安田徳一{YASUDA,Norikazu}
自然選択natural selectionの意味はダーウインの「種の起源」の序文で明確に述べられている。
"それぞれの生物種の個体は生存できる数より多くが生まれてくるので、その結果生存競争が絶えず繰り返されることになる。複雑でしばしば変化する生活環境条件の下で、どんなにわずかであってもその個体にとって有利な変化があるとその個体は生き残る可能性がでてくる。いわば自然に選択(淘汰)されるのである。遺伝の原理によりその選択された変異は子孫に受け継がれ集団の中に広がって行くであろう。"
自然選択の問題を厳密に扱うには、まず適応度 fitness という考え方を理解しなければならない。これはダーウイン適応度 Darwinian fitness ともいい、上述の考えをまとめたものである。すなわちいろいろな遺伝子型の個体が次の世代を構成するのにどの程度貢献するかを表わす尺度である。これには1個体あたりの子どもの数で表わすのが妥当であろう。ここにいう子どもの数はもちろん生まれる子どもの数そのものではなくてそれらが成熟し、かつ孫を産む個体の数である。
適応度を数量として定義するには集団が一年生草本のように時間的に飛び飛びの場合(不連続模型)と、同一時間にあらゆる年齢層が共存する連続な場合(連続模型)とに分けて考える必要がある。
一年生の植物のように集団が1世代ごとに新しい世代の個体によって完全に置き換えられるものでは、世代を表わす変数 t は 0,1,2,... などと、飛び飛びの値をとる。この場合の適応度は選択値 selective value で測る。選択値は各遺伝子型について1個体あたりが次の世代に貢献する子どもの平均数 w である。たとえば遺伝子型 G1G1、G1G2、G2G2 の選択値はそれぞれ w112, w12=1, w22=0 である。取り扱いの上では相対的な選択値を考察することが多く、その場合最も多く子どもを残す個体の選択値を基準として、 w11=1.0, w12=0.5, w22=0.0 とする。これら3つの遺伝子型で最大の選択値と各個体の選択値の差を選択係数 sij という。この例では s11=0.0, s12=0.5, s22=1.0 である。集団での各遺伝子型は個体数が複数のことが普通であるから、それらの選択値の平均値をとる。
G1、G2 対立遺伝子の頻度を p1, p2とすると集団(平均)の選択値 w は任意交配のもとで
w= w11p12+ w122p1p2+ w22p22
と表わされる。 w は子どもの世代と親の世代との繁殖個体数の平均値の比であるから、 w>1 なら集団は増大の傾向にあり、 w<1 なら縮小の傾向にある。また w=1 なら集団は個体数の上で定常状態にあるといえる。
このように定義した選択値は0から+∞までの値をとりうるものであるが、進化的に生存し続けてきた種については w の長期間にわたる幾何平均はほぼ 1 に近い筈である。たとえばある世代からはじめて (t=0)、t 世代後の集団の個体数を Nt 、経過した世代についての w の幾何平均を 1+c とすれば
Nt =(Nt/Nt-1)(Nt-1/Nt-2) ... (N1/N0)N0 =wtwt-1 ... w1N0 Nt =N0(1+c)t
となり、 c>0 であれば t が大きくなるにつれて Nt の値は幾何級数的に増大し、とても地球に収容することができなくなり、 -1<c<0 であれば幾何級数的に縮小して種は絶滅してしまうであろう。たとえば c=0.0002 とほんの僅か 1 より大きい幾何平均でも、100万世代後には集団の個体数は最初の世代の 7x1086 倍になる。逆に c=-0.0002 とほんの僅か 1 より小さければ 100万世代後には7x1086分の1となり、これはもうほとんど絶滅状態である。
ヒトのように1年を通して出生と死亡が連続的に起こり、同一集団内に同時に年齢の違う個体が混在するものでは世代をあらわす変数 t は連続的とした方がよい。集団の個体数の増減は指数関数的であるから、個体の適応度はこの指数関数的増減率にどのように寄与するかによって測られる。このようにして表わした適応度をフィシャーによればマルサス径数 Malthusian parameter という(Fisher 1930)。
そこで遺伝子型 GiGj のマルサス径数で測った適応度を aij で表わすと、この遺伝子型のいる集団の平均適応度 a は定義により集団の個体数 N の指数関数的増加率を表わす。すなわち
Nt=N0eat あるいは (1/N){dN/dt}=a
である。これから a>0 ならば集団は増大の傾向にあり、a<0 ならば縮小の傾向にある。また a=0 であれば集団は数の上で変化のない定常状態である。
一般に集団の適応度 a は厳密には次のように定義される。個体が年齢 x まで生存する確率を l(x) 、その年齢での出産率を b(x) とすると
∫l(x)b(x)dx
は集団から生まれる新生児の予測数を表わす。ここに積分は0から生殖可能とみられる年齢までであるが、生殖が終止すると b(x) は0となるから上限は∞とした。したがってこの形であっても積分の上限は実務的には有限である。
子どもの予測数は少なくとも増殖率と死亡率とのバランスで決まる。この値が1より小さければ増殖率は集団を定常状態に保つのに不足である。一時的なゆらぎは別としても、集団は結局確実に数が減る。一方、その値が1より大きければ膨大な数になろう。もし増殖率と死亡率とのバランスで各年齢の個体数(年齢分布)が一定に保たれているならば、どの年齢でも数の相対的増減率 m は同じになる。そうすると一定の増殖率である時点 t で出生が生じる確率は emt に比例する。ある特定の時期 t=0 を基準として、出生が x 年前に起こる確率は e-mx に比例する。そしてこれは現在年齢 x まで生き続けた個体が生まれたときの増殖率である。したがって年齢 x〜x+dx の個体数は e-mxl(x)dx に比例する。したがって数値 m が決れば年齢分布も知ることができる。ところが年齢ごとに生存数とその増殖率がわかれば、その時点での出生率がわかるから、これは t=0 での出生率に等しい。すなわち、年齢 x〜x+dx の個体が全体に占める割合は e-mxl(x)b(x)dx に比例するから、年齢すべてについて加えると
∫e-mxl(x)b(x)dx
これを1に等しいとすると、m を未知数とする方程式が得られるが、これには必ず一つの解がある(Lotoka 1925)。 e-mx は m が正ならばすべての x について1より小さいし、また m が負ならばすべての x について1より大きいから、上記の積分が1となる m の値は子どもの予測数が1を越えるときは正であり、1に満たないときは負である。
したがってこの方程式を満たす値mは死亡率と増殖率の関係がいかようであろうとも同じ値となり、そのような定常状態での集団の相対的増(減)率の尺度である。われわれの興味があるのもそのような状態の集団である。
遺伝子頻度の遺伝的浮動による変化は一般に気まぐれであった。隔離による集団の地域的分化がどのようにして起こるかもみてきた。ここでは選択による組織的な変化を考えることにする。以下集団の大きさは十分大きく、機会的なゆらぎは選択の効果に比べて小さいとする。
生物の環境への適応は多様でその様相には驚くべきものがある。砂漠の動植物が水を確保する巧妙な工夫、肉食動物のたくましさと瞬発速力、草食動物の敏速さと警戒心、魚の流線型の形態、象の巨体、鳥の羽根、虫の擬態、昆虫を捕まえたり、他家受粉を確実なものとする植物の工夫、それに人の心など枚挙にいとまがない。これらは適応への自然選択の効果を示していると考えられる。
以下、適応進化に関る選択の役割を考えることにしよう。また選択が集団の遺伝子頻度をどのように変えるのか、有害遺伝子がどのくらいの速さで除かれるのか、さらにはなぜ一部の有害遺伝子が存続し続けるのかを考えてみよう。ここでは世代が重ならない集団で単一遺伝子座を考察することにする。
若くして子づくりの年齢に満たないで死亡する(致死)か、その年齢に達しても生殖に寄与できない(不妊、不能)あるいは貢献しない(独身、機会や関心がない)ために、ある表現型の個体が子どもにその原因遺伝子をまったく伝えないことがある。これを完全選択という。育種においては人為的に好ましくない形質の個体を除くことで完全選択が行われる。
取り除く形質が優性の対立遺伝子によるのであれば、どのような結果になるのかは簡単にわかる。GG と Gg が除かれるか生殖に関らないとすれば、残る個体はすべて gg である。子どもはすべて親と同じホモ接合であるから好ましくない表現型はもはや生まれてこない。突然変異でそのような個体が現れるかもしれないが、それについては後に考えることにする。
望ましくない形質がX連鎖の劣性対立遺伝子 x によるなら、状況はやはり簡単である。xx 雌と x 雄は生殖に関与しないとすると、次の世代に xx 雌は現れないことに注意しよう。以後の世代での劣性表現型を示す個体はヘテロ接合の母親から劣性遺伝子を受け取ったヘミ接合の雄だけである。ヘテロ接合の母親は劣性遺伝子を息子にも娘にも伝える確率は同じである。娘に伝わればそのまま次の世代に伝わる。ヘテロ接合の雌の娘の半分がヘテロ接合であるから、ヘテロ接合の雌の割合は毎世代半分に減っていく。劣性雄はヘテロ接合の雌から生まれるから、これも毎世代1/2の割合で減少する。完全選択がX連鎖の劣性対立遺伝子に対するとき、最初の世代の選択後異常個体の割合は毎世代半分ずつ減少する。
常染色体劣性の形質に対する選択は少々面倒である。遺伝子プールのモデルを利用することにする。すなわち
遺伝子型 合計 劣性対立遺伝子
の頻度GG Gg gg 受精時の頻度 p2 2pq q2 1 q 次世代への寄与 p2 2pq 0 1-q2 q/(1+q)
次世代に寄与する劣性遺伝子の頻度 q は優性ヘテロ接合体の寄与の半分をすべての優性個体で割った値である。すなわち、
(1/2)(2pq)/(1-q2)=q/(1+q)
任意交配で次の世代の劣性ホモ接合体の割合は [q/(1+q)]2 となる。
最初の世代0での劣性対立遺伝子の頻度をq0とすると
q1=q0/(1+q0)、すなわち
1/q1=1/q0+1
したがって、
1/q2=1/q0+2
. . . . . . . . . . . .
1/qt=1/q0+t
これから、
qt=q0/(1+q0t)
が得られる。ホモ接合体の頻度は
qt2=[q0/(1+q0t)]2
となる。
このことから望ましくない劣性遺伝子がかなり長い間、頻度が低くても存続する理由が容易に理解できる。qtが小さくなると除去される相対速度
(qt-qt-1)/qt-1=-qt/q0
はとてつもなく遅くなる。たとえば一世代あたりの変化速度は
q0 q1-q0 (q1-q0)/q0 0.2 -0.033 -16.7x10-2 0.02 -0.0004 -1.96x10-2 0.002 -0.000004 -0.2 x10-2
となる。命にかかわる完全劣性遺伝子がまれな程、その発生率を減らそうとする努力の効果はなくなる。たとえば q0=0.2 から qT=0.02 にさげるには T=45 世代を要する。0.02から0.002までにしようとすると T=450 世代を要する。1世代を20〜30年とすると450x(20〜30)=9000〜13500年の時間である。人類の歴史を振り返るとこれは原始農耕が始まった頃から今日までの年数に相当する。断種という行為が如何に気の長い時間を掛けなければ効果が上がらないかを示し、事実上無駄なことであることがわかる。時間を逆向きに考えればこれは裏を返したことになる。劣性対立遺伝子が殖えることは優性対立遺伝子が減ることに相当するからである。すなわち、現在まれな完全劣性の遺伝病患者の治療ができるようになったとすると、この完全劣性遺伝子が増えて人類集団が劣化するのではないかと真剣に議論する専門家がいる。これも誤りである。9000〜13500年という時間の間、人類が現在と同じ生活水準を維持し続けると考えるのは無理ではなかろうか。自然選択だけが遺伝子頻度を変える要因なのではない。この緩やかな選択の過程は新しい突然変異で十分に補給されて釣り合うことになる。この問題については後の講座でふれたい。
一般に有害な突然変異遺伝子は劣性であれば消失することなく集団に長くとどまり、優性なら早急に除去される。
人為的であれ、自然に起こるものであれ、選択は完全な場合ほど強烈でないのが普通である。ある遺伝子型あるいは表現型が次の世代をまったく残さないのではなく、ある表現型が別の表現型に比べて生存や生殖の効果が低下することがある。不完全優性があると状況はさらに複雑である。
適応度は生存と生殖を一まとめにした能力である。2種類の遺伝子型が最初それぞれ100個体とする。一つの種類の遺伝子型が次の世代で100個体となり、別の種類の遺伝子型は95個体となるとき、後者の遺伝子型の相対適応度は0.95であるという。任意交配を仮定して、遺伝子プールのモデルを取り入れる。それぞれの親の遺伝子型はその適応度に比例して遺伝子プールに寄与するとし、遺伝子の対はこの遺伝子プールから無作為に取り出されるとする。
もちろん実際の集団はこのように単純ではない。個体の妊性はその配偶者の妊性に依存する。たとえば一夫一婦制の徹底した社会では配偶者の1人は不妊であれば、両方とも不妊である。さらに遺伝子型の相対適応度は一定であるよりも、他の遺伝子型の存在、群がりの程度、温度、その他いろいろな要因に依存するようである。それに一年生植物や17年周期のセミなどが一部にみられるもの、自然集団の世代は通常飛び飛び模型ではない。それでもこの単純な模型は簡単な数式で表わせるというたいへん都合のよい性質がある。特に選択が弱いときには現実をよく表わしており、選択が集団をどう変えるかについて定性的な洞察が得られる。
a)適応度(淘汰値)での表示
単一遺伝子座における選択の一般的な模型の一つを次に示す。各世代は接合のときに数える。あるいは個体間で選択差が起きる以前に数える。
遺伝子型 G1G1 G1G2 G2G2 合計 頻度 p12 2p1p2 p22 1 適応度 w11 w12 w22 遺伝子プールへの寄与 p12w11 2p1p2w12 p22w22 w
集団適応度
w=p12w11+2p1p2w12+p22w22
集団は任意交配で、遺伝子型は接合の段階でハーディ・ワインベルグの頻度であり、何らかの選択差が生じるまでそのままであるとする。各世代の個体数は接合のとき、なんらかの選択差の生じる前など必ず同じ時期に数える。もちろん集団を成人の段階で数える選択モデルを工夫することもできるが、より単純化した模型をまず考えることにしよう。
適応度 wij は遺伝子型 GiGj の子どもの平均数の半分である。ここで半分の意味は子ども1人は両親の配偶子から生じるからである。つまり親1人と子ども1人の組合わせをみると1個体あたり半分の子どもということになる。そうすると集団全体での適応度 w は個人あたりの子供の集団平均値の半分になる。集団の大きさが一定で変化しなければ w=1 である。
次の世代の G1 対立遺伝子の割合は G1G1 遺伝子型の個体全部と G1G2 遺伝子型の半分との寄与分を集団全体の寄与分 w で割ったものである。プライム記号で次世代をあらわすことにすると
p1' = {p2w11+2p1p2w12(1/2)}/w =(p2w11+p1p2w12)/w
適応度と遺伝子頻度の最初の値がわかれば、上式を繰り返し用いて以後の世代すべての対立遺伝子頻度と3種類の遺伝子型の割合をハーディ・ワインベルグの法則から計算することができる。
場合によってはp1の各世代ごとの変化を知りたいことがある。Δp1=p1' - p1とすると
Δp1=p1p2{(w11-w12)p1+(w12-w22)p2}/w
これはライトの公式 (Wright, 1937) ともいわれ、対立遺伝子が2つで適応度が遺伝子頻度に依存しないとき形式的に次のようにして求められる。
Δp1={p1(1-p1)/2w}{dw/dp1}
ここに
w=p12w11+2p1(1-p1)w12+(1-p1)2w22
である。なおこの公式は複対立遺伝子についても適用できる。
b)淘汰係数での表示
これまでの模型は一般的で正しく有用であるが、記号を変えることでもっと内容のはっきりした公式が得られることがある。また多くの遺伝の問題で集団の大きさは絶対数であるが、遺伝子頻度、遺伝子型頻度などは相対的な割合で表わしている。適応度についても同様であり、いくつかの適応度のうちの一つの遺伝子型に基準値1を定め、この値に対する相対的な値で残りの遺伝子型の適応度を表わすことにする。このような場合のモデルは次のように表わされる。
遺伝子型 GG Gg gg 合計 接合時の頻度 p2 2pq q2 1 相対適応度 1 1-hs 1-s 遺伝子プールへの寄与分 p2 (1-hs)2pq (1-s)q2 w
集団適応度
w= p2+(1-hs)2pq+(1-s)q2=1-sq(q+2ph)
ここでは G を選択に都合のよい遺伝子、g をその(対立)突然変異遺伝子とし、それぞれの遺伝子頻度を p, q(=1-p) とする。また s は選択係数 selection coefficient といい、gg 遺伝子型で次世代の遺伝子プールに寄与しない割合を表わす。s=0.9 なら gg の GG に対する相対適応度は10パーセントである。h はドミナンスといい、ヘテロ接合で効果をあらわす優性の尺度である。h=0 なら遺伝子型 GG と Gg は同じ適応度であり、したがって対立遺伝子 G はこの点について優性である。h=1 なら遺伝子型 Gg と gg の適応度はともに 1-s で対立遺伝子 g は G 対して優性、すなわち G は g に対して劣性となる。h=0.5 ならどちらの対立遺伝子も優性でなく、相互優性ということがある。すなわち、0≦h≦1の間の任意の数値をとる(部分優性)が、最良の適応度を示すのがヘテロ接合体である場合には h は負の値となることがある。
前と同じように、次の世代の G遺伝子の頻度を p' で表わすとそれは GG 遺伝子型の個体全部と Gg 個体の半分の寄与分を集団全体の寄与分で割ったものになる。
p'={p2+pq(1-hs)}/w={p(1-qhs)}/{1-sq(q+2ph)}
遺伝子頻度の世代間の差を表わす公式は
Δp =p'-p =spq{q+h(p-q)}/w
となる。
この公式が実際の集団でよく当てはまることはショウジョウバエなどを用いて実験的に確かめられている。この生物種は手頃な集団飼育箱で扱える小さな個体で、その世代時間(生殖の平均週齢)はおよそ2.5週と比較的短い (Crow and Chung, 1967)。いくつかのレプリカ集団を観察することで精度を高めることができる。gg 個体が幼虫のときに死ぬなど生殖週齢に達するまでに死亡する、すなわち s=1で実験から一つのパラメータを求めればよいような対立遺伝子を選ぶと、毎世代の g 対立遺伝子の頻度を観察することができる。さらに、この遺伝子頻度の減少傾向を示すデータからドミナンス h を推定することができる (Chung 1967)。
実験における集団箱には卵、幼虫、さなぎ、成虫などすべてが共存している。世代は重なっているのである。環境、すなわち飼育条件は一定であるが、必ずしも絶対的ではない。集団の大きさはかなり変動する。選択はホモ致死と強力である。それでも遺伝子プールについての飛び飛び型の世代模型で実際の現象をかなり正確に説明できるし、予測もできる。世代模型は統計学でいう頑健性 Robustness がある。
長い世代にわたって遺伝子頻度の変化を計算するには電算機プログラムによるのがよい。以下は選択係数 s=0.01のときの若干例である。ここでは特定の世代での遺伝子頻度を示す代りに、特定の対立遺伝子の頻度がある値から別の値になるまでの世代数を求めた。この表わし方の利点は以下にのべる。
遺伝子頻度 優性個体に有利
(h=0)劣性個体に有利
(h=1)優劣なし
(h=1/2)最初 最終 0.001 0.01 232 90,231 462 0.01 0.10 250 9,240 480 0.10 0.25 132 710 220 0.25 0.50 177 310 220 0.50 0.75 310 177 220 0.75 0.90 710 132 220 0.90 0.99 9,240 250 480 0.99 0.999 90,231 232 462
これからわかることは {理解を深めるため、受講者は上記の表をグラフにプロットすることをお勧めする} 、(1)まれな劣性対立遺伝子は選択が都合がよかろうが悪かろうが遺伝子頻度の変化は遅々たるものである。一方、優性対立遺伝子がまれなるときは遺伝子の変化は速い。(2)対称的に劣性対立遺伝子の頻度が高いとその変化は速く、優性対立遺伝子の頻度が高いと世代あたりの変化は遅くなる。このことから優生政策で、問題となる遺伝子がまれなる場合にはそれが劣性遺伝子であれば断種などあるいはその逆に保護などはほとんど効果があがらないことがわかる。逆に、頻度の高い劣性遺伝子あるいは頻度の低い優性遺伝子には効果があるかもしれない。(3)対立遺伝子が0に近い値から1に近い値までに変化する世代数は対立遺伝子が優性 (h=0) あるいは劣性 (h=1) の場合よりも相互優性 (h=1/2) の場合のほうが短い。
選択係数sが0に近いほど集団適応度wは1に近い値となる。このとき遺伝子頻度の世代あたりの変化を示す公式は左辺を
Δp≒dp/dt
で代用することができる。したがってここでの例では
dp/dt=spq{q+h(p-q)}
と表わせて、解析学の手法が利用できる。たとえば相互優性のh=1/2の例を取り上げると
dp/dt=sp(1-p)/2
この微分方程式は変数分離法で解くことができて、その解は
t=(2/s)ln{pt(1-p1)/p0(1-pt)}
ここにp0とptは遺伝子頻度の初期値と t 世代における値である。
たとえば s=0.01で p0=0.0から pt=0.99までに変化するのに要する世代数 t は (2/0.01)ln{(0.99)(0.99)/(0.01)(0.01)}=1838.05 であるが、離散的に計算した数値は 480+220+220+220+220+480=1840 であるから、近似的によく一致していることがわかる。
この公式はまた pt を t の関数として表わすこともできるが、上の公式で t が s に反比例していることに注目したい。すなわち s=0.01のときの変化が1840世代かかるのであれば、s=0.005のときはその2倍の3680世代かかる。この原理は優性の度合 h がどんな値であろうとも成立する。弱選択で、特定の対立遺伝子の変化に要する時間は選択係数 s で測った選択の強さに反比例する。
たとえばs=0.1で有利な優性対立遺伝子の頻度が0.10から0.50へ変化するのにどのくらいかかるかを知りたいとしよう。s=0.01のときは132+177=309世代で、s=0.1はs=0.01の10倍だから世代数は1/10の31世代である。
優性有利と劣性有利での対称性は、たとえば優性遺伝子が0.90から0.99へ変化するのに9240世代を要するのなら選択の方向を逆にして0.99から0.90へ変化するのにも9240世代かかるといういうことである。なぜならこの間に劣性遺伝子が0.01から0.10へと変化している筈だからである。
古生物学の記録から推測すると、進化の上での変化の多くはたいへんゆっくりしたものである。その速度は s の平均の値が非常に小さい値、0.001以下であることを示している。非常に速い進化のいくつかの例では、人間が意識的あるいは無意識的に介入していることがしばしばである。
工業暗化。19世紀にイングランドの一部で産業革命が急速に広がった。その結果、煙やすすが環境にばらまかれるようになった。樹木の幹に生える白い地衣類のあるものは煙に対する感受性から死に絶え、黒色の樹皮が残った。さらに煙それ自体が樹皮を黒くした。これに応じてこれらの樹木に棲むある種の蛾は明るいまだら模様から暗い色へと変化した。この色の相違は一つの優性突然変異が原因であった。ある地域でこの対立遺伝子の頻度が0.01以下から0.90以上へと変化した。この蛾の1世代は1年である。したがってこの増加は35世代に0.01から0.90へと変化したことを示している。s=0.01ならこの変化には250+132+177+31+710=1579世代を要する。35世代でのこの大きな変化は選択係数 s が(1579/35)(0.01)=0.45であることを意味する。このおおよその計算はおおざっぱなものであるが、大方の見当はつくし、データ (Kettlewell 1955) は確かである。あきらかにこの時期の選択係数は大きく、ほぼ s=0.5である。選択圧 selection pressure の大部分は鳥である。鳥が明るい幹から暗い色の蛾を、暗い地衣類の幹から明るい色の蛾を見つけ出して啄ばむのが直接観察された。
急速な選択による変化のよく知られた例として殺虫剤抵抗性がある。DDTの散布後しばらくはよく効くが、繰り返し散布すると効果がなくなった話はよく聞く。抵抗性の昆虫が現れたとき、多くの観察者にとって抵抗性昆虫の数の増加率は最初ゆっくりで、後に急速に数を増すことが不思議であった。この講義の受講者の皆さんはもはやこの事実に驚かない筈である。対立遺伝子頻度がまれなとき、その頻度は非常にゆっくり変化する。それが0.1ぐらいになると変化速度はずっと速くなる。抵抗性の昆虫の最初の増加率は、その対立遺伝子が劣性ならばきわめてゆっくりであるが、優性あるいは部分優性でもかなりゆっくりである。
非常に長い期間にわたる古生物学的変化を観察した場合、しばしば同じ系統で時代によって変化速度が大きく違っていることがある。長いあいだ変化のみられない時期が何度かあり、それに突然の変化の起きた時期が介入する。古生物学者にとって突然と思えても長い世代を要するので、集団遺伝学者にとっては長い時間かも知れない。進化が長い静けさと突然の飛躍という分断平衡 disrupted equilibrium であったのか、あるいは飛躍は化石記録の不完全さという人為的なものなのか、議論のあるところである。