22.「口蹄疫の正しい知識 8.日本からのワクチンが感染源となった米国の口蹄疫」

米国では1870、1880、1884、1902−3、1908、1914−16、1929年に口蹄疫が発生しています。19世紀の3つの発生は限局していましたが、1902年秋の発生はマサチューセッツ州に始まり、バーモント州、ニューハンプシャー州、ロードアイランド州に広がり6ヶ月後に終息しました。この感染源は分からないままでしたが、1908年の発生がきっかけで日本から輸入した天然痘ワクチンに口蹄疫ウイルスが混入していて、それが感染源であったことが、米国農務省の調査で明らかにされ、議会でも報告されました(1, 2)。その経緯をご紹介します。

1908年11月10日に、口蹄疫がペンシルバニア州で突然発生し、数日後にはミシガン州、ニューヨーク州、メリーランド州でも発生しました。農務省は輸入する家畜に対してかなり厳重な規制を行っていたため、輸入家畜によるものとは考えられませんでした。原因調査の結果、発生源はミシガン州デトロイト市のワクチンメーカー(農務省報告ではメーカーAとされています)で天然痘ワクチン製造に用いられていた子牛と分かり、この子牛で製造した天然痘ワクチンが口蹄疫ウイルスに汚染していたことが疑われました。さらに調査を進めた結果、6年前の1902年に最初の発生場所となったマサチューセッツ州の牧場で最初に発病した子牛は、同じ州のワクチンメーカー(B)に天然痘ワクチン製造のために貸し出され、ワクチン製造後に返却されたものでした*。

1902年、1908年ともに天然痘ワクチン製造に用いられた子牛が最初の発生だったことから、天然痘ワクチンに疑いが出てきました。調べてみると、ワクチンメーカー(A)はワクチンメーカー(B)から天然痘ワクチンの種ウイルスを分けてもらっていました。そこでワクチンメーカー(A)に保存されていた3種類の天然痘ワクチンの種ウイルスを集めて、牛に接種する大がかりな実験を行ってみたところ、1つのワクチンが口蹄疫を引き起こしたのです。ワクチンに口蹄疫ウイルスが混入していたのです。しかも、そのワクチンは日本から分与されたものでした。こうして、日本から天然痘ワクチンともに口蹄疫ウイルスが米国に輸出され、それが1902年の発生の原因となり、されに1908年の発生にもつながったことが疫学的に明らかにされたのです。

日本では連載7で述べたように、明治33年(1900)から35年(1902)にかけて口蹄疫が発生していました。また、天然痘ワクチンは東京と大阪の国立痘苗製造所で製造されていましたが、明治35年からは東京だけになっていました。東京の製造所は北里柴三郎が設立した伝染病研究所(現在・東大医科学研究所)であって、当時としては世界的に高い品質のものが製造されていたため、それが米国の天然痘ワクチンの品質を高めるために分与されたことが想像されます。しかし、1990年代に私が米国農務省の資料や米国議会図書館で調べたかぎり、天然痘ワクチンを米国に輸出した製造所の名前は明記されていませんでした。

*(天然痘ワクチンは牛の腹部の皮膚全面にひっかき傷をつけ、そこにワクチンのウイルスを接種してたまってきた膿をワクチンにしていました。膿を採取したのち、しばらくすると牛は回復するので、農家に返していたのです。私も昭和30年代初め北里研究所で天然痘ワクチンの製造にかかわっていましたが、製造の後は検定基準にしたがって製造に用いた牛は検査の上、殺処分していました。しかし、終戦直後は借り腹と称して農家から牛を借りてきて、天然痘ワクチンを製造したのち、回復を待って農家に返していたことを聞かされていました。)

文献

(1) Mohler, J.R. & Rosenau, M.J.: The origin of the recent outbreak of foot-and-mouth disease in the United States. U.S. Department of Agriculture, Bureau of Animal Industry-Circular 147. 1909.

(2) U.S. Department of Agriculture, Bureau of Animal Industry: Hearings before The Committee on Expenditures in the Department of Agriculture. House of Representatives. 63rd Congress, Third session. Relating to the foot-and-mouth disease of cattle. January 23, 1915.