麻疹ウイルス(MV)、イヌジステンパーウイルス(CDV)、牛疫ウイルス(RV)の3つは、古くから、同じ起源のウイルスと推定されてきた。本講座125回では、MVは紀元前6世紀頃にRVが人に感染した結果生まれたという推測を紹介した。
MVとCDVの性状は非常に良く似ている。2006年には、中国広東省のアカゲザル繁殖施設でCDV感染の大発生が起こり、2008年には北京の動物センターでも起きた。日本では2008年、中国から輸入したカニクイザルでCDVの致死的感染が起きている(1)。この両方の発生を合わせると約1万頭が発病し、致死率は5〜30%になった。一方、欧米では麻疹ワクチンが子犬のジステンパー予防に用いられている。生後間もない時期には母親からの移行抗体のためにジステンパーワクチンは効果がないが、麻疹ワクチンは免疫を付与できるためと言われている。
CDVは新大陸でMVが犬に感染した結果生まれた(2)
ジョージア大学獣医学部のエリザベス・ウールらは、2019年に、CDVは新大陸で犬がMVに感染して生まれたという仮説を提唱した。彼らは、新大陸と旧大陸での発生状況の歴史的考察、犬の歯に残るCDV感染の痕跡についての古ウイルス学的検討、ウイルス遺伝子の分子生物学的比較といった学際的洞察を行った結果、16世紀初めに旧大陸から新大陸に持ち込まれたMVが、人から犬に感染して、1730年代にCDVに進化し、1760年代にヨーロッパの犬に持ち込まれたと考えている。その見解の要点を整理してみる。
①歴史的記録を調べると、1735年、フランス科学アカデミーによる測地遠征隊のメンバー、アントニオ・デ・ウロアがエクアドルとペルーの旅行中にジステンパーを観察していた。これが最初のジステンパーの報告である。コロンブスは、1493年にかなりの数のヨーロッパ犬を新大陸に持ちこんでいた。1500年から1600年代、在来犬や、英国原産のグレイハウンドやマスチフ犬などが飼育されていたが、この時代には、ジステンパーのような病気の記録は見つかっていない。
②子犬がCDVに感染すると、歯の表面に存在するエナメル質の形成が阻害されやすい。ジステンパー常在地では2-20%の犬にエナメル質形成不全の病変があると推定されている。米国バージニア州には、コロンブス以前の犬の骨格標本の世界最大のコレクションがある。ここの96頭の犬の永久歯2335本を調べた結果、CDVに特徴的なエナメル形質不全は1例も見つからなかった。1030年から1324年のペルー犬42頭の歯でも見つからなかった。この結果は、ヨーロッパ開拓者が到着する以前、新大陸にCDVが存在していなかったことの証拠のひとつとみなされた。
③新大陸での麻疹は、1517年にサントドミンゴで最初に報告され、1519年にグアテマラ、1529年にキューバで流行した。南米では1531年に始まり1800年代まで流行を繰り返していた。エクアドルでは1531年と1618年の間に約13年間隔で、7回の流行が起こり、人口が急激に減少した1700年代まで続いていた。ちょうど、その頃にウロアはジステンパーを見つけていたのである。先住民は麻疹にかかったことがなかったため、多くの人が麻疹にかかり、死亡した。麻疹の流行は、在来犬や、先住民を攻撃するように訓練されたスペイン軍のマスチフなどの軍用犬に、麻疹で死亡した人たちの死体を餌とする機会をもたらし、その結果、犬は多量のMV に曝されていた。
④タンパク質は20種類のアミノ酸から構成されている。1個のアミノ酸は、4個の塩基(ATGC)のうちの3個の塩基の並び順で決められている。この3個の塩基の組み合わせはコドンと呼ばれるが、20種類のアミノ酸に対して64(43 )種類のコドンがあるため、1:1 の対応ではなく、多いものでは、1個のアミノ酸を6個のコドンが対応する場合もある。特定のアミノ酸に対するコドンの使用頻度は動物種により、また同じ動物種の間でも異なる。ウイルスのタンパク質が産生される際には、宿主の合成機能が利用されるため、ウイルスタンパク質でのコドンの使用頻度は宿主の仕組みに対応している。CDVの6種類の構成ウイルスタンパク質のコドン使用頻度のパターンを比較した結果、いずれも犬よりも人のパターンにもっとも似ていた。このことは、人に順化したMVからCDVが生まれた可能性を示唆している。
⑤MV、CDVともに、細胞に感染する際の受容体として、SLAMとネクチン4を利用している。人と犬のネクチン4は、ほとんど同じアミノ酸配列で、CDVは人のネクチン4を介しても感染する。また、人のSLAMの1個のアミノ酸が変異するだけで、CDVは感染できるようになる。
これらの成績を総合して、旧大陸から新大陸に持ち込まれたMVが、犬に感染してCDVが生まれたという結論になったのである。そして、CDVは旧大陸に持ち込まれたというわけである。
ヨーロッパでのCDV の最初の発生はジェンナーの時代 (3)
ヨーロッパでのジステンパーは1759年に英国で初めて報告された。南米での発生より20年後になる。あまり知られていないことだが、ジェンナーは初めて種痘を行った1796年の実験ノートに、ジステンパーで死亡した4頭の犬の解剖記録を書いていた。これは当時、まったく新しい病気だったのである。
彼は、牛痘種痘によりジステンパーも予防できると考えていた。1809年に、彼の代わりに、甥のジョージ・ジェンナーがロンドンの医師・外科医師協会で発表した論文「犬のジステンパーに関する観察」では、「すべての犬はジステンパーにかかりやすく、犬舎の半分は死亡する。犬は牛痘にも感受性を持っているが、症状は軽く死ぬことはない。そこで、牛痘により将来かかることを防ぐ可能性がある。43頭の子犬について種痘を行った結果、一頭も死ぬことはなく、すべてに免疫が与えられた。」と述べていた。
コウモリ→牛(RV)→人(MV)→犬(CDV)と種を越えて進化してきたウイルスの新しい側面といえよう。
- Sakai, K., Nagata, N., Ami,Y. et al.: Lethal canine distemper virus outbreak in cynomolgus monkeys in Japan in 2008. J. Virol., 87, 1105-1114, 2013.
- Uhl, E.W., Kelderhouse, C., Buikstra, J. et al.: New world origin of canine distemper: Interdisciplinary insights. Int. J. Paleopathol., 24, 266-3278, 2019.
- 山内一也:近代医学の先駆者・ハンターとジェンナー.岩波書店、2015. 114.