天然痘の根絶が最終段階に入った1974年、WHOは次の根絶の標的のひとつとしてポリオをとりあげ、ワクチン接種拡大計画を始めた。1988年には、世界保健総会でポリオの根絶が決議され、世界ポリオ根絶イニシアチブが開始された。
その結果、ポリオは根絶の最終段階となっている。しかし、根絶に用いられた生ワクチンのウイルスによるポリオの発生が広がって、あらたな問題を提起している。このワクチン由来ウイルスに対して、ワクチンの弱毒性の仕組みについて蓄積された知見にもとづいて遺伝子改変された弱毒ワクチンが、臨床試験が終了する前に緊急使用されることになった。
ポリオウイルスの特徴
ポリオウイルスは、ピコルナウイルス科、エンテロウイルス属、エンテロウイルスC種に分類される1本鎖のRNAウイルスである。ポリオウイルスは口から侵入し、主に腸内にあるパイエル板と呼ばれるリンパ組織で増殖して糞便とともに排出されて、周囲に感染を広げる。ほとんどの場合、無症状で終わるが、200人に1人位で、血液中のウイルスが中枢神経系に侵入して、脊髄前角の運動神経細胞で増殖し、四肢の麻痺を特徴とするポリオを引き起こす。
ポリオ根絶計画で重視されるようになったワクチン由来ポリオウイルス
ポリオ根絶で広く用いられた経口ポリオワクチンは、アルバート・セービンが1950年代に開発したワクチン(以下セービン・ワクチン)で、これは経口投与という簡単な方式で容易に接種でき、費用が安くすみ、しかも、糞便に排出されるワクチン・ウイルスが免疫のない人たちに感染して、間接的なワクチン接種で免疫が広がるという利点があった。ポリオウイルスには3つの型があるが、そのうち、2型ウイルスによるポリオは1999年の報告を最後に発生は見られず2015年に根絶が宣言された。3型ウイルスによるポリオは2019年に根絶が宣言された。最後にナイジェリア、アフガニスタン、パキスタンの3カ国で1型ウイルスによるポリオが残っていたが、ナイジェリアでの排除が確認されて、2020年8月25日、アフリカでのポリオ根絶が宣言された(1)。世界的根絶までに、残すは2カ国だけとなっている。
しかし、野生型ポリオウイルスによるポリオが根絶されても、人々の間で循環しているワクチン由来ポリオウイルス(cVDPV: circulating vaccine derived poliovirus)の広がりを阻止しなければ、ポリオという病気はなくならない。
セービン・ワクチンは、野生型ポリオウイルスと同様に腸内で増殖しているうちに、毒性をふたたび獲得したウイルス(毒性復帰株)に変異して、糞便とともに排出されることがある。そのため、セービン・ワクチンの間接的な接種という利点は、一方でワクチン・ウイルスが人々の間で広がり続けているうちに、毒性復帰ウイルスが出現して、麻痺性ポリオの発生を招くおそれが残っているのである。
2014年、WHOは野生型ポリオとcVDPVの国際的広がりに対して、「国際的に懸念される公衆衛生上の危機」を宣言していた。cVDPVは、ほとんどが2型ワクチン由来のウイルスである。cVDPVの急激な増加の背景には、2015年に2型ウイルスが根絶されたことから、2016年に2型ワクチンの接種が全世界で中止されたことがある。2020年5月までに、21カ国(アフリカ地域、地中海東岸地域、西太平洋地域)で49回の発生が報告されている。これは、ワクチン接種が中止される前から循環していたワクチン・ウイルスが、広がってきたものである。2020年には、前の年の4倍に達する460例のcVDPVによるポリオが発生している。ひとつの症例の背後には約2000例の感染が存在すると推定されているので、感染はかなり広がっているとみなされる。現在、cVDPVは、アフガニスタン、パキスタン、フィリピン、マレーシア、イェーメン、アフリカ19カ国にわたっていて、とくにチャド、コンゴ民主共和国、コートジボワールでは最悪の状態になっている(2)。
新しい2型経口生ポリオワクチン(nOPV2)の開発
従来のセービン・ワクチンは、cVDPVの広がりを阻止できるが、新たなcVDPVを産み出すという逆効果もある。そこで、ビル及びメリンダ・ゲイツ財団から1億5000万ドルの資金提供を受けて、グローバルな非営利財団PATHの調整の下、イギリス国立生物学的製剤研究所(NIBSC)、カリフォルニア大学サンフランシスコ分校、CDC, FDAの共同研究グループは、毒性復帰を起こさないよう遺伝子改変を行った新しい経口2型ポリオワクチン(nOPV2)を開発している。
これまで、生ワクチンは動物や細胞での継代により、偶然出現してくる弱毒ウイルスを選んで開発されてきた。nOPV2は、理論的根拠に基づく遺伝子改変で作出された、最初の生ワクチンである。長年にわたるポリオ根絶計画では、数多くのワクチン由来ウイルスが分離され、それらの遺伝子構造と毒性の関連について、多くのデータが集められている。それらのデータの解析を通じて、cVDPVが進化して毒性を示すようになる道筋についての解明が進み、そこで明らかにされてきた弱毒性の分子的仕組みに基づいて、nOPV2は開発されたのである。
nOPV2のコンセプトを一応紹介するが、かなり複雑なので、読み飛ばしていただいても構わない。
ポリオウイルスのゲノムには、先端(上流)から、タンパク質に翻訳されない領域(非翻訳領域)、ウイルス粒子を構成するタンパク質(構造タンパク質)の領域、ウイルス粒子に取り込まれないタンパク質(非構造タンパク質)の領域の順に、遺伝情報が並んでいる。ワクチンとして抗体産生を誘導するのは、構造タンパク質のうち、ウイルス粒子表面の殻(カプシド)のタンパク質である。nOPV2では、構造タンパク質領域はそのままで、非翻訳領域と2つの非構造タンパク質(2Cと3D)領域で、以下の3つの改変により、温度感受性が安定に保たれるようデザインされている(3, 4)。
① セービン・ワクチンの弱毒マーカーとして、温度感受性という性状が古くから知られている。このワクチン・ウイルスは、35℃では野生型ポリオウイルスと同様に増殖するのに、高温(40℃)では野生型ウイルスと違って、ほとんど増殖しないという性状である。温度感受性は、非翻訳領域の一部(ドメイン V)における1個の塩基の変異によると考えられているため、ドメイン Vの構造を安定化させるよう改変されている。
② 毒性復帰の別の仕組みとして、ワクチン・ウイルスとほかのエンテロウイルスCとの遺伝子組換えがある。ポリオウイルスの仲間のエンテロウイルスCでは、10以上のタイプのウイルスが人に感染している。これらのエンテロウイルスCと組換えを起こすと、ワクチン・ウイルスは温度感受性の性状を失って毒性を示すようになるおそれがある。そこで、非構造タンパク質の2C領域の中のcre(cis-acting replication element)と呼ばれる配列を破壊して、非翻訳領域に部分的に変異を入れたcreをドメイン Vの前に組み込んで、温度感受性が失われないようにしている。
③ これら2つの改変に加えてさらに、抗ウイルス剤のリバビリンの存在下で3D領域における変異が容易に起きない、遺伝的に安定したウイルスが選ばれている。
WHOにより緊急使用が初めて承認されたnOPV2
nOPV2の第1相臨床試験の成績は2019年に報告された。第2相試験は、パナマでの試験が終わり、2020年10月からバングラデシュでの試験が始まっている。第2相試験の終了を待たずに、WHOは流行地での緊急使用を11月13日に承認した。インドネシアのバンドンに本拠があるバイオファーマは、すでに1億6000万ドーズのワクチンを製造しているという (5)。
2018年にコンゴ民主共和国でのエボラ出血熱では、WHOは未承認のワクチンを人道上の理由から研究プロトコルに従って使用を許可したことがあった。今回の緊急使用の承認の仕組みは「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」に対して設けられたもので、診断薬では、エボラ出血熱、ジカ熱、COVID-19の迅速診断法で適用されてきた。しかし、ワクチンでは初めてである。そして、これがCOVID-19ワクチンの緊急使用への道を切り開くのではないかと期待されている。
近代ワクチンの歴史を作ってきたポリオワクチン
ジェンナーに始まった古典的ワクチンは、第2次世界大戦後に、近代ワクチンとして引き継がれた。その先達となったのは、ポリオワクチンであった。1948年、ジョン・エンダースらがポリオウイルスをヒトの組織培養での分離に初めて成功し、試験管内でウイルスを取り扱うことが可能になった。1955年には、組織培養で作製されたソークの不活化ポリオワクチンの接種が全米で一斉にスタートした。しかし、カッター社製のワクチンの中に、不活化されずに生き残ったポリオウイルスによる麻痺が発生し、4万人に一過性のポリオ、51名に麻痺、5名が死亡というカッター事件が起きた。これを契機に、米国国立衛生研究所には生物学的製剤部が設立され、ワクチンの厳密な品質管理体制が生まれた。現在、全世界で行われている、検定基準によるワクチンの品質管理はこの時に始まったのである。
不活化ポリオワクチンは、近代ワクチンの第1号となったが、有効性や免疫持続が不十分なため、自然感染と同様の免疫が付与される生ワクチンへの期待が高まっていた。アルバート・セービンは、組織培養技術を改良した、細胞培養でポリオウイルスを継代して、サルで神経毒性を示さないウイルスを選びだして、経口生ワクチンを開発した。しかし、大規模な臨床試験は、米国ではソーク・ワクチンにより免疫のある人が多かったためで実施できなかった。ロシアの領土だった時代にポーランドで生まれ、米国に移住していたセービンは1955年、ソ連政府の強力な支援を得て、ソ連と東欧で、総計1億1500万人で接種試験を行い、実用化に成功したのである。(6)。
日本における近代ワクチンの歴史もまた、1961年、国立予防衛生研究所にポリオ研究とポリオワクチン検定のために腸内ウイルス部が設立されたことで始まった。同じ年、世論に押されて政治決断により、セービンワクチン1300万人分がソ連とカナダから緊急輸入された。それと同時に、現在のワクチンの品質管理体制が確立された (7)。
そして21世紀、従来の生ワクチンのような経験と偶然から脱却して、ウイルスの遺伝子の機能に基づいてデザインされた最初の生ワクチンとして、nOPV2が生まれたのである。
文献
1. WHO: Global polio eradication initiative applauds WHO African region for wild polio-free certification. https://www.who.int/news/item/25-08-2020-global-polio-eradication-initiative-applauds-who-african-region-for-wild-polio-free-certification
2. WHO: Poliomyelitis, Polio eradication. Report by the Director General. 5 May 2020. https://apps.who.int/gb/ebwha/pdf_files/WHA73/A73_12-en.pdf
3. Yeh, M.T., Bujaki, E., Dolan, P.T. et al. : Engineering the live-attenuated polio vaccine to prevent reversion to virulence. Cell Host & Microbe, 27, 736-751, 2020.
4. Fortner, R. New oral polio vaccine to bypass key clinical trials. The Scientist, Dec. 17, 2019.
5. Irwin, A.: New polio vaccine poised to get emergency WHO approval. Nature, 587, 15-16, 2020
6. 山内一也、三瀬勝利:ワクチン学.岩波書店、2014.
7. 山内一也:ワクチンによるウイルス感染症の根絶。(4)ポリオ。2011。