119.野生イノシシに接種する経口豚コレラワクチン

岐阜の養豚場で発生した豚コレラは、野生のイノシシに感染し、愛知、長野、滋賀、大阪の養豚場にも広がった。豚コレラウイルスは野生イノシシの間で定着したと考えられるため、政府は野生イノシシへのワクチン接種を始めることになった。

野生動物へのワクチンが開発されているのは、狂犬病と豚コレラだけである。野生動物には、直接、ワクチンを接種することはできないため、ワクチンは餌に加えて散布される。最初の野生動物用ワクチンは、ワクチニアウイルスに狂犬病ウイルスのエンベロープタンパク質を発現させた組換え狂犬病ワクチンで、餌に加えて散布する経口ワクチンである。これは、1990年代前半から、フランス、ベルギーを初めとしてヨーロッパ諸国でキツネの狂犬病の制圧のために行われた。米国とカナダでは、アライグマの狂犬病対策で、同じワクチンが散布されている。

経口狂犬病ワクチンの経験にもとづいて、豚コレラでも1992年に、イノシシへの経口ワクチンの大規模な接種が、ドイツ・ザクセン州で初めて行われた。それ以後改良を加えながら、ドイツ、フランス、スロバキア、ブルガリア、ルーマニア、ラトビアなどでワクチン接種が行われてきた。

経口ワクチンにはC(Chinese)株ワクチンが用いられている。これは、1950年代半ばに中国農業科学院ハルビン獣医研究所(当時、東北人民政府獣医科研究所)で開発されたもので、ウサギ継代により弱毒化した生ワクチンである。120回で紹介するように、これは満州国の時代に活動していた奉天獣疫研究所の遺産ともいえるものである。

開発された当時、豚コレラワクチンは不活化ワクチンが主流だった。日本では1928年からホルマリン不活化ワクチンが用いられていたが、114回で紹介したように、終戦後、GHQの命令で、米国のクリスタルバイオレットによる不活化ワクチンに切り替えられていた。当時、欧米ではいくつかの弱毒生ワクチンも開発されていたが、副作用が強かった。C株ワクチンは1960年代に共産主義国の東欧諸国に配布された。その後、副作用が弱かったことから、ヨーロッパ諸国を初め、世界各国で用いられてきた。国によって”K”, “CL”, “LC”(L: lapinized)といった名前で呼ばれている。半世紀にわたる使用で、有効性と安全性が確かめられている。

経口豚コレラワクチンは、豚と捕獲したイノシシでの検討にもとづいて、開発された。香料としては、リンゴ、トウモロコシ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、トリュフ、ジャガイモが試験された。イノシシは動物性より植物性の餌、とくにコーンミールを好むことが明らかにされた。

現在の経口豚コレラワクチンは、ドイツのワクチンメーカー、IDT Biologikaが製造しており、日本でもこれが用いられることになっている。ワクチンは、コーンミール、パラフィン、粉ミルク、アーモンドをココナツ油で固めたビスケット状の餌(40 mm x 40 mm x 15mm)で、ブタ胎児細胞株で増殖させたワクチンウイルス1.6 ml(104感染単位以上)が、アルミ箔に包まれて、挿入されている。

このビスケットは30℃位で溶けるため、気温が高い地域には適していない。ワクチンの散布は、地域の気候条件で異なるが、一般的には、春(2月から4月)、夏(5月から6月)、秋(9月から11月)の3つの時期に、それぞれ4週間間隔で2回ずつ行うことになっている。日本でも、ほぼこの方式になると思われる。

イノシシがこの餌を食べると、アルミ箔の包みが噛み破られて液状のワクチンが流出し、リンパ組織である扁桃からワクチンウイルスが感染して、免疫が成立する仕組みになっている。そのために、餌のサイズが重要で、小さすぎると、ワクチンの包みが噛み破られず、そのまま飲み込まれてしまう。また現在の餌のサイズの餌は、4ヶ月令以下の子どものイノシシには大きすぎる。

文献

山内一也:エマージングウイルスの世紀。河出書房新社、1997.

山内一也:地球村で共存するウイルスと人類。NHK出版、2006.

Qui, H., Shen, R. & Tong, G. : The lapinized Chinese strain vaccine against classical swine fever virus: A retrospective review spanning half a century. Agricultural Sciences in China. 5, 1-14, 2006.

Moennig, V.: The control of classical swine fever in wild boar. Front. Microbiol., 6, article 1211, 2015.

Rossi, S., Staubach, C., Blome, S. et al. : Controlling of CSFV in European wild boar using oral vaccination: a review. Front. Mcicrobiol., 6, article 1141, 2015.