25.「口蹄疫の正しい知識 11.口蹄疫対策の転換をもたらした英国での口蹄疫の大発生」

連載4で述べたように口蹄疫における殺処分方式は19世紀終わりに英国で始められ、それが国際的な手段にもなってきました。しかし、2001年の大発生が契機となって殺処分方式が批判され、「殺すためのワクチン」から「生かすためのワクチン」への転換がもたらされました。その経緯を簡単に整理してみます。

19世紀終わりから2001年までの英国での口蹄疫の発生状況を図で示しました。初めの頃は症状を示した家畜の殺処分だけで頭数はあまり多くなく、殺処分はあまり問題にはなりませんでした。

1967年、2364の農場で発生が起こり、43万頭が殺処分された。ヨーロッパのほかの国では主にワクチン接種による予防が行われていました。多数の家畜が殺され、補償のために3500万ポンド、間接的損害は7000万ないし1億5000万ポンドが支出されました。この発生の際に殺処分ではなくワクチン接種にすべきという議論が起きてきました。しかし、ほとんどの意見は草の根的なものでした。農務省はワクチンにも問題があり、ワクチンを用いずに口蹄疫フリーの状態を維持する方が貿易上の優位性を保てることを強調したのです。

ヨーロッパ諸国でも口蹄疫発生が少なくなり、時折発生した場合、ワクチンに不活化されずに残ったウイルスがワクチンに含まれていたこともあって、EUは1992年にワクチン接種を禁止し、英国式殺処分の採用を決定したのです。

2001年に英国でこれまでにない大きな発生が起こりました。発生は2026農場、殺処分された家畜は全部で600万頭になりました。このうち、約200万頭は動物福祉のための殺処分でした。動物福祉のための殺処分とは理解しにくい表現ですが、これは、放牧で飼育されている家畜が移動禁止処分により草を食べ尽くし、ほかに移動できないために餓死するために取られた措置です。

損害は直接経費が30億ポンド、間接経費が50億ポンドと推定されました。

この発生に関して、「2001年口蹄疫発生から学ぶべき教訓と将来の重要家畜疾患に対する政府の方針に関する調査」、「王立協会による科学面の調査」などの報告書が2002年、首相と環境食糧・農村地域省(BSE発生後に農務省が改組されたもの)大臣に提出されました。

いずれも殺処分方式に依存した制圧方式に疑問を投げかけました。とくに王立協会は、マーカーワクチンにより殺すためのワクチンから生かすためのワクチンへの転換の必要性を指摘しています。王立協会は日本の学術会議に相当するものですが、連載6で述べたように、17世紀に設立された世界最古の科学アカデミーで、英国でもっとも権威のある学者集団です。ここの報告書をまとめた委員会には連載6で述べたフレッド・ブラウンも参加していました。

EUも同様の報告書を発表しました。

2001年の大発生は英国の100年に及ぶ殺処分方式の見直しを求め、OIEの国際規約にも「生かすためのワクチン」の方針を取り入れさせ、マーカーワクチン接種した動物でNSP抗体陰性が確認された場合、6ヶ月で清浄国に復帰できることになったのです。

 

文献

Cabinet Office, Government of UK: Foot and Mouth Disease: Lessons to be Learned Inquiry Report HC888., 2002.
http://archive.cabinetoffice.gov.uk/fmd/fmd_report/report/FC.PDF
Royal Society Inquiry commissioned by the UK Government into infectious diseases in livestock. 16, July 2002.