麻疹は古くから人類を悩ませてきた。中国では、318年に麻疹もしくは天然痘と推測される記録があり、500年頃に出版された処方集の『肘後方(チュウゴホウ)』に麻疹と思われる病気の記載がある。日本では、奈良時代の天平9年(737)に発生した赤斑瘡(シャクハンソウ)が麻疹のもっとも古い記録とみなされる。これは、かつては天然痘とみなされてきたが、麻疹の可能性の方が高い。
麻疹と天然痘を医学的に最初に区別したのは、910年にペルシアの医師アブ・バクル・ムハンマド・イブン・ザカリヤー・ラーズィー(ラテン語ではラーゼス)が出版した『天然痘と麻疹に関する書物』だった。
1960年代後半、私が国立予防衛生研究所(予研)麻疹ウイルス部で、麻疹の発病機構の研究モデルとして、牛疫ウイルスのウサギ感染を取り上げた頃には、麻疹ウイルスと牛疫ウイルスが、性状、抗原性、病原性がきわめて近縁なことが、すでに十分に認識されていた。
1985年にカロリンスカ研究所のアーリング・ノルビー(Erling Norrby)は、モービリウイルス(麻疹ウイルス、牛疫ウイルス、イヌジステンパーウイルス)の抗原性をモノクローナル抗体で比較して、牛疫ウイルスがモービリウイルスの祖先という論文を発表した。ウイルスタンパク質の面からの推定である。
2010年東北大学の押谷仁教授のグループが、麻疹ウイルスと牛疫ウイルスのゲノムについて、分子時計による解析を行った結果、両ウイルスが分かれたのは、意外に最近で、11ないし12世紀という結果を報告した。この推定は、麻疹ウイルスのもっとも古いものとして、ジョン・エンダースが初めて分離したエドモンストン株(1954)、最近のウイルスとして2005年分離株などについて、約50年間の変異の速度をもとに、計算を行ったものであった。
ところが、2020年6月、ベルリンのロベルト・コッホ研究所のセバスチアン・カルビナック=スペンサー(Sébastien Calvignac-Spencer)のグループが、麻疹ウイルスの牛疫ウイルスからの分岐は、もっと古く、紀元前6世紀という成績を発表した。彼らは、ベルリンの医学歴史博物館の地下から1912年に麻疹で死亡した2歳の少女の肺のフォルマリン標本を見つけ、その組織から麻疹ウイルスのゲノムの回収を試みた。まず、フォルマリンにより結合していた高分子化合物を除去するために、組織サンプルを加熱し、核酸の抽出を行った。ついで、DNA分解酵素で処理してDNAを除去した。組織の中には、細胞由来と細菌由来のリボソームRNAが含まれているため、それらも除去して、残ったRNAの配列を解析したのである。そうして、1万あまりの麻疹ウイルス固有の遺伝子断片を見いだし、それらをつないでゲノムを構築し、その配列を決定した。
麻疹ワクチン接種は1960年代から始まっており、ワクチンによりウイルスの変異速度は変化するので、彼らは1960年以前にチェコのプラハで分離された2つの麻疹ウイルスについてもゲノムの配列を決定した。
これらのウイルスについて、分子時計で解析した結果、麻疹ウイルスと牛疫ウイルスは、紀元前6世紀(平均値:528年)に分岐したと推定された。押谷グループによる推定時期よりも、約1400年前になる。麻疹ウイルスが存続するには、25万ないし50万人の人口が必要とされる。新石器時代、青銅器時代、鉄器時代初期にはそれだけの人口密度は存在していなかった。紀元前千年紀の後期になると、ユーラシア、南および東アジアの人口は爆発的に増加した。紀元前300年には、バビロン、アテネ、ローマなど都市部の人口は麻疹の伝播に必要なレベルを超えていてと言われている。紀元前430年には、有名な“アテネの疫病”が起きていたが、これまではペストによるという説が一般的だった。しかし、これが麻疹による可能性もあると述べられている。
これまでは、古ウイルス学での対象はDNAウイルスに限られていた。しかし、2019年には、永久凍土の中から1万4300年前の氷河時代のイヌ科動物のRNAが分離されている。このような技術の進展により、適した環境に保存されたミイラなどから、古い麻疹ウイルスのRNAが分離できる可能性がある。
参考文献
山内一也:『はしかの脅威と驚異』岩波書店、2017.
Furuse, Y., Suzuki, A. & Oshitani, H. Origin of measles virus: divergence from rinderpest virus between the 11th and 12th centuries. Virol J 7, 52 (2010).
Düx, A. et al.: Measles virus and rinderpest virus divergence dated to the sixth century BCE. Science 368, 1367-1370, 2020.
Smith O. et al. (2019) Ancient RNA from Late Pleistocene permafrost and historical canids shows tissue- specific transcriptome survival. PLoS Biol 17(7): e3000166.