マイアミ大学歴史学教授Amanda McVety著“The Rinderpest Campaigns. –A Virus, Its Vaccines, and Global Development in the Twentieth Century”を翻訳して、5月にみすず書房から上梓しました。国際関係に関する用語については、城山英明東京大学法学部教授にご協力いただきました。
日本経済新聞6月27日版に短評「強力な感染症と人類の闘い」、信濃毎日新聞7月18日版に県秀彦氏による書評「ウイズ・コロナ 重要な国際主義」、高知新聞7月19日版に山本太郎氏による書評「ウイルス根絶への闘い」が掲載されました。
本書の内容を紹介した、訳者あとがきを転載します。
訳者あとがき
本書は、牛の致死的ウイルス感染症である牛疫との一五〇年にわたる人々の戦いの物語である。「牛疫」の名前を知る人はきわめて少なく、「牛痘」と混同されることが多いが、牛疫は四〇〇〇年前のパピルスでの記述に出てくる古くからの病気で、農耕の重要な担い手の牛を全滅させて、飢饉をもたらしては、世界史をゆるがせてきた。獣医学および獣医師という職業の出発点、OIEの設立、アフリカの植民地化の促進など、数多くの歴史的出来事にも関わってきた。
牛疫は、二〇一一年に根絶が宣言された。これは、天然痘根絶に次ぐ偉大な成果である。天然痘はジェンナーの種痘を改良したワクチンで根絶されたが、牛疫の根絶は、蠣崎千晴博士の不活化ワクチンに始まり、エドワーズの山羊順化ワクチン、中村稕治博士のウサギ順化ワクチン、プローライトの耐熱性組織培養ワクチンと、それぞれの時代における最先端のワクチンを用いたことで達成された 。しかも、根絶には家畜の牛だけでなく、野生の偶蹄類を相手にしなければならなかった。それを可能にしたのは、二〇世紀におけるウイルス学の目覚ましい進展だった。しかし、複雑な国際情勢のもとでの根絶キャンペーンの成功は、科学だけでなく、さまざまな形の国際協力を必要とした。
マイアミ大学歴史学教授であるアマンダ・マクヴェティは、国際関係史を専門とする歴史家の視点から、本書で、牛疫との戦いが国際協力や国際組織の設立の原動力となってきた経緯を、膨大な資料にもとづいて、詳しく紹介している。しかも、単に歴史的経緯に留まらず、ウイルス学的進展との関わりについても、最新の知見も含めて、正確な情報を多く織り込んでいる。
本書では、牛疫との戦いで培われた生物学的技術を国家安全保障の文脈でとらえた見解も詳しく述べられている。とくに冷戦後では、直接、人間だけではなく、食糧供給を標的とした生物兵器として、牛疫が最重要候補になり、米国、カナダ、英国で検討された経緯や科学者と国防関係者の間での葛藤などが生々しく述べられている。日本ではそれ以前、戦時中に、風船爆弾に牛疫を搭載して米国を攻撃する計画が進められていた。しかし、日本だけでなく、欧米の科学者にも、牛疫を生物兵器として軍事利用する計画にためらいは見られなかった。
科学と軍事研究の問題は現在も続いている。二一世紀は、遺伝子の解読(読む)から合成(書く)する時代となり、そこで急速に進展した合成生物学が軍事研究でも注目されている。たとえば、マラリア制圧のために、遺伝子ドライブという最先端の遺伝子編集技術を利用して、マラリア媒介蚊を不妊にする研究コンソーシアムが発足しているが、これには米国防総省の国防高等研究計画局が参画している。ここは膨大な予算に支えられた治外法権の軍関係の研究組織で、遺伝子を改変した動植物の軍事利用に強い関心を寄せている。本書で紹介されている牛疫を防衛と攻撃に用いるという、生物学的研究成果のデュアルユース(軍民両用性)は、現代につながって、さらに複雑な問題を提起している。
アマンダの本書執筆には、私も資料の提供や議論を通じて三年あまり協力してきた。そのきっかけとなったのは、拙著『史上最大の伝染病・牛疫』(岩波書店、2009)だった。私は、旧友のテキサス大学教授フレッド・マーフィー(元・カリフォルニア大学獣医学部長、元・国際ウイルス学会長)に、この本の概要を英訳して送っていた。アマンダは、それをフレッドから見せてもらって、私に中村博士のワクチン研究や久葉昇博士の風船爆弾計画など、日本人科学者の活動について、情報提供を依頼してきたのである。
振り返ってみると、私の牛疫ウイルスとの付き合いは、一九六五年に国立予防衛生研究所(予研、現・国立感染症研究所)麻疹ウイルス部で、麻疹の発病メカニズムの研究のモデルとして、麻疹ウイルスの祖先と考えられる牛疫ウイルスを取り上げた時に始まった。
一九八〇年代、私が東京大学医科学研究所で牛疫ウイルスの遺伝子の解析を行っていた頃、アジア、アフリカでは牛疫根絶作戦が進んでいて、冷蔵設備を必要としない耐熱性の牛疫ワクチンが求められていた。大学卒業後、私が最初に取り組んだ研究は北里研究所での耐熱性天然痘ワクチンの改良だった。そこで、その際の経験を生かして、天然痘ワクチンに牛疫ウイルスの遺伝子を組み込んだ耐熱性組換え牛疫ワクチンを開発した。定年後は中村博士が創立された日本生物科学研究所を本拠として、このワクチンの実用化に向けて、インドや英国の研究所などと共同研究を行うかたわら、国連食糧農業機関(FAO)専門家、国際獣疫事務局(OIE)学術顧問として、牛疫根絶計画に参加してきた。こうして、二〇一一年の牛疫根絶宣言まで、約半世紀にわたって牛疫と関わってきたことになる。
私の研究人生は耐熱性天然痘ワクチンに始まり、耐熱性牛疫ワクチンで幕を閉じたといえる。その中で、牛疫ウイルスは私の研究パートナーとして尽きることのない興味を与えてきてくれた。米寿を迎えた今になって、牛疫が、これまで想像もしなかった形で、国際関係の歴史に深く関わってきたことを初めて知り、新たな興味がわくとともに、幸福感に浸っている。