本連載58回で巨大ウイルス群に対して核細胞質性大型DNAウイルス(NCLDV)もしくはメガウイルス目という新しい分類が提唱されていることを紹介した。巨大ウイルスの第1号はクロレラウイルスで、これを最初に発見したのは1978年に広島大学発酵工学科の川上襄(のぼる)たちだった。彼らは広島植物園で採取したミドリゾウリムシに共生していたズークロレラ(共生している緑藻の別名)に電子顕微鏡で120-180nmの正二十面体のウイルスを見いだしズークロレラ・セル・ウイルス(Zoochlorella cell virus: ZCV)と呼んだのである(1)。しかしウイルス学の研究にはつながることはなかった。
翌1979年に、ネブラスカ大学植物病理学のジェームズ・ヴァン・エッテン(James Van Etten)がグリーンヒドラに共生していた緑藻から分離したクロレラウイルスが、藻類から巨大ウイルスがあいついで発見されるきっかけをもたらした。そして、21世紀初め、マルセイユの地中海大学のディディエ・ラウール(Didier Raoult)によるミミウイルスの発見が巨大ウイルスをめぐる大きな問題を提起するようになったのである。
偶然だが、クロレラウイルスとミミウイルスの発見の経緯を、ヴァン・エッテンは「クロロウイルスとの航海」、ラウールは「リケッチアからミミウイルスへの旅」という似たタイトルのエッセイで紹介している。新しい研究領域の多くが始まるきっかけに、セレンディピティが関わっているが、巨大ウイルスでも同じだったことが述べられている。
クロロウイルスとの航海(2)
ヴァン・エッテンは13年にわたってカビの胞子形成について生理学と分子生物学的研究を行っていた。1979年、彼はグリーンヒドラと緑藻の共生のメカニズムを研究していたラス・メインツ(Russ Meints)と学内でのパーティで雑談を交わしていた。グリーンヒドラとは体内に共生している緑藻のために、緑色をしているヒドラのことである。その際に彼から思いがけない話を聞かされた。メインツはグリーンヒドラから分離した緑藻を増やすことを試みていたのだが、増えないために電子顕微鏡で観察したところ、中にウイルスのようなものを見つけたということだった。この話に興味を引かれたヴァン・エッテンは数日後に同じ大学の別のキャンパスにあるメインツの研究室を訪ねて50枚以上の電子顕微鏡写真を一緒に調べた。たしかにある緑藻にはウイルスのような正二十面体の粒子が数個見つかった。
ヒドラから分離した緑藻が成長しないのは、ウイルス粒子の存在と関係があると考えられたので、メインツは非常に簡単な実験を試みた。緑藻をヒドラから分離し、実験台に24時間放置したのちに電子顕微鏡で調べてみたのである。放置して2-6時間後には緑藻の核には185 nmという大きなウイルス粒子が見つかった。12-20時間までに緑藻はすべて溶けてしまった。たしかにウイルスが増えて緑藻を溶解していたのである。このウイルスがどこから来たのか分からなかった。グリーンヒドラではウイルスは検出されなかった。ヒドラから分離した直後の緑藻にも検出されなかった。ウイルスは緑藻の細胞壁に付着していたために電子顕微鏡では見つからなかったのである。
当時、ヴァン・エッテンの同僚はライラックなどの植物に感染するシュードモナス属の細菌に寄生するφ6ファージと呼ばれる細菌ウイルスを分離していた。ほとんどのファージが二本鎖DNAまたは一本鎖RNAなのに対して、これは二本鎖RNAという珍しいウイルスだった。同じ頃、ほかの研究室でカビから二本鎖RNAウイルスが発見され、その分子量の測定に二本鎖RNAファージとしてデータが豊富なφ6ファージのサンプルをヴァン・エッテンは提供していた。藻類のウイルスについての研究はほとんど行われていない時期で、彼はクロレラで見つかったウイルスもカビのウイルスと同様に二本鎖RNAと推測した。しかし、これは間違っていて、間もなく二本鎖DNAということが明らかにされている。
ヴァン・エッテンの研究課題はカビからウイルスへと大きく変わった。1982年にはミドリゾウリムシに共生するズークロレラからPBCV-1(Paramecium bursaria chlorella virus)を分離し、これがクロレラウイルスの代表株になった。クロレラをシャーレで増殖させ緑色になった表面にPBCV-1を接種するとウイルスの濃度に応じて白い斑点(プラーク)が形成されることを見いだし、これにより感染価の測定が可能となった。
自然界にはクロレラウイルスが広く存在していることが明らかにされた。多くの場合1 ml中に1ないし10感染単位(プラーク形成単位)だったが、とくに高い濃度の場合には10万感染単位に達するものもあった。PCBV-1についての詳細な研究により、クロレラウイルスは、粒子サイズが約190 nmで、約500 kbのゲノムに400個あまりの遺伝子を含む大型ウイルスということが明らかにされた。当時、最大のウイルスの天然痘ウイルスの180 kbをはるかに上回っていた。そののち相次いで同様のウイルスが藻類から分離され、国際ウイルス命名委員会によりフィコドナウイルス科が設けられ、クロレラウイルスはクロロウイルス属に分類された。Phycoは古代ギリシア語の海藻に由来する接頭辞で、藻類のDNAウイルスという意味である。
1997年には広島英虞湾で長崎慶三たちが赤潮の原因となるヘテロシグマ藻類からヘテロシグマ・アカシオウイルスを分離した。これはフィコドナウイルスのラフィドウイルス属(Raphidoviridae)に分類されている。赤潮と同様に世界中の海で異常増殖して白潮を起こす円石藻の一種エミリアニア・ハックスレイからもフィコドナウイルスが1999年に分離され、エミリアニア・ハックスレイウイルスと命名された。これは、ココリトウイルス属(Cocolithoviridae)に分類されている。現在、フィコドナウイルス科には全部で6つの属が設けられている。
リケッチアからミミウイルスへの旅 (3, 4)
ラウールは20年にわたってリケッチアの多様性について、16SリボソームRNAの解析などにより研究してきた。対象としたリケッチアはバルトネラやQ熱などで、リケッチアは人工培地で増殖しないため、アメーバでの培養が彼の重要な研究手段になっていた。
一方、1992年英国リーズ市の公衆衛生研究所ではティム・ローバサム(Tim Rowbotham)がとなりのブラッドフォード市で発生した肺炎の原因としてクーリングタワーの水を疑って、アメーバ培養によりいくつかの細菌を分離した。肺炎の集団発生は米国で1976年に在郷軍人の集会で起きた例が有名で、その原因はクーリングタワーの冷却水中から分離されレジオネラと命名された細菌だった。ローバサムは分離した細菌をレジオネラ様病原体と呼んだが、そのうちのいくつかの細菌は同定できなかった。
1995年にリチャード・バートルズ(Richard Birtles)がリーズ公衆衛生研究所からポスドクとしてラウールの研究室で働くことになった。彼は、ローバサムのコレクションを持参してきており、それらについて16SリボソームRNA遺伝子の解析により細菌の同定を試みた。いくつかはレジオネラ菌に属することが明らかにされたが、ブラッドフォード桿菌と名付けられた細菌からは16SリボソームRNAを増幅することがどうしてもできなかった。1年間にわたる試みがすべて失敗したため、ラウールはこのRNAを抽出できない理由は、細菌の細胞壁が分解できないためと考え、その可能性を調べるために抽出処理の前と後の細菌を電子顕微鏡で観察した。驚いたことに、この細菌は巨大なイリドウイルス*のような形をしていた。さらに増殖する際には姿を消す暗黒期(エクリプス)のあることが分かった。そして、約120万塩基対という大きなゲノムを持つ巨大ウイルスということが明らかにされたのである。
*イリドウイルスは、1954年クロード・リバース(Claude Rivers)がガガンボの幼虫から分離したのが最初で、そののち種々の昆虫や魚などから分離されている。イリドとはギリシアの虹の女神アイリスに由来するもので、昆虫がこのウイルスに大量に感染すると虹のように輝く斑点が現れることから付けられた。
文献
1. Kawakami, H. & Kawakami, N.: Behavior of a virus in a symbiotic system, Paramecium bursaria-zoochlorella. J. Protozool., 25, 217-225, 1978.
2. Van Etten & Dunigan, D.D.: Voyages with Chloroviruses. “Life in Our Phage World” by Rohwer, F., Youle, M., Maugha, H. & Hisakawa,N. (eds). Wholon, 2014.
3. Raoult, D.: The journey from rickettsia to mimivirus. ASM News, 71, 278-284, 2006.
4. Raoult, D., La Scola, B. & Birtles, R.: The discovery and characterization of mimivirus, the largest known virus and putative pneumonia agent. Clin. Infect. Dis., 45, 95-102, 2007.