172. ゲノム配列から考察する天然痘ワクチンの由来

日本の天然痘ワクチンの歴史

天然痘ワクチンは当初、痘苗と呼ばれていた。天然痘ワクチンは天然痘根絶計画が始まってから普及した通称で、正式名称は痘瘡ワクチンである。日本では、伝染病研究所(伝研)が大連1株、阪大微生物病研究所(阪大微研)が池田株、北里研究所(北研)が大邱株を種株として天然痘ワクチンが製造されていた。大連1株は1934年、佐藤久蔵が満州(現・中国東北部)で天然痘患者の痂皮をウサギの睾丸を3代継代してウシに順化させたものである(1)。池田株は池田武夫が大阪で天然痘患者の痂皮をウサギの睾丸を2代継代してウシに順化させたものである。これらは牛化人痘苗と呼ばれていたが、天然痘ウイルスが順化したものではなく、実験の途中でワクチニアウイルスが混入したものである。

終戦時まで日本では、ワクチンの製造所が製品の品質管理を自らが行っていた。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、ワクチン製造をすべて民間で行い、検定を国家機関が行う方針を定め、東大との折衝の結果、1947年、伝研を折半して、国立予防衛生研究所(予研、現・国立感染症研究所)が設立された。翌年、厚生省は国家検定基準を作成したが、痘苗基準には用いる株が指定されていなかった。そこでGHQは、ウサギの皮膚でもっとも良く増えたことから、池田株を推薦した。私が北研で製造に関わった痘苗も池田株だった(2)。池田株ワクチンにより、1947年に日本での天然痘患者の発生はなくなり、1976年に定期種痘が廃止された。

予研のウイルス・リケッチア部では多ヶ谷勇部長が、伝研時代から大連1株を用いた研究を行っていた。1959年、同部の北村敬は、大連1株を孵化鶏卵で継代して、漿尿膜の上で元のウイルスの場合の半分のサイズの白斑(ポック)を形成する変異株を作り出し、DIs株と命名した。これは画期的な弱毒ワクチニアウイルスだったが、実用化にはいたらなかった(3)。

世界保健機関(WHO)は、動物で製造した天然痘ワクチンを第1世代、細胞培養ワクチンを第2世代、弱毒化細胞培養ワクチンを第3世代に分類している。第3世代ワクチンとしては、千葉県血清研究所の橋爪功が開発したLc16m8ワクチンとドイツのアントン・マイヤーが開発したMVA(modified virus of Ankara)株の2つがあり、DIs株も第3世代ワクチンに相当する。

 

大連1株のゲノムに基づく系統樹に示された主なワクチニアウイルスの由来

東京都医学総合研究所の小原道法は、DIs株の弱毒性に注目して、ベクターとした新型コロナワクチンの開発やMポックスワクチンとしての利用を検討していて、最近、DIs株の親株(DIE)のゲノム配列を解析し、妻の小原恭子鹿児島大学教授が、DIEを含むワクチニアウイルスのゲノム配列に基づく系統樹を構築した。

 

図1

 

図2に系統樹に示したワクチニアウイルス株の由来を整理してみた。図1と比較すると、世界で用いられた主な天然痘ワクチンの間の関係を伺い知ることができる。

 

図2

 

ワクチニアウイルスの祖先は、野生齧歯類のウイルスと考えられている。この系統樹では、ワクチン株以外のワクチニアウイルスとして、ソ連、モスクワで牛痘に感染した少女から1990年に分離された牛痘ウイルスGRI-90株、モンゴルで1976年に分離された馬痘ウイルスMNR76株、および1941年にオランダ、ユトレヒトで分離されたウサギ痘ウイルスがひとつのクラスターに含まれている。長年にわたって継代されてきたワクチン株と異なり、これらはおそらく野生齧歯類から直接感染したために、遺伝的に近縁なことが推測される。

Dryvax株とIHD株は、1871年にフランスのBeaugency(ボージョンシー)株がニューヨーク市衛生局を通じて配布されたものである(4)。Dryvaxワクチンは第1世代ワクチンとして全米で用いられた。IHDは、ジョンズホプキンス大学のInternational Health Departmentの略で、もっぱら研究に用いられていた。IHD株は、戦後、日本でも研究に良く用いられていて、IHD-W株はIHD株から日本で分離されたサブタイプである。DUKE株は1970年デューク大学病院の患者から分離されたウイルスで、Dryvax由来と考えられている。Acambis株はDryvax株から開発された細胞培養ワクチンで、2000年から第2世代ワクチンとして用いられている。

Dryvax株は牛痘、馬痘、ウサギ痘のクラスターを除く、すべてのクラスターに存在している。Dryvaxワクチンは長年にわたってウシで製造され、全米で用いられていたためと推測される。

ところで、ボージョンシー株は、ウシで製造された最初の天然痘ワクチンである。ジェンナーはヒトの腕から腕にワクチンを植え継いでいたが、1840年にイタリアのナポリでネグリ医師により子ウシの皮膚での製造が考案された。1864年にフランスのリヨンで開かれた国際会議で、この方式が発表され、フランスのシャンボン(Chambon)とラノア(Lanoix)がすぐにナポリに行き、ワクチンを接種した子ウシを貨車に乗せてパリに戻り製造を始めた。その後、ロアール地方のボージョンシーで牛痘が発生したのでそれが製造株に用いられた。このワクチンがボージョンシー株として、ヨーロッパ諸国を初め、米国にも導入されたのである(5)。

しかし、本連載22で紹介したように、北米のウシの間で発生した口蹄疫についての米国農務省の調査で、日本から1900年頃に痘苗が分与されていて、その痘苗に口蹄疫ウイルスが混入していたことが原因と判明した。その頃、日本では伝研の北里柴三郎が助手の梅野信吉と共同でグリセリンと石炭酸を加えた品質の高い痘苗の製造に成功していて、彼らの製造方法はヨーロッパで有名になっていたので、伝研のワクチンが米国に輸出されたと推測される。ただし当時、日本にはヨーロッパから何回か痘苗が輸入されていて、北里が用いた痘苗の由来は不明のままである(2)。ともかく、ボージョンシー由来とされる米国のワクチン株の中に北里のワクチン株が混じっていた可能性は否定できない。

コペンハーゲン株は第1世代ワクチンで、天然痘根絶計画の初期に用いられた。1980年代に開発された最初の組換えワクチンである野生動物用の狂犬病ワクチンには、この株がベクターとして用いられた。

Lister株は、ジェンナーのワクチンが1801年にベルリンに送られ、そこからケルンに分与されたワクチンが1890年頃に英国のリスター研究所に里帰りしたものである。これはWHOの天然痘根絶計画で広く用いられたワクチンで、橋爪功のLc16m0と Lc16m8はリスター株を弱毒化したものである。私はLc16m0をベクターとした組換え牛疫ワクチンを開発したが、その研究では、前述の小原道法、恭子夫妻が協力していた。

天壇(TianTan)株は中国の天然痘ワクチンの株である。中国伝染病予防局は1919年に設立され、当初は日本由来のワクチンを製造していた。そこの職員、奎長清(Qi Changquing)が日本でワクチン製造方法を学んで1926年に帰国し、天然痘患者の痂皮をサル、ウサギ、ウシへと継代して天壇ワクチンを開発した。いわゆる牛化人痘苗である。これを彼は北京の「天の寺」の名前をとって、天壇株と命名した。この株も大連1株や池田株と同様、どこかでワクチニアウイルスが混入したものである(6)。

Ankara株は本連載153で紹介したように、トルコのアンカラで馬痘から分離されたウイルスをドイツ連邦政府ウイルス病センターのアントン・マイヤー(Anton Mayr)が、ニワトリ胚細胞で500代以上継代して作出した弱毒株である。現在はMVA株(Modified virus of Ankara)の名称が普及している。

 

ジェンナーが種痘に用いたのは馬痘ウイルス

ジェンナーの種痘は牛痘と言われてきた。ウイルス学が誕生してから1932年カナダ、トロント大学のコンノート研究所のジェイムズ・クレイギー(James Craigie)が天然痘ワクチンのウイルスにワクチニアという名前をつけ(7)、1939年、ロンドン・ホスピタル・メディカル・カレッジのアラン・ダウニー(Allan Downie)がワクチニアウイルスと牛痘ウイルスは別ということを発表した(8)。それ以来、種痘の起源についての論争が起こり、21世紀のゲノムの時代になって、ワクチニアウイルスと馬痘ウイルスは同じグループということが明らかにされた。

ジェンナーは、1780年に「ウマのかかとの病気がウシに牛痘を引き起こしており、これが乳搾りの人々を天然痘から防いでいるのだ。これをヒトの間で植え継いでいければ、天然痘を完全に絶滅させることができるだろう」と語っていた。彼はグリースと呼ばれたウマの脚に出来る膿疱のことを言っていた。グリースは馬痘のことである。1800年には、獣医のタナーがグリースの膿をウシの乳首に接種した結果、牛痘と同様の発疹が出てきたのを見て、ジェンナーはこのウシの乳首を調べたところ、数日後に彼の手にも2,3個の発疹が出るという経験をしていた。ジェンナーは、馬痘がウシに感染して牛痘を起こしていると考えていたのである(9, 10)。

 

追記
この記事の執筆では多くの人たちの顔が思い出された。佐藤久蔵さんは医科研の前身、伝研のOBであり、多ヶ谷勇部長と北村敬さんには予研でいつも顔を合わせていた。橋爪壮さんは旧制静岡高校の先輩だった。Anton Mayrからは1964年、ミュンヘン大学の研究室でアンカラ株の継代状況を聞かせてもらった。

文献
1. 佐藤久蔵:天然痘病毒(人痘毒)の鶏卵内培養に関する研究。実験医学雑誌、23, 38-54, 1939.
2. 添川正夫:日本痘苗史序説。近代出版、1987.
3. 北村敬:天然痘が消えた。中央公論社、1982.
4. Molteni, C. et al.: Genetic ancestry and population structure of vaccinia virus. npj Vaccines, 7, 92, 2022.
5. Copeman, M.: The natural history of vaccinia. British Medical Journal. 1, 1312-1318, 1898.
6. Li, Q. et al.: Genomic analysis of vaccinia virus strain TianTan provides new insights into the evolution and evolutionary relationships between Orthopoxviruses. Virology, 442, 59-66, 2013.
7. Cragie, J.: The nature of the vaccinia flocculation reaction, and observations on the elementary bodies of vaccinia. Brit. J. Exp. Path., 13, 259, 1932.
8. Downie, A.W.: The immunological relationship of the virus of spontaneous cowpox to vaccinia virus. Ibid., 20, 158-176, 1939.
9. Baron, J.: The life of Edward Jenner: With illustrations of his doctorines and selections from his correspondence. Henry Colburn, 1838.
10. 山内一也:近代医学の先駆者 ハンターとジェンナー。岩波書店、2015.