い潜伏期は狂犬病ウイルス感染でも稀にみられています。

このように2名に致死的感染を起こしたコウモリリッサウイルスですが、衛生行政の上では狂犬病とは別に取り扱われ、オーストラリアは狂犬病フリーになっています。 一方で、コウモリを取り扱う人に対してオーストラリア政府は狂犬病ワクチン接種を勧めています。

狂犬病汚染国となると動物の輸出入でのワクチン接種など、行政上の問題が起きてくるためでしょうか。 ウイルス学と行政のギャップが感じられます。

なお、このウイルスの名前は最初の患者が感染した場所名からバリナウイルスBallina virusとも呼ばれています。 すなわち、オーストラリアコウモリリッサウイルス、オオコウモリリッサウイルスと3つの名前が使われているわけです。

3. メナングルウイルス (本講座第65回)

オーストラリアの養豚場で、脳と脊髄に異常を伴う死産の子豚からパラミクソウイルス科とみなされる新しいウイルスが分離され1998年に報告されました。 このブタの材料に接触した人2名が原因不明の熱を出し、このウイルス抗体が陽性でした。 このウイルスはメナングルウイルスMenangle virusと命名されました。

メナングルウイルスの宿主もまた、オオコウモリと推定されています。

4. 背景

ProMEDによればオーストラリアの人々はオオコウモリ(別名flying fox空を飛ぶキツネ)を愛し、その福祉に非常に配慮しているそうです。 なかには哺乳中のコウモリに自分の乳を与えている人もいるとか。

オーストラリアではコウモリは普通にみられ、とくにオオコウモリは国の3分の2の地域に生息しています。 彼らの生息地が開発されるにつれた、コウモリは都市部近くに移動してきており、メルボルンやシドニー郊外の植物園には彼らのコロニーがあるそうです。 昔からオオコウモリに共生していたウイルスが、オオコウモリと人の接触の機会が増えたことで人間社会に入ってきたとみなされます。

日本にも何種類かのオオコウモリが生息しています。 これらはどうなのでしょうか?

追加

オオコウモリから分離された新しい狂犬病類似ウイルスであるバリナウイルスについて、その後ProMEDに新しい情報や訂正がいくつか載せられています。 ご覧になった人も多いかと思いますが、それらの主なものをご紹介します。

(1)バリナウイルスの名前の由来:バリナは最初の患者が感染した場所になっていましたが、これはあやまりで、実際は、最初にウイルスが分離されたオオコウモリが捕獲された場所の名前とのこと。 ノーザンテリトリー州の獣医衛生局長からの指摘です。 また、ProMEDの司会者チャールス・カリシャーは、この名前が一番妥当と考えたので、これを用いているのであって、自分が命名したのではないと述べています。

(2)危篤状態の患者:2年前に感染した母親のことですが、彼女は日曜日(12月13日)に死亡したそうです。 これで2名の死亡者が出たことになります。 彼女は咬まれた後、狂犬病ワクチンの接種を勧められたが断ったと伝えられており、そこでオーストラリアのマスコミは狂犬病ワクチンの接種を広範囲に行うようにといった過熱報道をしているそうです。 カリシャーのところにもマスコミなどからの取材がいくつも来たとのことです。

(3)オオコウモリとオーストラリア国民:オオコウモリの赤ん坊に母乳を与えている人がいるという話は聞いたことがないというメールが掲載されています。 オーストラリア国民がエキセントリックな平等主義の哺乳動物というイメージを与えるだけだと。

今回死亡した患者をおそったオオコウモリは最初は鉛中毒と誤診されていたもので、都市部に生息するオオコウモリの羽などに鉛の汚染が見られることは珍しくないそうです。

また、メルボルンやシドニーでは植物園は郊外ではなく、街の中心にあり、したがって街の中心にオオコウモリが生息しているとの指摘もあります。 オーストラリア国民が皆オオコウモリを愛しているのではなく、多くの人はオオコウモリがいなければ、街はもっと静かできれいになるし、裏庭の果物も実ると思っている、という意見も掲載されています。