2018年9月9日、突然、岐阜での豚コレラの発生が確認された。豚コレラは、明治20年(1887)に最初の発生が起こり、明治41年(1908)には沖縄と関東で2万頭という大発生があった。終戦後は、毎年5000〜25000頭が発病していた、重要な家畜伝染病だった。しかし、この病気は、26年間発生がなかったため、世間ではすっかり忘れられていた。
私は、1950年代、北里研究所で、天然痘ワクチン、鶏痘ワクチン、牛流行熱ワクチン、および豚コレラワクチンの製造に参加していた。豚コレラワクチンは1930年代に米国で開発されたもので、終戦後、GHQの指示で導入されていた。発病極期のブタの血液にクリスタルバイオレットを加えた不活化ワクチンで、製造の際に、もっとも強毒のALD株豚コレラウイルスを接種され、発病したブタの臨床経過を数多く見てきた。
豚コレラは、フラビウイルス科ペスチウイルス属のRNAウイルスによるブタの致死的病気で、高熱や下痢などの症状を示し、致死率は子ブタでは100パーセントに達することもある。これは野生のイノシシに潜んでいるウイルスで、19世紀からブタへの感染を起こしてきた。近代養豚でブタの品種改良の進展とともに、豚コレラウイルスへのブタの感受性が高まり、養豚に大きな被害を与えるようになったと考えられている。
豚コレラは米国での呼び名hog choleraの和訳である。正式名称は、classical swine fever(古典的ブタ熱という意味)である。classicalというのは、アフリカ豚コレラ(African swine fever)という、DNAウイルスによるブタの致死的感染症と区別するためである。
豚コレラウイルスは、ブタの精巣細胞で増殖するが、細胞変性効果(CPE)を示さず、ウイルス量の測定が出来なかった。家畜衛生試験場(現・農研機構動物衛生部門)の熊谷哲夫は、豚コレラウイルスに感染した細胞に、CPEを示すニワトリのニューカッスル病ウイルス(NDV)を接種すると、NDVのCPEが強くなることを発見した。普通、重感染したウイルスは抑制されるはずだが、豚コレラウイルスは逆に増強していたのである。このユニークな性状は昭和33年(1958)、『サイエンス』誌で報告された。
そこで、ブタの細胞、ウシの細胞、さらにモルモットの腎臓細胞でALD株ウイルスを継代しているうちに、増強効果のない変異ウイルスが出現した。このウイルスが弱毒であることが分かり、安全性、有効性ともにすぐれた生ワクチンが開発された。
このワクチンの接種が、昭和44年(1969)から開始され、発生は激減した。そして、1992年熊本県での発生を最後に、発生はなくなった。そこで、農林水産省は1996年からワクチンを用いない防疫体制を目指して豚コレラ撲滅計画を始めた。ワクチンを接種すると自然感染との区別ができないため、2006年にはワクチン接種を完全に中止し、2007年世界動物保健機関(OIE)から、豚コレラ清浄国に認定された。しかし、岐阜での発生を受けて、9月3日から、清浄国のステータスは中断された。
岐阜では、ブタだけでなく野生のイノシシでの感染が確認された。撲滅計画の際、昭和57年(1982)に筑波山麓で1頭の瀕死状態のイノシシで感染が確認されたことがあり、その後、2500頭のイノシシで抗体調査が行われ、野生のイノシシでの存続はないと結論された。
EU加盟国では1990年にワクチン接種が禁止され、ほとんどの国が清浄国になったが、バルト海沿岸国(ラトビアとリトアニア)ではイノシシからの感染が続いている(15)。
現在、清浄国は35カ国が認定されている。アジアで清浄国に認定されているのは、日本だけである。今回のウイルスはモンゴルで2014年、中国で2015年に、それぞれ分離されたウイルスと遺伝子構造が良く似ている。豚コレラウイルスは、豚肉など畜産物の輸入、旅行者による畜産物の違法な持ち込みなどを介して侵入するため、日本は危険な状態の下で4半世紀を無事に過ごしてきたのである。
米国は40年以上、カナダは50年以上清浄国になっている。北米自由貿易協定を結んでいるメキシコは、2015年に清浄国に認定された。しかし、中米ではウイルスが常在している。世界最大のブタ肉輸出国である米国では50万頭以上を飼育する巨大農場が9カ所もあるという。豚コレラ侵入にどのような対策が行われているのだろうか。
口蹄疫では、殺処分による大きな経済的被害に加えて、家畜福祉の視点から、マーカーワクチンが開発されている。これは、現行のワクチンからウイルスの非構成タンパク質(non structural protein: NSP)を除去したワクチンで、NSPに対する抗体の有無で感染とワクチンの区別ができる(本連載24回)。OIEの国際動物衛生規約では、清浄国で口蹄疫が発生した際の対策として、マーカーワクチンを接種し、NSP抗体陽性牛だけを殺処分する方式が認められている。なお、2010年の宮崎の発生で用いられたワクチンはマーカーワクチンだったが、ワクチン接種牛もすべて殺処分された。
豚コレラでも、同様にマーカーワクチン接種方式がOIEの規約に記載されている。豚コレラのマーカーワクチンの開発は、EUでの撲滅計画の最中、1997年にオランダで、約900万頭のブタの殺処分、直接的被害だけで23億ドル(約2500億円)に達した豚コレラの発生がきっかけで、急速に進展し、現在、2つのマーカーワクチンがEUでは承認されている。ひとつは、オランダで開発された豚コレラウイルスの被膜(エンベロープ)タンパク質のサブユニットワクチンである。もうひとつはドイツで開発されたもので、豚コレラウイルスと同じペスチウイルス属の牛ウイルス性下痢症ウイルスの生ワクチンのエンベロープタンパク質を豚コレラウイルスのエンベロープタンパク質に置き換えたキメラワクチンである。このワクチンは経口接種できるので、餌に混ぜて野生のイノシシ対策への利用も検討されている。
文献
山内一也:「どうする・どうなる口蹄疫』岩波書店、2010.
清水悠紀臣:日本における豚コレラの撲滅.動衛研研究報告、119、1-9、2013.
Brown, V.R. & Bevins, S.N.: A review of classical swine fever virus and routes of introduction into the United States and the potential for virus establishment. Front. Vet. Sci., 05 March 2018.
https://doi.org/10.3389/fvets.2018.00031
Blom, S., Staubach, C., Henke, J. et al.: Classical Swine Fever—An Updated Review. Viruses 2017, 9, 86; doi:10.3390/v9040086.
追記
米国では、ドイツで開発されたキメラワクチンがマーカーワクチンとして備蓄されている。ほかに、通常のワクチンとして中国C(Chinese)株ワクチンが備蓄されている。これは、1950年代にウサギで継代して開発された弱毒生ワクチンで、世界中でもっとも広く用いられてきているものである。
なお、116回で紹介した新刊書「ウイルスの意味論」では、コラム「豚コレラ すぐれたワクチンがありながら、なぜ殺処分されるのか?」(p. 225-226)で、C株ワクチンもマーカーワクチンに含めたが、これは誤りで、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)により流行ウイルスとの鑑別可能になっているが、マーカーワクチンとして用いられてはいない。
Brown, V.R. & Bevins, S.N.: A review of classical swine fever virus and routes of introduction into the United States and the potential for virus establishment. Front. Vet. Sci. (2018) 5: 31.
Hai-min Li, Zi-yin Zhao, Kang-kang Guo, et al. (2017) Differentiation of virulent Shimen and vaccine C strains of classical swine fever virus by duplex reverse-transcription polymerase chain reaction, Biotechnology & Biotechnological Equipment, 31:5, 880-885, DOI: 10.1080/13102818.2017.1355263.