63. エマージング感染症の歴史を繰り返すジステンパー

イヌジステンパーウイルス(canine distemper virus: CDV)は犬などの食肉類に感染し重い病気を起こしている。ジステンパーの発生の歴史からは、犬だけでなく野生動物、飼育サルと異なる動物集団でエマージング感染症として猛威を振るってきたことが示され、将来的には人への感染の可能性も推測される。

18世紀ヨーロッパにおける犬のエマージング感染症

ペットとしての犬の飼育は、中世ヨーロッパ(1300年代から1500年代)では貴族など一部に限られていたが、17世紀終わり頃から市民の間で広がり始めた。ジステンパーは麻疹や天然痘に匹敵する感染症だが、ヨーロッパでジステンパーの発生が見られたのは18世紀に入ってからで、それ以前にはジステンパーを疑わせる記載は見つかっていない。
ジステンパーは南米からヨーロッパにもたらされたと言われている。もっとも古い記録としては、1746年ペルーでのジステンパーの発生がある。ヨーロッパでの最初の発生は1761年にスペインに起こり、これはペルーからの犬が持ち込んだと推測されている。1764年には英国、続いてイタリアへと広がり、1770年にはロシアで発生が起きていた。1763年のスペイン・マドリッドでの発生では1日だけで900頭の犬が死亡した(1)
英国でのジステンパーにはジェンナーも大きな興味を持った。彼の実験ノートには1796年に4頭のジステンパーの犬の解剖を行ったことが書かれている。これは最初の種痘を行った年である。彼はジステンパーを犬の天然痘と考え、43頭の子犬に牛痘種痘を行い、その結果これらの犬はジステンパーにかからなかったと報告している。しかし、この実験には種痘をしない対照がおかれていないため、種痘がジステンパーを予防するという現在では誤った結論になった。彼は1809年には「犬のジステンパーに関する観察」という論文を発表している。これは、ジステンパーに関する最初の科学論文である(2)

20世紀末から野生動物の生態系をおびやかすジステンパー

1987年秋、シベリアのバイカル湖でけいれんなどを起こして死亡するアザラシが見つかった。その数は急速に増えて湖に生息する8-10万頭のアザラシのうちの約10%が死亡した。アザラシの死体からはCDVの遺伝子が見つかった。国際調査チームは12月に沿岸でアザラシと接触した可能性のある5頭の犬のうちの3頭が典型的なジステンパーの症状で死んでいるのを見つけた。このことから湖周辺で犬から感染したウイルスが広がったものと推測された (3)
カスピ海は流出する川がない塩水湖である。カスピカイアザラシはもっとも小型のアザラシでここにだけ生息し、その総数は12万頭と推測され、絶滅危惧種に指定されている。1997年春にアゼルバイジャン沿岸のカスピカイアザラシの大量死が起こり、死亡したアザラシの組織からはCDVの遺伝子が見つかった。2000年4月から8月にかけて再びカスピカイアザラシの大量死が起こり、カザフスタンの沿岸だけで4月と5月には1万頭以上が死亡したと推定されている。このアザラシから見つかったCDV遺伝子は1997年のウイルスと同じだった(4)。こうして陸上の動物から時々アザラシへのCDV感染が続いていることが推測されたのである。
1994年には、タンザニアのセレンゲティ国立公園でここに生息するライオンの約1/3に相当する1000頭近いライオンが突然死亡した。原因はCDV感染だった。ライオンと同じネコ科の動物の猫は数百年間犬と一緒に飼われてきたにもかかわらず、ジステンパーが問題になったことはなかったため、ライオンでの致死的なCDV感染にウイルス専門家は驚いた。感染源は公園の周辺で飼育されていた犬と考えられた。しかし、犬から直接ライオンに感染したことは考えにくく、多分、残飯などをあさりに人家にまでやってくるハイエナなどが感染し、そこからライオンに広がったと考えられている (5)
調査の結果、それ以前にもスイスと北米の動物園でライオンやヒョウなど大型のネコ科動物がCDV感染で死亡していたことが分かり、セレンゲティ国立公園のライオンでも、1980年代初めの血清に抗体が見つかり、ライオンのCDV感染は過去にも起きていたことが分かった。しかし今回のような大量死につながったことはなかった。致死的感染となった原因について、ウイルスが変異したためとか、ほかの病原体が一緒に感染した可能性などが提唱されたが、いまだに分からない。

ジステンパーによるサルの大量死が提起する問題

1989年麻布大学で飼育中の23頭のニホンザルの間で1頭が脳炎で死亡した。医科研の私たちの研究室で調べたところ脳にはCDVの抗原が見つかり、血清中にもCDV抗体が検出された。同じ施設で飼育されていた22頭のサルでは症状はなかったがCDV抗体が検出された。残念なことに脳組織はフォルマリンにつけられていたため、ウイルスの分離を試みることはできなかったが、CDV感染がサルの間で広がっていたことが推測された (6)
その後10数年、サルでのCDV感染の報告は見られなかった。ところが、2006年中国雲南省昆明近くの広西チワン族自治区にある中国最大のサル繁殖施設で約1万頭のサルが原因不明の病気になり4250頭が死亡した。ここには31260頭のサルが飼育されていた。若いサルでの発病率は60%で致死率は30%に達した。死亡したサルの肝臓と肺に原因の病原体が含まれていると考えられたので、翌年その乳剤を不活化して未知の病原体に対するワクチンが作られ、これが生き残っていたサルに接種された。そののち、発症するサルの数は2007年から2008年には年間100〜200頭に減少した。最初、CDVは病原体の候補にはなっていなかったが、2008年末に2年間凍結保存してあった組織を調べたところCDVが含まれていることが明らかになった。自然に回復した4頭のサルの血清にはCDV抗体が検出され、発病しなかったサルでは陰性だった。CDVが原因だったことが判明した。2009年初めからジステンパーワクチンの接種が行われ、発生は制圧された。分離されたCDVは中国で狐や犬から分離されたウイルスと遺伝子配列が98.5-98.7%一致し、これらと同一グループに属するとみなされたが、ウイルス蛋白質のアミノ酸に通常のCDVには見られない変異が蓄積していた (7)
この施設で発生が起きた頃、北京でも20頭のサルでCDV感染が起きていた。これは広西チワン族自治区での発生と関係があると考えられる。
日本でも2008年に中国から輸入した432頭のカニクイザルで、検疫中にCDV感染が起きた。46頭が重症の肺炎、下痢、食欲不振で死亡または安楽死させられた。感染研の森川茂たちが分離したウイルスは中国で発生を起こしたウイルスと遺伝子配列が99.2-99.7%一致した。中国で流行しているウイルスによる感染だったのである(8)
サルでのCDV感染はウイルス学の新しい問題になっている。CDVが細胞内に侵入するには、まずリンパ球系細胞の表面に存在するSLAMもしくは上皮系細胞の表面に存在するネクチン4と呼ばれる蛋白質受容体に結合する。犬とサルの間ではSLAMのアミノ酸が33%、ネクチン4で6%異なっているが、中国のサルで大流行を起こしたウイルスに限らず、CDVはサルの細胞に効率良く感染できることが実験的に明らかになった。このため、中国のサルで大流行を起こしたウイルスでは、受容体に結合するウイルス・エンベロープのH蛋白質ではなく、ほかのウイルス蛋白質に病原性が強くなるような変異が蓄積したと推測されている。
人とサルではSLAMで97%、ネクチン4で99%のアミノ酸配列が一致することから、このウイルスは人にも感染するおそれが考えられ、サルでのCDV流行と同様に人でのCDV感染が起きる可能性が問題になってきた。感染研の竹田誠たちは、中国産サルの死亡例から分離したCDVが人のSLAMには結合しなかったことから、このウイルスが直ちに人に感染することはないと推測している。しかし、彼らはH蛋白質の1個のアミノ酸の変異により人のSLAMに結合できるウイルスが容易に出現することを明らかにし、CDVによる人の感染に備える対策の必要性を強調している(9)
人は自然麻疹もしくは麻疹ワクチン接種により麻疹ウイルスに対する抗体を持っている。麻疹ウイルス抗体はCDVにも効果があり、実際に米国では一部だが、麻疹ワクチンまたは麻疹とジステンパーの混合ワクチンが仔犬にジステンパー予防のために接種されている (10)。中国のサルで1万頭もの大流行が起きても人が感染したという報告がないのは、麻疹に対する免疫がCDV感染を防いでいるためかもしれない。昔は麻疹の流行で成人のほとんどは免疫を持っていた。1960年代から始まった麻疹ワクチンにより21世紀には多くの国で麻疹が排除され、日本も遅ればせながら2015年に排除が確認された。しかし、麻疹への関心が薄れると共にワクチン接種率の低下が世界各国で見られている。とくに宗教的理由からワクチン接種を拒否する動きが増えており、麻疹に免疫のない人たちの実態は複雑になっている。このような状態でCDVが人での新しいエマージングウイルスになる可能性も今後留意しなければならない。

文献

1. Blancou, J.: Dog distemper: imported into Europe from South America? Hist. Med. Vet., 29, 35-41, 2003.

2. 山内一也:「近代医学の先駆者・ハンターとジェンナー」岩波書店、2015.

3. Mamaev. L.V. et al.: Canine distemper virus in lake Baikal seals. Vet. Rec., 138, 437-439, 1996.

4. Kennedy, S. et al.: Mass die-Off of Caspian seals caused by canine distemper virus. Emerg. Infect. Dis., 6, 637-639, 2000.

5. Roelke-Parker, M.E. et al.: A canine distemper virus epidemic in Serengeti lions (Panthera leo). Nature, 379, 441-445, 1996.

6. Yoshikawa, Y. et al.: Natural infection with canine distemper virus in a Japanese monkey (Macaca fuscata). Vet. Microbiol., 141, 193, 205, 1989.

7. Qiu, W. et al.: Canine distemper outbreak in rhesus monkeys, China. Emerg. Infect. Dis., 17, 1541-1543, 2011.

8. Sakai, K. et al.: Lethal canine distemper virus outbreak in cynomolgus monkeys in Japan in 2008. J. Virol., 87, 1105-1114, 2013.

9. Sakai K. et al.: Canine distemper virus associated with a lethal outbreak in monkeys can readily adapt to use human receptors. J. Virol., 87, 7170-7175, 2013.

10. Chalmers, W.S. & Baxendale, W.: A comparison of canine distemper vaccine and measles vaccine for the prevention of canine distemper in young puppies. Vet. Rec., 135, 349-353, 1994.