9.「 組換え家畜の実用化が提起する問題」

組換え家畜の実用化が提起する問題

組換えDNA技術が加わった生殖工学の進展は、遺伝子改変動物の作出技術を生み出し、この20年間に数多くの組換え家畜の開発につながった。用途別に見ると、医学分野では医薬品を製造する動物工場、異種移植用の豚、疾患モデルの豚などが作出され、一部は実用化の段階に達している。一方、農業分野では、肉質を改善した豚、ミルクのカゼイン含量を増加させた牛、乳房炎のような疾患に抵抗性の牛などの開発が進んでいる。
家畜ゲノム研究の進展により、このような組換え家畜開発の動きはさらに加速されることが予想される。しかし、作出されてくる組換え家畜が当然のことながら実用化を目的としたもの、という点についての議論はほとんど行われないまま、研究の進展だけがはかられているように思える。組換え家畜の実用化に際しては、これまで我々が取り組んだことのない、次のような新しい問題点が存在していることを認識するべきと考える。
第一は、組換え家畜由来の食品の安全性である。日本では受精卵クローン牛の食肉が市場に出回っていたことから体細胞クローン牛を含めて、クローン牛の食品としての安全性が問題になった。この場合、クローン技術の応用が先行し、食品としての安全性はまったく考慮されていなかったことが、事態を混乱させたのである。
今年の1月6日に京都で開かれた「家畜の生殖工学技術と食の安全性に関する国際シンポジウム」では、クローン動物由来食品の安全性についてのリスク評価が取り上げられ、食肉やミルクについて、クローン動物と通常の動物の間での比較のための、さまざまなアプローチが、数カ国から紹介された。米国食品医薬品局(FDA)は、昨年12月にクローン動物由来食品の安全性について、700ページ近い報告書を発表したが、その担当者は、組換え家畜の食品としての安全性はまったく別の問題として、個別審査で対応することになると述べていた。一方、このシンポジウムとは別に、英国の遺伝子改変生物に関するガイダンス(2000年)では、食用を目的として遺伝子改変動物の開発を行う場合には、早い時期にその問題を取り扱う諮問委員会に相談するよう勧告している。いずれの場合も、食品としての安全性が新しい問題という認識を示しているのである。
第二は、動物福祉である。日本では、動物福祉、動物倫理、動物愛護といった言葉が入り乱れているが、これらは同義語ではない。動物福祉は、動物実験により得られる恩恵が、動物の受ける苦痛を上回る場合には動物実験を認めるという、功利主義にもとづいた概念であって、ヨーロッパでルネッサンス以後、動物実験が盛んになるとともに起きてきた動物実験反対運動に対抗して生まれたという、長い歴史的背景を持っている。近年では、成長ホルモン遺伝子を導入した豚が予期しない種々の病気にかかったことから、組換え家畜における動物福祉が問題になっている。また、クローン技術を開発したイアン・ウイルマットは、難病の疾患モデルの羊について、長期間にわたって苦しみを伴う動物は、動物福祉面からの問題があることを指摘している。
日本では、明治時代に実験動物が欧米から輸入されたが、その際に動物福祉の概念は輸入されなかった。1974年には「動物の保護および管理に関する法律」が施行されたが、ここでは動物福祉の概念は不明瞭で、「人間のために行う動物の保護」の感が強かった。実験動物の分野では、1980年代になって動物福祉の概念が導入されたが、現在では動物愛護という法的枠組みの下になっている。実験動物とは異なり、家畜は古くから日本人が慣れ親しんできた動物である。日本独自の愛護の概念をどのように組換え家畜にあてはめるのか、今から考え方を整理しておくことが必要であろう。さもないと、独創性に富んだ組換え家畜が生まれても、国際的に理解されにくい事態が生じるかもしれない。

Techno Innovation Vol. 17, No.1, 2007

(発行:社団法人・農林水産先端技術産業振興センター、電話03-3586-8644)
特集号「動物ゲノム・インダストリーの創出」の巻頭エッセイを転載