天然痘ワクチンは最初のウイルスが発見される100年前、ジェンナーにより開発された。牛痘ウイルスがワクチンに用いられていると考えられてきたが、20世紀にウイルス学が生まれてから、天然痘ワクチンに含まれるウイルスは牛痘ウイルスではないことが分かり、ワクチニアウイルスと命名された。ワクチニアウイルスの起源は長い間、ウイルス学の謎だった。その謎がゲノムの時代になって解明されてきた。その経緯を紹介する。
1768年、医師の見習いとして修行していたジェンナーは、乳搾りの人が牛痘にかかると天然痘にかからないという言い伝えを知り、牛痘による天然痘予防を思い立ち、牛痘にかかった人たちが天然痘に暴露された際の状況などを詳しく調べた。
1780年彼は、友人に「馬のかかとの病気が牛に牛痘を引き起こしているのであって、これが乳搾りの人を天然痘から防いでいるのだ。これを人の間で植え継いでいけば、天然痘を完全に絶滅させることができるだろう」と語っていた。彼が馬のかかとの病気と呼んでいたのは、グリース(現在は馬痘)と呼ばれる化膿病変のことである。これは関節やかかとに発疹が出来て化膿したのち、かさぶたになったのち治る。ジェンナーは、往診やロンドンに行く際など、いつも馬に乗っており、グリースについても良く知っていた。彼は、ナチュラリストとしてのすぐれた観察力により、牛痘はグリースが原因であって、グリースの手当をしたその手で乳牛の乳を搾った時に、牛に牛痘を移していると、判断したのである。
1796年、ジェンナーが乳搾りの女性サラ・ネルムズの腕に出来た牛痘の膿を接種することにより、天然痘を防げることを証明した。最初の種痘である。天然痘ワクチンは、種痘病変から採取した漿液を次の人に接種するというように、腕から腕へと継代されていた。1842年にイタリア・ナポリの医師ジュゼッペ・ネグリが子牛の皮膚でワクチンの製造を始めた。このワクチン製造方式は、19世紀終わりには世界各地に広がった。日本では、明治7年(1874)、わが国最初の衛生事業として、牛痘種継所が設立された。1980年に宣言された天然痘根絶は、牛で製造したワクチンにより達成された。なお、当時私も北里研究所で、このワクチンの改良研究に携わった(1)。
牛痘ウイルス、馬痘ウイルス、ワクチニアウイルスという3つのウイルスと天然痘ワクチンの関係が解明されたのは、21世紀のゲノムの時代になってからだった。
1976年にモンゴルで初めて馬痘ウイルスが分離されたが、ウイルスの遺伝子解析が始まったばかりで、ワクチニアウイルスとの関連を調べることはできなかった。2006年、馬痘ウイルスのゲノムが解読された(2)。天然痘ワクチンに用いられていたワクチニアウイルスは、世界各地のワクチンメーカーで継代された結果、多くのウイルス株が生まれていた。これらのウイルスのゲノムと比較した結果、馬痘ウイルスは、このワクチニアウイルスのグループに入っていた(3)。
100年以上前に製造された天然痘ワクチンでも、ワクチンに含まれていたウイルスのゲノムは馬痘ウイルスとほぼ同一という結果が2017年8月に報告された。このワクチンは、現在のメルク社の前身の会社が1902年に製造したものである。そのゲノムをベルリンのロベルト・コッホ研究所のチームが解析した結果、馬痘ウイルスと99.7%という高い相同性が明らかにされたのである(4)。
ゲノムの系統樹では、馬痘ウイルスと牛痘ウイルスは3200年前に共通の祖先ウイルスから分かれたと推定されている。この祖先ウイルスは、アフリカに生息する齧歯類が保有していると考えられている。天然痘ウイルスも、同じ齧歯類のウイルスに由来する (5)。
現在、ワクチニアウイルスは馬痘ウイルスが牛で継代された結果生まれたと考えられている。ワクチニアウイルスも天然痘ウイルスも、元は同じ祖先ウイルスに由来しており、ワクチニアウイルスのゲノムには天然痘ウイルスの遺伝子すべてが含まれている。馬のかかとの病気が天然痘を予防するというジェンナーのすぐれた観察力と洞察力が正しかったことが、ゲノム科学により証明されたといえよう。
ところで、馬痘ウイルスは最近新しい問題も提起している。天然痘は根絶されてもウイルスが残っているため、バイオテロの危険性がある。そのため、天然痘根絶計画で用いられていた時代のワクチンよりもさらに安全性の高いワクチンの開発が求められている。カナダ・アルバータ大学のDavid Evansのグループは、すぐれたワクチンの開発と、天然痘ワクチンの起源に関する19世紀からの謎を解明に役立たせることを目的として、馬痘ウイルスのゲノムを合成した。この研究の公表がバイオセキュリティにかかわるとして、問題になっているのである。
ウイルスの合成は2002年にEckard Wimmerがポリオウイルスで行ったことがある。馬痘ウイルスのゲノムはポリオウイルスの30倍の大きさだが、現在の技術では特別の技能を必要とするものではない。Evansらは、DNA断片の合成をメールで注文し、出来てきたDNAをつなぎ合わせて馬痘ウイルスを合成した。合成委託の代金は10万ドルで、ウイルス合成に要した期間は半年だった。
馬痘ウイルス合成の技術は天然痘ウイルスの合成に応用できる。Evansはこの研究が二重用途(善悪両方の目的)の領域に相当することを認識していた。しかし、2016年のWHOの天然痘ウイルス研究諮問委員会がwebsiteに発表したEvansの研究についての報告は、あまり注目されなかった。彼は研究論文をNature CommunicationsとScienceに投稿したが、却下されたと伝えられており、今のところ公表はされていない(6)。
現在のWHOの規則では、天然痘ウイルスのゲノムの20%以上を作製することは禁止されている。DNA合成を受託する会社は、顧客から正当な理由がない限り、天然痘ウイルスなど特定の病原体のDNA合成の注文は自発的に断るよう要求されている。WHO専門家会議は2015年、天然痘ウイルス合成の技術的には可能になったと結論し、天然痘が再び発生するリスクがなくなることはないと報告している。テロリストがWHOの規則を無視して、馬痘ウイルス合成の成果を利用して天然痘ウイルスを合成するおそれは否定できないのである。
参考文献
1.山内一也:近代医学の先駆者・ハンターとジェンナー。岩波書店、2015.
2.Tulman, E.R., Delhon, G., Afonso, C.L. et al.: Genome of horsepox virus. J. Virol., 80, 9244-9258, 2006.
3.Damaso, C.: Revisiting Jenner’s mysteries, the role of the Beaugency lumph in the evolutionary path of ancient smallpox vaccines. Lancet Infect. Dis., August 18, 2017. http://dx.doi.org/10.1016/ S1473-3099(17)30445-0.
4.Schrick, L., Tausch, S.H., Dabrowski, P.W. et al.: An early American smallpox vaccine based on horsepox. N. Engl. J. Med., 377:15, 2017.
5.Babkin, I.V. & Babkina, I.N.: The origin of the variola virus. Viruses, 7, 1100-1112, 2015.
6.Kupferschmidt, K.: How Canadian researchers reconstituted an extinct poxvirus for $100,000 using mail-order DNA. Science Jul. 6, 2017. doi:10.1126/science.aan7069