人獣共通感染症連続講座 第38回

プリオン病


一般生物系の読者を対象とした雑誌に頼まれて書いた原稿です。 第36回の内容と一部オーバーラップし、また本講座の読者には物足りない内容かと思いますが、合わせてお読み下さい。


プリオン病の概念

18世紀以来ヨーロッパを中心として羊の間でスクレイピーという病気が流行して、畜産に大きな被害を及ぼしてきた。 発病した羊は神経が冒され、はげしいかゆみのために身体を柵などにこすりつけて毛が抜けるのが特徴である。 スクレイピーの名前はこする (scrape) に由来する。

発病した羊の脳乳剤を健康な羊の脳に接種すると病気が伝達されることは1930年代にすでに明らかにされていた。 一方、ニューギニア高地の原住民の間で起きていた神経疾患・クールーの病変が、スクレイピーに極めて良く似ていることがヒントとなって、クールー患者の脳乳剤のチンパンジー接種実験が1960年代に行われ、この病気がスクレイピーと同じように伝達性であることが証明された。 さらに、同様の病変を示すクロイツフェルト・ヤコブ病 (Creutzfeldt Jakob disease: CJD) もチンパンジーをはじめ種々のサル類に伝達できることが証明された。 なお、クールーは現在ではCJDが、原住民の間での人食いの儀式を通じて広がっていたものとみなされている。

スクレイピーやCJDの病原体は高圧蒸気滅菌、紫外線照射、フォルマリン処理などに極めて高い抵抗性を示す。 発病した動物では抗体がみつからず、そのために普通の微生物のような血清反応による病原体の検出もできない。 このような奇妙な性質から、その本体は長い間なぞであった。

1980年代はじめにカリフォルニア大学のプルシナーは、病原体の本体が核酸をもたない感染性の蛋白粒子 (Proteinaceous infectious particle: prion) であるというプリオン説を提唱した。 この説に対して猛烈な反発が起こったが、その後、プリオン説を支える成績が続々と発表されてきた。 その結果、当初は特殊なウイルス疾患のひとつとみなされていたこれらの病気が、異常プリオンの蓄積によるという新しいタイプの疾患・プリオン病と呼ばれるようになった。


プリオン蛋白

プリオン蛋白は、人では第20番染色体に存在するプリオン遺伝子が産生する糖蛋白であって、細胞膜に結合して存在する。 プリオン遺伝子は哺乳動物から酵母にいたるまで見いだされている普通の遺伝子である。 プリオン蛋白の機能はまだほとんど分かっていないが、ごく最近、運動を支配する神経細胞の維持や、睡眠調節にかかわっているらしいという成績が発表されている。

正常プリオンがなんらかのきっかけで異常プリオンに変わったり、外から異常プリオン(病原体)が接種されると、その異常プリオンは正常プリオンに働いて、それを異常プリオンに変えていく。 その結果、異常プリオンがゆきだるま式に増加する。 新しいタイプの増殖反応ともいえる。 異常プリオンは蛋白分解酵素でこわれにくい性質を持っていて、神経細胞の中に蓄積する。 その結果、神経細胞に空胞ができ、顕微鏡でみると海綿状にみえる。 これが海綿状脳症という名前の由来である。


プリオン病の種類と原因

プリオン病には、動物では羊のスクレイピーのほかに、スクレイピーがミンクに広がった伝達性ミンク脳症、牛に広がった牛海綿状脳症(狂牛病)がある。 人ではCJDとクールーのほかに家族性に起こるゲルストマン・シュトロイスラー病、致死性家族性不眠症がある。

CJDは100万人に1人の発生率の稀な病気で、40〜60才くらいに起こる。 そのうち約10%がプリオン遺伝子に変異のある遺伝性のものである。 また、きわめて少数だがCJD患者の角膜移植や、脳下垂体由来の成長ホルモン投与で発病した例がある。 90%近くは散発型であって、その発病の原因は不明である。

羊のスクレイピーは病気の羊の胎盤に病原体が多く含まれることから、これをほかの羊が食べたり、汚染した牧草を食べることで広がるらしい。 すなわち経口感染での伝播である。 牛海綿状脳症は牛の配合飼料に蛋白源として加えられていた羊の肉や内臓がスクレイピーに汚染していて、それが牛の間で広がったものと考えられている。 これも経口感染である。


種の壁の問題

人間はスクレイピーの羊と200年以上接触してきている。 これまでに羊から人に病気がうつった可能性について、世界各国で検討されたが、その可能性を示唆するような結果は得られていない。 羊から人への種の壁を越える可能性は考えにくいとみなされているのである。

しかし、牛に広がった病気が、人に広がるかどうかは不明であり、これが牛海綿状脳症にかかわる大きな問題点である。 1994年から1995年にかけて英国で若年で、しかも病変のタイプや臨床経過の面で新型とみなされる10名の患者がみつかった。 これらの人では、遺伝要因や危険因子(移植や成長ホルモンのような)が認められないことから、牛からの感染の可能性も否定できないということになり、全世界に衝撃を与えている。



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