65. 昆虫に共生する細菌によるデングウイルスの伝播阻止

昨年発生したデングウイルス感染が、蚊の季節を迎えて、ふたたび問題になってきた。デングワクチンは本連載50回で紹介したように臨床試験で部分的な効果が見られているが、今後の見通しは明らかでない。一方、昆虫に共生する細菌、ボルバキア(Wolbachia pipientis)によりデングウイルスを媒介するネッタイシマカでのデングウイルス増殖を抑えて、ウイルス伝播を阻止する試みがオーストラリア・モナッシュ大学理学部長スコット・オニール(Scott O’Neill)のチームにより進められている。
ボルバキアは、1924年にイエカの解剖中に発見されたものだが、関心が持たれたのは1970年代で、一定の環境で蚊の卵の孵化を阻止することが見つかり、蚊などの昆虫が媒介する病気の制御に役立つ可能性が推測されたためである。1990年代には株によっては、蚊の寿命を短くすることも見いだされた。1980年代半ば、大学院生の時からオニールはボルバキアを蚊が媒介する病気の対策に利用する研究を始めた。研究対象として取り上げたのは、世界の人口の約半分を感染リスクにさらしているデングウイルスである。デングウイルスはネッタイシマカの体内で増殖し、卵を介して子孫に伝えられている。人は蚊に刺されて感染し、その人の血を吸った蚊が別の人を刺して感染を広げる。血を吸うのは雌の蚊だけである*。ネッタイシマカを自然宿主とするボルバキアはいなかったため、オニールたちはショウジョウバエから分離したボルバキアを蚊の細胞株に感染させて順化させ、ネッタイシマカで継代できるボルバキアを10年以上かけて作出した。一方、オニールたちが注目したのは、ボルバキアがショウジョウバエCウイルス**の増殖を阻止することだった。ボルバキアに感染したネッタイシマカの体内では、デングウイルスの増殖も完全に抑えられることが確かめられた。ボルバキアのデングウイルス増殖抑制のメカニズムは、ウイルス増殖に必要な細胞成分を細菌と競合するためとか、 細菌感染が活性酸素を産生して蚊の免疫系を活性化するためとの推測があるが、良く分かっていない。

*日本でデングウイルスを媒介しているのは、ほとんどがヒトスジシマカ。
**1970年代に発見された小型のRNAウイルスで、ジシストロウイルス科に分類されており、ショウジョウバエに致死的感染を起こす。

当初の研究で得られたボルボキア株はネッタイシマカの寿命を半分に短縮させた。デングウイルスを人に伝播するのは成熟した蚊なので、成熟する前に蚊が死亡すればデングウイルス伝播が抑えられる。しかし、このアプローチは感染蚊の繁殖率を56%低下させたため、多くの感染蚊を生み出すことができなかった。そこで、彼らはデングウイルスの増殖を抑えるが、蚊の寿命は短くしないボルバキア株を選びだした。雌の蚊に接種して出来るだけ数多くのボルバキア感染卵を産ませるようにしたのである。オーストラリア北部で行われた野外実験で、ボルバキア感染蚊を1軒あたり10匹、週1回10週間にわたって放出したところ、その地域の蚊の80%以上がボルバキアに感染していた。放出を中止してから2ヶ月後も感染蚊が同程度に見いだされた。ボルバキアは何代にもわたって子孫に容易に伝えられるため、放出を繰り返す必要はなかったのである。
ボルバキアは、大きすぎるため蚊の唾液腺を通過することなく、唾液では検出されなかった。したがって、人の血流中に入ることはなく、人には無害とみなされている。ボランティアが3年間ボルバキア感染蚊に刺されても、抗体産生は見られなかった。研究室員とボランティアは、しばしば袖をまくり上げて腕を蚊のケージに入れて15分間、ボルバキア感染蚊に血を吸わせたが感染の証拠は見つからなかった。
2011年にはオーストラリアで、ボルバキア感染蚊を放出して周辺の動物への影響を調べる試験が行われた。ボルバキアは昆虫とほかの節足動物の細胞だけに存在していた。クモとヤモリに食べさせても悪影響はなく、組織内に細菌は見つからなかった。そののち、野外試験はベトナム、インドネシア、ブラジルでも始められている(1, 2, 3)
野外への細菌感染蚊を放出するこの方式について、ボルバキアは昆虫の間で広く存在する細菌なので、生態系への問題は起きないという見解が示されている。しかし、野外試験での環境影響評価が不十分なまま実用化されると、将来、有望な媒介動物の抑制手段に対して、政府の過剰な規制が行われるおそれがあるとの指摘も出されている。
ボルバキアとは別のアプローチとして、致死遺伝子を精子に持った雄の蚊を遺伝子組み換えで作出して放出し、この蚊と交尾した雌の蚊の子を死亡させようとする研究が行われているが、オニールたちはボルバキア方式の方が比較的安く、とくに遺伝子組み換えがないことが利点と主張している。
ボルバキア方式には、細菌、ウイルス、蚊それぞれに、抵抗性が出現する可能性などの問題も今後に残されている。進化学の視点から、この点を検討した結果では、現在考えられる変異などのマイナス要因を上回る恩恵が期待しうるという見解が示されているが、同時に実際のリスクはほとんど分かっていないことも指摘されている(4)

文献

1. O’Neill, S.: The dengue stopper. Sci. Amer., June 2015, pp. 61-65.
2. Gilbert, N.: Bacterium offers way to control dengue fever. Nature, 24 August 2011. doi:10.1038/news.2011.503
3. Cyranoski, D.: Modified mosquitoes set to quash dengue fever. Nature, 10 January 2012. doi:10.1038/nature.2012.9752
4. Bull, J.J. & Turelli, M.: Wolbachia versus dengue. Evolutionary forecasts. Evol. Med. Publ. Hlth., pp. 197-207, 2013.
http://emph.oxfordjournals.org/content/2013/1/197.full